ニールの明日
第百五十二話
「おはよう、ルイス」
ソレスタルビーイングの有している最大の艦プトレマイオス2の中、沙慈はルイスの写真に語り掛けた。沙慈はルイスのことが忘れられずにいた。
あれはきっと、奥手な沙慈の初恋。
罪のない我儘なルイスが好きだった。今はアロウズにいるが。
「姉さんにも会いたいな……」
沙慈・クロスロードの姉、絹江・クロスロードは半分精神を病み、今は病院にいる。
(早く良くなるといいな、姉さん……)
絹江は明るく朗らかな性格だった。ルイスと少し似ているかもしれない。
(沙慈、クッキー焼いたのよ。初めてだから美味しいかどうかわからないけど)
(沙慈……)
(沙慈……)
姉の声が頭の中でエコーする。あの明るかった絹江にもう一度会いたい。――沙慈が失ったものは大きかった。
姉の絹江。ガールフレンドのルイス・ハレヴィ。
沙慈はルイスと見た地球を思い出していた。その頃は早く宇宙に行きたかった。
(ルイス……)
アロウズで彼女は笑っているだろうか。彼女ほどの美人だ。アロウズでも引く手あまただろう。現に、刹那によれば彼女を好いている男もいるらしい。アンドレイと言ったか。かなりのいい男だそうだから、自分は身を引いた方がいいだろうか。
(嫌だ!)
大人しく見られがちな沙慈だが、本来激しい炎を心の内に宿している。絹江にも共通していることだが。
ルイスのことなら絶対引かない!
沙慈は闘争心を燃やしていた。内側の炎が自分を焦がすのが怖くて、今までは気弱な青年を演じていたが。いや、演じている訳ではなく、(僕はこういう存在なんだ)と規定していたところがある。
彼は知らなかった。この炎が自分の本質だとは。
「ルイス、絶対助ける」
そして、姉さんも――。
今はアロウズにはガンダムマイスターズが人質に取られていて身動きができない状態だが。ニールと刹那はわかるが、どうしてアレルヤやティエリアまで行ってしまったのだろう。
ブザーが鳴った。
「沙慈、俺だ」
上司、イアン・ヴァスティの声だ。
「はい」
沙慈はイアンを部屋に入れた。イアンは無精髭の生えたおじさんだったが、美人の妻と娘がいる。
「おい、何してんだ? こんな時間まで」
「こんな時間?」
沙慈は時計を見た。
「まだ八時ですが……」
「どれどれ? あー、遅れてんな。この時計」
「えっ、あっ、道理で変だと思いました!」
「俺はまだお前が引き摺ってんのかと思ってたが……」
「昔のことなら……正直思い出していました。けれど――もうあの時のことは引き摺ってはいません」
戦いは嫌だ。戦争はごめんだ。
でも、そんなことを言っていたら何も始まらない。沙慈は戦争のただ中にいるのだ。
王留美とグレンの結婚のことでアロウズとソレスタルビーイングの間にはつかの間の平和が訪れていたが。
このままでは終わらない。何となくそんな気がする。沙慈は勘はいい方だった。
「全く――こんなアナログな時計まだ使ってるなんてな」
イアンは苦笑していた。
「イアンさんだってアナログな腕時計をしているではありませんか」
「ん? ああ、これか。これは俺の義理の父、つまりリンダの父さんからもらったんだ。今でも大事に使っているよ」
イアンは妻リンダと娘ミレイナと一緒にこの艦に乗り込んでいる。仲が良い家族で正直羨ましい。
(僕も、何もなかったらルイスと結婚できてたかな……)
ルイスに贈った指輪。爆撃で指を吹っ飛ばされてもう指輪を嵌められないと泣いた彼女。
(沙慈、ごめんね……)
あの指輪は捨ててしまっただろうか――。
いや、そんなことはない。沙慈はルイスを信じていた。
あんな勝気な彼女が泣いていた。それだけで沙慈には戦う理由は充分ある。ただ、心配なのは――絹江のこと。
アロウズが絹江に手出しをしなければいいが。
「まぁ、そう考え込むと煮詰まっちまうぜ。――来いよ。食堂はまだやってる」
イアンは沙慈の部屋を出ようとする。
「置いてくぞ」
「あ……すみません」
戦争はどうしたらなくせるだろう。理不尽に虐げられる存在をなくすにはどうしたらいいだろう。
考えることだ――。
とにもかくにも考えることだ。本当に戦争になったらそれどころではなくなるかもしれないけれど――平和への糸口にはなる。
食堂ではライル・ディランディとスメラギ・李・ノリエガが難しい顔をして食事をしたためていた。
「ライルさん、スメラギさん、おはようございます」
「おはよ、沙慈。――アンタも今から朝飯かい」
「はい」
「早くしないと昼飯になっちまうぜ。――と、人のことは言えねぇな」
ライルはマカロニを口に運んだ。イアンはライルの隣に座った。
ライルはニールと双子だから、もしニールが眼帯を外したらどっちがどっちだかわからないな、と沙慈は思った。
「うめぇぞ。この料理。お前も食えよ」
「――いただきます」
「兄さん、無事かなぁ……」
ライルの話ではニールからは何の連絡も来ていないらしい。ライルはぼうっとしながら考えに耽っていた。
ニールは連絡をできない状態にいるのだろうか――。アロウズは彼にどんな酷いことをしているのだろうか、と沙慈は心配になった。
「何だか、嫌な予感がするわ。アレルヤもティエリアも今はいないし」
「アレルヤとティエリアは自分の意志でアロウズに行ったんだろうが」
「そうね……でも……」
スメラギは浮かない顔だ。彼女は口元をナプキンで綺麗に拭く。口紅は落とさないようにして。
端末のコールが鳴った。
「兄さんからだ!」
端末にはメールが入っていたらしい。ライルは眉を顰めた。
「刹那からだ。兄さんはリボンズに呼ばれたらしい」
「まぁ……」
「ミス・スメラギ、アンタの予感当たりそうだぜ。水面下でのリボンズの噂には不穏なものが多い。最近、イノベイターとかいう新しく地上に現れた奴らを保護しているみたいだがな」
リボンズ・アルマーク。亡くなったアレハンドロ・コーナーの小姓だった男だ。アレハンドロが亡くなってからもちょくちょくメディアに現れている。少年らしさを残したハンサムな青年だが、沙慈はうさん臭さを感じていた。
「ライルさん……メール、見せてもらえませんか?」
「いいぜ。ほら」
その文面は簡素なものだった。
『ニールがリボンズに呼ばれた。俺達はまだ足止めを食らう羽目になるかもしれない』
ニールはガンダムマイスターのリーダーだ。わざわざリボンズに呼ばれたと刹那が書き送ってくるのは、何か危機を孕んでいるのかもしれない。
「ニキータは……どうなったのかしら」
スメラギの言葉にライルは首を振った。
「それが……どうなっているのかよくわからないんだ」
「私にもわからないわ。王留美もアロウズに行ったきり帰ってこないし――」
「クラウス呼ぶか」
「待って。下手に動いたら相手の思う壺かもしれないわ」
「だからと言って放っとく訳にはいかないだろう。俺は行く。イアンのおやっさん」
「おう。俺のことなどとっくに目に入っていないのかと思ったぜ。ケルディムは用意させてもらう」
「僕も行きます!」
「おう! 沙慈!」
彼らが仲間だと言えるかどうかはわからない。けれど、彼は自分の未来をこの人達に託すことにした。イアンが真面目な顔をして頷いた。そしてこう言う。
「エクシアも今から発進可能な状態にする。なぁに、もう充分戦えるさ。俺達も頑張ったんだぜ」
2015.11.25
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