ニールの明日

第百八話

「刹那・F・セイエイ、か――」
 アンドレイ・スミルノフが呟いた。確かに面白い男だ。だが――。
(俺は、アロウズだ)
 刹那はアロウズに敵対するソレスタル・ビーイングのもので、だけど――。
(もしかしたら、俺がアロウズでなければ、本当に友達になれたかもな)
 アンドレイは、刹那の直截さが気に入った。
 まぁ、いい――。来客用のブザーが鳴った。彼は鍵を開けた。
「アンドレイ」
 入ってきたのはルイス・ハレヴィだった。軍人らしく、かっと軍靴を揃え、敬礼する。
「ルイス・ハレヴィ……いや、ルイス。アンドレイと、呼んでくれて、ありがとう」
「あ……いえ……」
 ルイスが珍しく取り乱す。やはり、可愛い。そして、
(乙女だ――)
 アンドレイは自分の表情が和むのがわかった。金髪の、セミロングの髪と白い肌の乙女。
「お茶でも淹れるかい?」
「結構です」
「そうか……」
「アンドレイ」
 ルイスの声音が厳しくなった。
「もしかしたら。ソレスタル・ビーイングと事を交えることになるかもしれない」
「ああ……そのようだね」
「私は……戦いたくない」
「戦いたくないと言っても……アロウズは軍なんだし……」
「それでも、嫌だ!!」
 ルイスが感情の激しさを現す。
「ルイス……」
 抱き締めてやろうか――そう考えてアンドレイは焦った。
(何を考えているんだ。僕は――こんな時に)
「話を聞いてくれて、ありがとう」
「本当にお茶は要らないのかい? 美味しいよ。こういう時には――心を落ち着かせる」
「アンドレイ……」
 ルイスの表情が柔らかくなるのがわかった。
「上等の紅茶なら、もらってもいい」
「奇遇だな。僕も上等の紅茶を用意してあるんだ」
 そして、二人はふっと笑みをもらす。
 こんな時間を少しは赦してくれてもいいだろう? 神様――アンドレイは、どこにいるかもわからぬ神の存在に語りかけた。

「ミスター・ブシドー、いや、グラハム」
 ビリー・カタギリが呼んだ。少し注意深い者ならば、その台詞に悲痛な響きが入り混じっていることに気付いたであろう。
「何だ?」
 ミスター・ブシドーことグラハム・エーカーが振り向く。
「何だ、じゃないよ。君は、ダブルオーライザーに出くわしたそうだね。この間、え?」
「そのことか……」
 ビリーには責められるかもしれない。そうは思った。けれど、何故、この男は泣きたそうな顔をしているのだろう。それがわからず、グラハムも困惑した。
 ビリーとスメラギの関係を知ったなら、グラハムも腑に落ちたかもしれないが。
「それなのに、戦わずして帰っただと? 君なら、ダブルオーライザーにも負けないかもしれなかったのに。よほど、あいつらが怖かったのか?」
「違う! 怖かったのじゃない!」
 グラハムも声を荒げる。
 グラハムがダブルオーライザーと戦わなかった理由――それは、ジョシュア・エドワースがいたからだ。彼は、何らかのきっかけで、刹那・F・セイエイ及びニール・ディランディに接近したのだ。
(ジョシュア……君は何を考えている)
 グラハムがふぅっと、溜息を吐いた。
「グラハム! 溜息を吐きたいのは僕の方だよ!」
「――悪かった」
「それに、君の悪趣味な武士道にも付き合わされたし……」
「武士道のどこが悪趣味だ!」
 グラハムが目をぎょろつかせた。
 武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり――日本の武士の心得を書いた葉隠の一節である。
 グラハムはいたく感動し――武士として生きる道を選んだ。
 ジョシュア……おまえも、自分なりの武士道を見つけたのか? それだったら嬉しい。
「悪趣味だよ……ただの日本かぶれじゃないか」
「それも違う」
 だが、この根っからの科学者に武士道を説うても、仕方のないことだと、グラハムにもわかっていた。
「今度は戦うんだろうね。ソレスタル・ビーイングと」
「ああ。もう戦わない理由はない。それに――これ以上彼らを忌避することは武士道に反する」
「――わかってくれたか」
 似合わないポニーテールをした男に、悪趣味だと言われたくなかったが、グラハムには反論する気力はなかった。
 ジョシュア……おまえは何を考えて、刹那とニールを逃がしたのか。いや、積極的に味方をしたらしい節がある。
(ジョシュアの仇敵とは剣を交えたくないけれども……)
 グラハムには彼を慕ってくれている部下がいる。ジョシュアはグラハムに反発ばかりしていた。それなのに、何故か心が引っかかった。
(ジョシュア、遠い異国で何を見つけた?)
 グラハムのその疑問に答えてくれる者はここには誰一人いそうになかった。

「大佐ー」
 赤毛のパトリック・コ―ラサワーが落ち着いた色合いの髪を束ねた上品な化粧の極上の美女、カティ・マネキンにやに下がった顔で声をかけた。カティは綺麗に描かれた弓なりの眉を顰めた。
「パトリック……このアロウズは辞めるように言ったはずだぞ」
「えー。大佐が辞めたら俺も辞めます」
 このコ―ラサワーという男が、カティの頭痛の種だった。
(どうしてこいつが元AEUのエース・パイロットなんだ! 他に人材はいなかったのか?!)
 目の前にコ―ラサワーがいなかったら、カティは近くの観葉植物の鉢に蹴りでも入れてやろうと思った。そうしたところで、少しもすっきりするわけではないだろうが。
(こいつをアロウズに入らせない為に、私がどれ程苦戦したかわかっているのか、こいつは!)
 カティは、目の前のニヤついた男を張っ倒してやりたくなった。アロウズには危険がいっぱいだ。それを何度ほのめかしてもこの男と来たら――!
「パトリック・コ―ラサワー。私はアロウズを辞めるつもりはない。が、おまえは辞めろ」
「どうしてですかー?」
 コ―ラサワーの間延びした声に、カティはキレそうになる。
(我慢だ、我慢……こいつのペースにハマったらヤツの思う壺……!)
「ねぇ、大佐ー。大佐が俺にどうして怒るかわかりましたー」
「何がわかったというのだ……」
「大佐、ほんとは俺のこと好きなんでしょー……ぶべっ!」
 不死身のコ―ラサワーの顔に、カティの綺麗な右ストレートが入った。

「アリー・アル・サーシェス。少し飲み過ぎでは?」
 リボンズが言うと、アリーがにやっと笑った。
「気つけ薬だよ。リボンズ」
「そうかい」
 そろそろ気付け。おまえは、ニールを殺せなかった時点で、彼に負けているのだと。
 だが、リボンズはその言葉をおくびにも出さない。
「ま、くれぐれも飲み過ぎないようにしたまえ。昔から言うだろう? 過ぎたるは及ばざるが如しと。特に、アルコールなんて、人間には毒にしかならないから――」
「ほう。アンタは人間らしい口をきくようになったな」
 まぁね――と、リボンズは言い、この男をどう利用してやろうか算段していた。
 男色の気のあるのはアレハンドロ・コーナーも一緒だが、アリーは基本的には女好きだ。利用価値のある間は一人二人くらい女を見繕ってやってもいい、と、リボンズはアリーとまだ見ぬ彼の未来の女に対して同時に冷酷なことを考えていた。

2014.9.4

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