ニールの明日

~間奏曲7~または第八十二話

「イアンのおやっさんが? 一体なんだろ」
 と、ニール。
「あまり急いではいないようだから、少し我々と話さないか?」
「それはいいんだが……いつからそこにいた?」
 ニールはヨハンに訊いた。
「ああ――君達がルイスの話をしている時からだ」
「立ち聞きしていたのか?」
「悪いとは思っている」
 ヨハンは無表情で答えた。
 ――ミレイナはそっとその場を離れた。

 フェルト・グレイスは自分の部屋に戻っていた。
 クッションを抱いてほおっと溜息を吐く。恋する乙女さながらだ。
 コンコンコン。三回ノックが聴こえた。
「グレイスさん」
「ミレイナ……」
「ちょっと……いいですか?」
「どうぞ」
 ミレイナはベッドに腰かけているフェルトの隣に座った。
「お茶でも飲む? ミレイナ」
「はいですぅ」
 ミレイナもフェルトの後をついてきて、
「何か手伝いますか?」
 と言った。
「ううん。ミレイナは待ってて」
「でも……こういう時ママだったら『手伝いなさい』って言いますぅ」
「いいお母さんを持ってるわね」
「はいですぅ。自慢のママですぅ」
 ミレイナは満面の笑みを浮かべた。フェルトは心が和むのを感じた。
 ミレイナはここでは既に人気者だ。きっと、どこででも人気者になるだろう。両親にも愛され、大切にされているのがわかる。
「じゃあ、そこの戸棚からクッキー出してくれる?」
「はいですぅ」
 クッキーは戸棚のガラス張りの部分の中にある。ミレイナはすぐに見つけたらしい。
「これでいいんですね」
「うん」
 フェルトはお湯を沸かす。
「お湯が沸くまであちらでクッキーでも食べましょ。ミレイナ」
 フェルトの言葉にミレイナがまたにこっと笑った。――間もなくお湯が沸いたので、フェルトがティーポットにお茶を淹れた。

「グレイスさん」
「フェルトでいいわ」
「では、フェルトさん」
「――なぁに、ミレイナ」
「あの……えっと……こう言うのは失礼に当たるかもしれないんですけどぉ……」
「何かしら」
「フェルトさん、失恋したんですよね」
 ずばりと言われて、フェルトはほんの少し度を失った。
「ええ……まぁ……」
 けれど、怒る気にはなれなかった。――ミレイナの言う通りなのだから。それに、ニールと刹那の関係はずっと前から続いていた。
 クリスが羨ましい。好きになった人と家庭を持てたのだから。
 いや、クリスは元々はリヒティのことを異性として見ていなかった。
 あの時からだ。リヒティがクリスを敵の攻撃から庇ってから。発見者は二人が何故生きているのか疑問に思ったらしい。
 リヒティがクリスにプロポーズしたのも見た。トレミーのクルー達は全員祝福した。――その場にいなかったニールとアレルヤを除いて。
 今、その三人がトレミーに帰ってきている。良かった――とフェルトは思う。例え、ニールと刹那の熱々ぶりを見せつけられようと。
「――ミレイナも失恋したですぅ」
「アーデさん?」
「そうですぅ」
 ミレイナの頬が膨れた。
「ハプティズムさんとアーデさんはお似合いだと思いますし、祝福もしますぅ。でも、この恋心はどこに行くのですか……」
 破れた恋心の行方は――。
 フェルトは思った。ニールへのこの想いは、一体どこで贖われるのか。
 きっと――それは新しい恋への準備。
「心配しなくていいわ。ミレイナ」
 フェルトはクッキーを見つめているミレイナの頭を撫でた。
「また新しい恋が待っているのよ。その人とミレイナは強い絆で結ばれているから」
「そうですよね!」
 そう叫んでミレイナが立ち上がった。
「ミ、ミレイナ……?」
「ミレイナ、アーデさんよりいい人に出会って結婚するですぅ」
 ミレイナ・ヴァスティ。彼女ならきっと引く手数多だろうとフェルトは思った。
 年齢と幼い口調の割に、考えていることは大人びている。それに、天衣無縫でありながら人に気を遣うということも知っている。両親の躾がいいからだろう。
「フェルトさん、一緒にがんばるですぅ」
「そうね」
 フェルトも小さく笑った。何となく、ミレイナといると小動物を見ているようで微笑ましかった。
 私達は、また新しい恋に生きる。
 ――いや、恋よりももっと大切なことがある。
 戦争根絶。
 CBは、今もそのスローガンに向かって走り続けている。
(失恋に泣いている場合ではない)
 フェルトはそう思った。やはり、フェルトもCBの一員なのだ。
 失恋に落ち込むより、己の任務に励むのみ。
 それに――あの時。
 昔、ニールと刹那がキスしているところを見た時から、フェルトの失恋は確定していたのだから。
 ニールと刹那を応援しながらも焦がれる心。
(ニール・ディランディ……)
 彼には刹那がいる。――それでも愛していた。恋していた。でも、今告げよう。
(さよなら。私の初恋)
 ニールに自分の心を告白してから、もうフェルトは初恋と決別することを決めていた。
 ニールは好きだ。刹那も好きだ。でも、それだけ。
 二人のことは密かにでも応援していよう。
「フェルトさん……何かすっごく……きれいですぅ」
「え?」
「後光がさしてますぅ」
「ミレイナったら……ミレイナも可愛いわよ」
「うーん。ミレイナは……ミレイナもきれいと言われた方が嬉しいですぅ」
「ミレイナは私なんかよりずっときれいになるわよ」
「わぁい。フェルトさん、ありがとうですぅ。フェルトさん、お互いに恋愛だけでなくお仕事もがんばるですぅ。一緒にいい女になりましょう、ね!」
 一緒にいい女になる――そうだ。これからも多分いろいろな試練がある。フェルト達もトレミーで戦う女の子なのだから。
 だが、彼女達には未来がある。感動することにもたくさん出会うだろう。それが彼女達を綺麗にする。
「ええ」とフェルトは心が柔らかくなるのを感じながらミレイナに答え、戦争の合間の午睡の時間に揺蕩っていた。

2013.11.15

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