ニールの明日

第百八十五話

(――驚いたな)
 ニールの頭の中に刹那の涼やかな声が響く。
(どうした? 刹那)
(――ベルベット・アーデがトレミーにいる)
(ベルベットってあの……)
(そうだ。俺達の夢に出てきたことのある、アレルヤとティエリアの娘だ)
(でもあれは――夢の世界の話だろ?)
(夢は時に真実になることもある)
(そうかぁ……ティエリアがどんな反応をするか見ものだな)
(それよりも今はライルのところへ向かおう。ここはあらかた片が付いたからな)
(ミス・スメラギが戦術を変えてくれたおかげだな)
 ニールは微かに笑った。

「おーい、お嬢様ー」
 ドンドンドン。イアンが胴間声を出す。
「聞こえてますわ。イアン」
「入っていいか?」
「どうぞ」
 王留美は色黒の美丈夫と一緒にいた。
「グレン。何もやることがなくて残念だったな」
 イアンがグレンを揶揄う。グレンはムッとした。
「そう言わないでくださいませ。イアン。グレンは私をずっと看護してくれていましたのよ」
「リヴァイヴというヤツがアニューを操って留美を殺そうとしたんだ。くそっ。アロウズめ。汚い手を使いやがって」
「ベルベットちゃんが助けてくれたのよ」
「ベルベットとかいう子には俺も後でお礼が言いたい。――アレルヤとティエリアの娘なんだってな」
「そういうことになってる」
 イアンは頷いた。
「一体どうやってガキ作ったんだか……おっと、留美も聞いてたか」
「構いませんことよ。グレン。……イアン、ベルベットちゃんは今どうしてまして?」
「アレルヤ達と遊んでるよ。リヒターともすっかり仲良くなったみたいだ。ガキはガキ同士勝手に仲良くなっていくもんだ」
 イアンが説明した。グレンはさっきからセルゲイとソーマ・ピーリスを噛み付くような目で睨んでいた。――そして、とうとうこう訊く。
「イアン。そいつらはアロウズだよな」
「ああ。セルゲイ・スミルノフ大佐とソーマ・ピーリス中尉だ」
「初めまして」
「ふん。気に入らんな」
「安心しろ。グレン。こいつらはアロウズでは異端児だ」
「君はアロウズが気に入らないと言ったね。私も今のアロウズは気に入らない。だから、私の娘を預けに来たんだ」
 セルゲイが口を挟む。
「娘……」
 ソーマの頬が上気する。
「本当に娘なのか?」
 グレンが疑わし気な視線を寄越す。セルゲイは平然と構えている。
「正確には義理の娘だ。養子にしようと考えたこともある」
「それが反故になったのはそれなりの理由があるんだな」
「ああ――ソーマには普通の娘として幸せになって欲しい。それ以上のことは今は言えない」
「胡散臭いな」
「そうか? グレン。俺はこの『ロシアの荒熊』さんの言うことは信じてもいいと思うけどな」
 イアンがのんびりした声を出す。
「根拠は?」
 グレンの問いに、
「勘だ」
 と、イアンは答えた。
「――わかった。アンタに訊いた俺が馬鹿だった。留美。お前はどう思う?」
 グレンが王留美の方に向き直る。
「私もイアンに賛成ですわ」
「こんな奴らの言うこと信じるのかよ!」
 グレンは目を剥いた。そして、「俺の味方は一人もいねぇのか……」と詠嘆した。
「グレンは放っておきましょ。ソーマ・ピーリスさんでしたかしら。あなたはここにいる気はあるの」
「あの……えっと……」
 ソーマは言葉を探そうとしていたところだった。
「セルゲイさんと別れるのがそんなに嫌なの?」
「え……私は別に……」
 ソーマはおたおたしている。グレンが賢し気に「ふぅん、なるほど」と呟いた。
「ソーマ。アンタ、セルゲイに恋してるね」
「グレン!」
 王留美は立場上一応窘める。
「あれ? 俺のことは放っておいてくれるんじゃなかったっけ? 王留美殿」
「全く……ああ言えばこう言うんだから。困ったものですわ。ねぇ、セルゲイさん」
「あ……私は、ソーマをそんな風に見たことはなかったもので……」
 セルゲイも顔には出さないが戸惑っているようだ。
「やだっ!」
 ソーマは部屋から飛び出した。そして、向こうから来た人影にぶつかった。相手はティエリアだった。ベルベットも一緒だった。
「――済まない」
「こちらこそ……」
 ソーマは恥ずかしいやらバツが悪いやらで頭がくらくらした。
「アレルヤは……?」
「リヒターと遊んでる」
「良かった。あの男がいると頭が痛くなるから……」
「随分な言われようだな。アレルヤも」
 ティエリアが柳眉を顰めた。ベルベットは困った顔をした。
「かあさま、ちっち出ちゃった……」
「む……漏らしたか。おむつを履き替えさせねば……」
「ベルちゃん、トイレ行くところだったの?」
「そうなのー」
「ごめんね。私のせいで漏らしちゃったのね。おむつは私が替えてあげましょうか?」
「大丈夫だ。クリスがいる。それに――愛娘のおむつを替える体験というのを僕もしてみたい」
「まぁ……」
 ソーマが不思議そうな声を出した。それをどう取ってか、ティエリアは言った。
「勘違いするな。別にけしからぬ趣味がある訳ではない。ただ、『かあさま』と言われると母親らしいことをしてみたくなるんだ」
「――わかるわ」
 ソーマも年頃の女性である。好いた男の子供を生んで育てると言うことについて無関心でいられる訳ではない。咄嗟にアレルヤ・ハプティズムの顔が浮かんだ。
(やだわ、私。何であんな男の顔なんか――)
 けれど、確かにアレルヤとは因縁がありそうだった。アレルヤ――憎いけれど慕わしい……。
「うっ!」
 ソーマはまた頭痛を起こした。変だ。アレルヤのことを考えようとすると頭痛がする。
「ベル、クリスのところへ行け! 大丈夫か? ソーマ……」
「ええ……」
「かあさまも大丈夫?」
「僕は何ともない。クリスのところへ行っておむつを替えてもらえ。クリスだったら慣れているから」
 ベルベットは「うん!」と神妙な顔で頷いた。只事ではないと悟ったらしい。ベルベットは「そーまおねえちゃまのいたいのいたいのとんでいけー」と叫んだ。

2016.11.8

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