ニールの明日

第百十六話

「沙慈! 沙慈! どうした? 沙慈!」
 ニールが、ガンガンガンと乱暴に沙慈・クロスロードの部屋の扉を叩いている。
「沙慈、刹那とニールよ。開けてあげて」
 クリスも懇願する。
「それじゃ駄目だ。ニール、クリス」
 刹那が言う。
「でも……」
「ちょっと待ってろ。――沙慈、刹那だ。部屋には俺しか入らないから開けろ」
 その時、シュン、と扉が開いた。刹那だけ部屋に入れると、ぴったりと扉は閉まった。
 ニールとクリスは顔を見合わせていた。

「どうした――沙慈」
「刹那、僕は……」
「ああ、そういえば、おまえは初陣だったな」
「僕は……ガンダムで人を殺した。自分で自分の手を血に染めることなく……」
 刹那は黙って聞いている。
「恐ろしいのは、僕はそれを快感だと思ったことだ!」
「戦場で昂ぶるのは何もおまえだけじゃない。俺だってそうだ」
「僕は人殺しだ……人を、家族も友人もあるだろう人を、悦んで殺した……」
 友人――そういえば、あの戦場にアンドレイはいただろうか、と刹那は思った。だが、刹那はそれを言わずに別のことを言った。
「人を悦んで殺したのを後悔しているなら、背負えばいい。お前の殺した人間の人生を。そして、考えるんだ」
「考える……?」
「この戦いには意味があるか、この戦いを終わらせるにはどうしたらいいのか」
「刹那……君はやはり大人だね」
「大人なんかじゃない。俺は神の名の元に多くの人を殺した。しかし、人に手をかける度、高揚したのも事実だ」
 刹那は苦い思い出を語る。そして続けた。
「神はいない。そう思っていた。――ニールに再会するまでは」
「ニールさん……会えて、良かったね」
「ああ。何者かの手が働いて、俺の中では死んでいたあいつを生き返らせたのだろう。それは運命だ」
「――ニールさんの生存を知って、神の手を見たの? 刹那は」
 刹那は目を閉じた。
「神がいるかどうか俺にはわからない。だが、沙慈。神がいないのなら、己自身が神になれ」
「己自身が――」
「ああ。俺の神はガンダムだ」
「ま、待って。刹那。己自身が神になれって、さっき言ったばかりじゃない。それなのに、刹那の神はガンダムなの?」
「対象は何でもいい。『これが神だ』と思えるものを見つければ」
「僕にはそういうのはないから――やはり僕自身が神になるしかないのかな。でも、神の名の元に大量虐殺するのは嫌だ」
「お前の中の神が殺しを忌避するのだろう」
「刹那……僕、考えるよ。この世界の戦争の意味を。対話は本当に無駄かどうかも」
「沙慈、覚えておけ。この世には対話の通じない相手もいるのだということを」
「うん」
「部屋に――帰ってもいいか?」
「うん。僕も、自分の殻に閉じこもるのは辞める」
「それがいい」
 ――沙慈の部屋の扉が開いた。ニールとクリスが退いて部屋へ向かう刹那を通した。

 一方、アロウズのアンドレイ・スミルノフの部屋。
 アンドレイは部下達の労いの言葉を上の空で聞いて、早々に部屋に戻っていた。
 彼には気になることがあった。――刹那は、先程の戦いに参加していただろうか。
 上層部の命により、やむなく帰投せざるをえなかったアンドレイ。だが、彼は心のどこかでほっとしていた。こんなことは初めてであった。
(刹那――)
 刹那はガンダムのパイロットだと、どこかで聞いたことがある。刹那もガンダムに乗って戦っていたのだろうか。
 刹那はまだ生きているだろうか。
 生きている、と、アンドレイは信じたかった。通信端末に手を伸ばす。連絡先に連絡してみる。それが無駄であるのを覚悟して。
 だが、刹那の端末にはすぐ繋がった。しかも、相手は元気だった。
 アンドレイの心に温かい気持ちが広がった。刹那――良かった。
「アンドレイか」
「ああ。無事で何よりだ」
「そっちもな」
 刹那が笑ったような気がする。それともただ、口角を上げただけだろうか。
「今まで沙慈のところへ行っていた。どうも――初陣の刺激が強過ぎたらしい」
 刹那が話す。
「そうか――僕も、初陣の時はショックだった」
 アンドレイも答える。
 その時、アンドレイを救ってくれたのは父のセルゲイだ。考えろ。この戦争の意味を――と。
「……考えろ」
「――何だって?」
「ああ。父の言葉だ。考えろ。この戦争の意味を、と」
「俺も――そんなことを考えていた」
「刹那もか!」
 セルゲイと刹那が同じことを考えていた。それがアンドレイには嬉しい。セルゲイと刹那。もし、会うことができたら、話が合うのではないだろうか。
「セルゲイ・スミルノフは偉大だ。その男と同じ想いを共有できたら――と思うよ」
「君ならきっとできるよ。刹那。僕みたいな不肖の息子ではないからね」
「アンドレイ。おまえが大した男だということは知っている。変な謙遜をするな」
「いや……本当に不出来な息子なんだ。俺は。好きな娘に『好きだ』の一言も言えない。
 そう言ってアンドレイは口元を歪めて照れ笑いをした。
「向こうには恋する相手がいるからな」
「ああ。君の言う通り、押して押して、押しまくれを実行しようとしても、なかなかできない」
「――アンドレイ、あれは戯言だ」
「……へぇ、君でもそんなこと言うことあるんだね」
「おまえは真面目だな。アンドレイ」
「刹那はやはり面白いな。ますます気に入ったよ」
「……どうも」
 そして、二人はしばらく黙り込んだ。その沈黙を破ったのは、アンドレイのこんな一言だ。
「父が――さっき話題にも上がった、僕の父のことなんだけど、ちょっと変なことを言っていたよ」
「変、とは――?」
「父さんらしくないことを喋ったんだ。アロウズを辞めろ、と。それから昨日も、アンドレイ、済まない、とか、私はおまえを巻き込んでしまうかもしれない――とも」
「なるほど」
 父セルゲイはあだやおろそかに人を不安に陥れる人物ではない。セルゲイがそう言ったからには、何か理由でもあるのだろう。
 例えば、何か陰謀に巻き込まれようとしているとか。
 だが、アンドレイはセルゲイを信じていた。
「僕は、アロウズを辞めない。父と共に戦う」
「それが、おまえの戦うわけか」
「ああ。――ソーマ・ピーリスのことも僕は守る」
「ソーマ・ピーリス?」
「僕の――義理の妹になるはずの娘だ。今でも、僕は本当の妹だと思っている」
「守る者を持つ男は強い。がんばれよ。アンドレイ」
「ああ――例え君を敵に回しても、愛する者の為に僕は戦う。――君にはそういう存在はあるか?」
「ある」
 刹那は簡潔に答えた。通信が切れた後、刹那は思った。俺の戦う理由は、ニール・ディランディ、おまえの存在だ。

2014.11.23

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