ニールの明日

第百八十六話

「――あら?」
 ソーマ・ピーリスが微かに驚きの声を上げた。
「少し……楽になったみたい。ベルちゃんのおまじないのおかげかな?」
「えへへー。かあさまもべるがいたいときこうやるんだよ」
「いいからベル。君はクリスのところへ行き給え」
「はーい♪」
 ベルベットの姿が遠ざかると、ティエリアは言った。
「本当にベルが?」
「ええ。嘘のように痛みが治まったわ」
「まぁ、あれはただの娘ではないのは事実だと思うが……」
「いい子だね。ベルちゃんは。きっと、両親も良かったんでしょうね」
「……医務室へ行こう」
 ティエリアはソーマの腕を取った。――医務室には数々の市販薬がある。ティエリアは取り敢えず頭痛薬を棚から取り出した。水の入ったコップも持ってくる。
「これを飲んで」
 ソーマは素直に従った。
「ありがとう」
「あの子――ベルベットは、僕が腹を痛めて産んだ子じゃない。そうだったらどんなに良いかと思ったが。――あの子は多分、平行世界から来た子だ」
 ティエリアは眼鏡の奥で長い睫毛を伏せた。
「でも、あの子はあなたにそっくりです」
「――どこが?」
「優しいところが」
 間髪を入れずにソーマが答えた。
「あと、さらさらな紫色の髪も」
「……ありがとう」
「お礼言い合っているわね。私達」
 ソーマが微笑んだ。ティエリアが深く息を吐いた。
「まさか恋敵に慰められるとは思わなかったな」
「恋敵?」
「君はアレルヤの初恋の人だ。まぁ、僕にもアレルヤが君に懸想するのはわかる気がするが」
 ティエリアの言葉にソーマはくすくすと笑った。
「な、何がおかしいっ!」
「だって……アレルヤと私は敵同士だし、それに――私には他に想い人がいるから」
「ああ……そうみたいだな」
「……確か、私はあなたとも敵だったはずですよね」
「――そうだな」
「私も敵にこんなに良くされるとは思いませんでした」
 ソーマは真っ直ぐにティエリアをひたと見据える。
「父の人を見る目は正しかったと思います。けれど、もう戻らなければ」
「君の父さんは、君にはここにいて欲しいみたいだ。僕もいて欲しい。そうでないと、ベルベットも寂しがる」
「ん……そうね……」
 さっきのことを考えると、ソーマは憂鬱になった。
「少し寝て休むといい」
「でも……!」
 ソーマが更に言い募ろうとした時。医務室の扉がしゅん、と開いた。
「そーまおねえちゃま~」
「ベルちゃん!」
 茶がかった巻き毛を長めに伸ばしている女の人――さっきソーマが出会ったクリスとか言う女の人と一緒にベルベットがやって来た。
「そーまおねえちゃまだいじょうぶ?」
「ええ。心配してくれてありがとう。ベルちゃんはいい子ね」
「べる、いいこ?」
「とてもいい子よ。お父様とお母様のいいところを受け継いだのね」
 ソーマは立ち上がってベルベットの頭を撫でる。ベルベットは嬉しそうに目をつぶった。
「ベルちゃんの話を聞いて、ここにいるんじゃないかと思って」
「あなたは確か、……クリスさん?」
「クリスティナ・シエラよ。クリスと呼んで」
「クリス……」
「そうそう。――ティエリア。リヒターはアレルヤに預けて来たわ。ベルちゃんが、ソーマさんが気になるからって」
「私のこともソーマでいい。――そう……ベルちゃん、私を心配してくれていたのね」
「そーまおねえちゃま、げんきになった? だいじょうぶ?」
「大丈夫。――ベルちゃん、あなたが来てくれたから」
「……ちがうの」
 そう言って、ベルベットは首を傾げる。
「何が?」
「そーまおねえちゃまのしゃべりかた、ちょっとちがうの。とうさまとたたかっていたときと、ちがうの。とうさまもうつっていた、おっきながめんからきこえてきたしゃべりかたとちがうの。それに、とうさまはそーまおねえちゃまのことを『まりー』とよんでいたの」
「え……?」
(マリー!)
 アレルヤの声が甦った。ソーマは頭の中を引っ掻かれたような感じがした。治まっていた痛みが再び襲う。嫌なノイズだ。マリー……マリーとは、一体何者なんだろう……。
「ティエリア……アレルヤは私のことをマリーと呼んでいた……」
「ああ……そして多分、あなたはアレルヤの初恋の人だ」
「それは、マリー・パーファシー……」
 口にしてからソーマは、はっとなった。
(マリー・パーファシー……何だろう。懐かしいのに思い出せない……)
「顔色が悪いわよ。ソーマ。そうだ! 何か温かい物でも飲む?」
 クリスも気づかわしげに顔を覗き込む。ソーマは実はさっきから少し寒気がしていた。風邪でもないのに。けれど、クリスの優しさは有り難かった。それは母となった女の優しさだ。自分は母となることなどあり得ない。きっと、一生。
 それよりも――ソーマ・ピーリスは非公式とは言え、会談の席から逃げ出したのだ。彼女は思った。私は――軍人としても失格だ。
「マリー・パーファシーか……それが君の本当の姿じゃないのか?」
 ティエリアが割り込んだ。
「わからない……」
「そーまおねえちゃまは、まりーおねえちゃまといっしょなの。そーまおねえちゃまはまりーおねえちゃまなの」
「やはりそうか。アレルヤがやけに入れ込んでいるんで、君が彼の初恋の人だからだろうと思ってたけれど、アレルヤはマリーの存在を希求していたのか……」
「はっきりしたことは私にはわからないけれど……」
 ソーマはそう言って首をゆっくり振る。
「戻らないと――私はここに長居し過ぎました。ティエリア、お世話になりました。クリス、ベルちゃん……元気でね」
「そーまおねえちゃま……」
 ベルベットは悲し気な声を出す。
「ベルちゃんのことはお父様――スミルノフ大佐に執り成しておきます。ついでに、マリー・パーファシーが何者か訊いてきます」
「ソーマ・ピーリス……実は、僕には君の正体がわかっている。僕は――人間じゃないからね」
 ティエリアが自嘲するように口元を歪めた。けれど、その様も崩れた美を表している。
「――私は超兵だ」
 ソーマが答える。
「なら、アレルヤの仲間だ。アレルヤも超兵だからな」
 超兵か……。ソーマは心の中で独り言つ。戦いの為だけに作られた存在。
「私も……化け物だ」
「そんなこといっちゃ、め! なの!」
 ベルベットが怒り出す。
「べるはそーまおねえちゃまもまりーおねえちゃまもだいすきなの! だれがなんといおうと、だいすきなの!」
 ベルベットの言葉に、ティエリアも頷いて言う。
「僕もベルベットに賛成だ。ソーマ……君は僕らの友達だ」
「ティエリア……」
 ――その時、扉が開いた。ニール・ディランディと、刹那・F・セイエイ。そして、セルゲイ・スミルノフだった。

2016.11.18

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