ニールの明日

第百五十一話

 シルクのガウンを羽織ったカティ・マネキンは気怠そうに枕元の時計を見遣った。
「――もうこんな時間か……」
 大きなプロジェクトが終わり、休暇をもらったところだった。カティは惰眠を貪るタイプではないがつい寝過ごしてしまった。
 昨日は王留美と、それからグレンとかいうゲリラ兵あがりの男との結婚式があったと聞いていたが。
 まぁ、つまらない男や女ども相手に作り笑いするより仕事の方がいいがな――。
 ――電話が鳴った。
 誰だ?
 何の心当たりもなかった。もしかして仕事で何か失敗が見つかったとか?
 そんなことはない。自分は完璧だったはずだ。
 カティは一見昔風の電話の受話器を取る。カティにも懐古趣味があるのだ。この格好では相手に失礼だと思ったので画像はOFFにしてある。
「もしもし――」
「大佐~」
 相手はカティの頭痛の種、パトリック・コーラサワーであった。
「あなたのパトリック・コーラサワーがモーニングコールしに来ましたよ~」
 ガチャン。
 カティは受話器を乱暴に置いた。
 すぐさま電話が鳴った。カティは仕方なくまた取る。
「酷いっすよ、大佐~。すぐ切っちゃうなんて~。あ、もしかしてあれっすか? 照れ隠し?」
「私は休みなのだ。コーラサワー。馬鹿話に付き合っている暇はない」
「どんな格好で寝てるんですか~? あ、もしかして裸……」
 カティは今度こそ次は本当に取らないつもりでパトリックからの通信を切った。
 あれ? 私は何をするつもりだったんだっけ?
 カティはパトリックに貴重な時間を邪魔されて髪の毛をくしゃくしゃに掻き毟った。
 取り敢えずは――寝るか。
 二度寝は久しぶりだったかもしれない。案外快適で、カティはすうっと寝入ってしまった。そのカティの寝顔をもし誰かが見ていたら少女のようにあどけないと思っただろう。

 ルイス・ハレヴィは朝の支度を整えて廊下に出た。
 アンドレイ・スミルノフがやってきた。
「おはよう、ルイス」
「――おはようございます。アンドレイさん」
 アンドレイの知っているルイスはかっちりとした真面目な軍人だった。昔は我儘だったという噂もあるがアンドレイは信じていない。
 けれど、アンドレイの知らないルイスがいるのは事実なようで――。
 ルイスはすぅっとアンドレイの隣を通って行ってしまった。
 ソーマ・ピーリスがアンドレイを見つけて手を挙げた。そして言った。
「アンドレイ!」
「ソーマ……」
「どうしたの? 元気ないわね」
「そうかもな……」
「ルイス・ハレヴィさんのこと?」
「ああ――彼女は僕なんか何とも思っていないようだがね……」
「がんばって。アンドレイはいい男なんだから」
「――ありがとう」
 アンドレイとソーマも傍からは仲の良い男女に見えるだろう。でも、彼らは兄妹なのだ。例え血が繋がっていなくても。
 それに――今はそれぞれに好きな相手がいる。
 ソーマはセルゲイ・スミルノフが好きだ。その感情を言い表すならば恋という言葉がぴったりだとアンドレイは思う。けれど、セルゲイは亡き妻を未だに愛している。
 難儀な恋をしているな。お互い――。
 アンドレイは溜息を吐いた。自分の為に。ソーマの為に。
「先に行ってるわね」
「ああ」
 ソーマ・ピーリスも行ってしまった。
 父はソーマと結婚するといい。――と、アンドレイは本気でそう思う。どちらも大好きな存在だから。
 ――なんて……ソーマはともかく父のことについては……俺はまだ親離れできていないんだろうか。
 アンドレイはどのような形であれ彼らには幸せになって欲しいと願う。
 父さんも身を固めればいいんだ。そりゃ、母さんをいつまでも忘れないでいてくれるのは嬉しいけど。
 ソーマはセルゲイの娘だ。アンドレイにとってもソーマは可愛い妹だ。だけど……ソーマの恋が実ったらそれはそれで嬉しい。
 王留美が羨ましい。あんな高い地位にありながら愛する者と結ばれたのだから。
 アンドレイも軽く首を振ると仕事場へ向かった。

「はぁ……」
 ビリーは盛大に溜息を吐いていた。ストレスで胃に穴が開きそうだ。胃薬はどこだっけか……。
「やぁ、ビリー」
 ――鍵をかけておくべきだった。ビリーはひょんなところで迂闊である。入って来たのは彼の親友グラハム・エーカーであった。
「そんなに辛いのか? 研究は」
「――辛そうに見えるか?」
「見える」
 グラハムはきっぱりと言い切った。ビリーはどっと疲れが出た。
「時々君が羨ましくなるよ……」
「何かあったのか?」
「聞いてくれるか?」
「勿論」
「君も知らぬ存ぜぬではいられないよ。それでも?」
「水臭いなビリー・カタギリ。私達は仲間ではないか」
 グラハムの真っ直ぐな視線を見るのが辛い。だけど、誰かに聞いて欲しいという誘惑の方が勝った。
「リボンズがガンダムマイスターを場合によっては拷問しようとしている」
「場合によって……とは?」
「協力しなかったらそれ相応の反撃をするということだ」
「そいつは許せんな」
 グラハムは顎に親指を押し当てた。
「だろう? 人道的な立場から言っても……」
「いや、私が言いたいのは少年に手を出すことは許せないということだ。他はどうだっていいが」
 グラハムがソファに腰かける。
 ビリーは思った。この男にまともな答えを期待した僕が馬鹿だった――と。
 コールが鳴る。リボンズからだった。ビリーは些かげんなりしながらタッチパネルを押した。
「リボンズ……」
「リボンズ・アルマーク。話がある」
 ビリーが言いかけたのをグラハムが遮った。
「やぁ、グラハム・エーカー。それとも、今はミスター・ブシドーだっけ?」
「どちらでも。話がある。――刹那・F・セイエイには手を出さないでくれ給え」
「刹那以外ならいいのか?」
 リボンズの顔には有無を言わせぬ迫力がある。
「例えば、ニール・ディランディなんかは?」
「そいつは好きにしてくれ。私の恋敵だからな」
「グラハム。冗談は止してくれ」
 ビリーが止めようとする。
「何を言っている。ビリー。私は本気だ」
 この男が僕の親友なんだもんなぁ……。ビリーは自分の人間関係の恵まれなさを嘆いた。どうしてどいつもこいつも変わり者ばかりなんだ。第三者から見ればビリーも変わり者ではあるのだが。
「わかった。刹那には手を出さない」
「え? 本当に? 彼もガンダムマイスターだろう?」
 ビリーが驚いて言った。まさかリボンズが手心を加えるなんて思わなかった。リボンズが続けた。
「その代わり――ニールはどう扱ってもいいだろうな。そう浮かない顔をするんじゃない、ビリー。ニールが僕に手を貸すことに賛成すれば酷いことはしない。約束する。ニール・ディランディは実質ガンダムマイスターのリーダーだからな」

2015.11.15

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