ニールの明日

第八十九話

「オーライザーの初仕事、おめでとさん。刹那。兄さん」
 ライル・ディランディはスパゲティーナポリタンをちゅるるるっと啜った。
「俺もついて行かなくて本当にいいのか?」
「必要ない」
「同じく」
 ライルの言葉にニール・ディランディと刹那は簡潔に答えた。
 朝の食堂。笑いさざめき合う声。人の生活の匂い。
 ここも人が増えたな――とニールは思った。ちょっとした大所帯だ。
「あれ?」
 ニールは片隅でパンを食べている若い女性を見つけた。スメラギ・李・ノリエガだ。
「俺、ちょっと行ってくる」
 ニールは席を立ってスメラギの方に歩み寄った。
「やぁ、ミス・スメラギ」
「おはよう、ニール」
 ニールを見かけた時、スメラギは少し嬉しそうな顔をした。あくまでも、ある程度親しい友人に出会った以上の感情は浮かべなかったが。彼女はちょっと疲れているようだ、とニールは思った。
「オーライザーに搭乗しての初仕事ね。おめでとう」
「やだなぁ。ミス・スメラギまでライルと同じことを言うんだな」
「でも、名誉なことでしょ?」
「違いない」
 スメラギは、コーヒーカップの中身を覗き込んでいる。カップからは白い湯気が立っている。挽かれたコーヒー豆の匂いが広がる。最近は合成コーヒーも進歩したものだとニールは感心した。
「ニールさん」
 マックス・ウェインが声をかけた。
「今回はありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです」
「いやいや。味方を得て百人力ですよ」
 中東のカタロン基地のことについては、ライルの方が詳しいかもしれない。
 ――ああ、そうか。だから、ついていかなくていいのか?とライルは訊いたのだ。
 兄思いのいい弟だよ、本当に。
 死ぬ前に、会えて良かったと思っている。あの時、本当は俺は死ぬ運命だったのではないかという気がしている。もう、そんなことを何度も考えた。
 助かったのは、何かをやる使命を遂げる為。
 それに、刹那。
 ああ――刹那・F・セイエイ。彼の為なら死んだっていいと思っている。もしかしたら、実の弟のライルより愛しているかもしれない。
 それでいいんだ。ライルにはアニューがいる。
 皆それぞれパートナーを見つけて――。最後には、皆で幸せになるんだ。
 それなのに、そう思うのに、何でこんなに切ないのだろう。
「どうしたの? ニール」
 スメラギが心配してくれている。
「いや――何でもない」
 そう言った自分の顔はどこか青ざめてはいまいか。ニールは一瞬こめかみに手をやった。
「よう、ニール。元気出せよ」
「おやっさん」
 イアン・ヴァスティが軽く肩を叩いた。
「オーライザーに乗るのがそんなに不安か?」
「いや――」
「大丈夫。おまえさん――いや、おまえさんと刹那ならな」
「ありがとう」
「オーライザーを使いこなして、お嬢様の度胆を抜いてやってくれ」
 お嬢様――王留美のことだ。
 だが、イアンはまだ知らない。王留美がCBの当主を辞める決意をしていることを。そして、ニールには王留美の気持ちがよくわかるのだ。
(俺も――刹那と一緒に二人きりで暮らしたい)
 しかし、まずそれには平和を取り戻さなくてはならない。アロウズを何とかしなければならない。だが、アロウズを片付けても、第二、第三のアロウズが出てこないとも限らない。
(所詮、戦うしか能がないのか、俺達は)
「ニール」
 呼びかけられた。刹那だ。
「あまり根を詰めるな。おまえは――本当は真面目だから」
 そして――刹那はニールの長めの茶色の癖っ毛に頭をぽんと置いた。
「ニール――俺も大人になった。おまえのサポートぐらい、できる」
 それを聞いて、ニールは嬉しくなった。
「ばっか。今は俺がおまえをサポートする番だよ」
 そんな二人をイアンはにやにや眺め、スメラギが儚い微笑みを浮かべた。マックスも穏やかな笑顔だ。
「上手く行くといいな。あの二人」
「本当ね」
 顔を見合わせてそう言ったイアンとスメラギの表情が柔和さを増した。
「あー、つまんない」
 向こうのテーブルでは跳ねっかえりのネーナが我儘を言っている。
「俺達の出番、まるっきりねぇんだもんな」
 と、彼女の兄のミハエル。ネーナの隣にいた沙慈・クロスロードが言った。
「そんな――ネーナさん達は大切な証人だって」
「何の証人よ」
「アレハンドロ・コーナーの悪事を暴く役だ」
 ヨハンは静かに答えた。
「ネーナやミハエルはともかく、私は自分のやるべきことを心得ている」
 ヨハンの台詞を聞きながら、ミハエルがアイスをしゃくった。
「アレハンドロはアロウズにとっても敵だからな。ヤツはもう死んでしまったが」
「しかし、リボンズ・アルマークが裏で糸を引いてたということはアロウズなら知っているはずだ」
「案外アロウズも操ってたりしてな。リボンズの野郎は。ああいうヤツほど立ち回るのが上手いんだ」
 ミハエルは大声で笑った。周りはしん、としてしまった。
「ヨハン兄もリボンズとよく会ってたろ? アレハンドロのお小姓の」
「リボンズ……確かに読めないところのある男だ。しかし……ここでする話題ではないな」
「――ああ」
「すみません。食事を続けてください」
 凛と張った声が沈黙の食堂に響く。それをしおに、ニールと刹那がライルのところに戻ってきた。
「クラウスのことだったら、俺の方がわかっているから、俺もついて行った方がいいんじゃないか?」
 ライルはまたしても同じことを言う。刹那は生真面目な顔で、
「あそこには俺の知り合いがいる」
 と答えた。
 グレン、ダシル、マリナ姫、シーリン――。
 そして、クラウス・グラード。
 あの基地にいたのはそう長くはなかったのに、そして、ここに帰って来てからあまり経っていないのに、訳もなく懐かしい。
(あいつら、どうしているかな)
 ニールは遥か彼方に想いを馳せた。
 王留美はもしかしたら自分で行きたかったのかもしれない。彼女は男でもないのに、無理矢理CBの当主に祭り上げられ、そして重責を負わされた。24世紀には男女の社会的地位の差が殆どなくなったとは言え。
 王留美も環境の被害者であったのかもしれない。
(大丈夫だ。お嬢さん。俺と刹那がアンタとグレンに手出しさせはしない。例え相手がアロウズであろうとも)
「あら?」
 ネーナが何かに気が付いたようだ。
「刹那もいいし、私の本命は刹那だけど、やっぱりニールも素敵かも……」
「おいおい、ネーナ……カンベンしろよ。ホモが義弟だなんてごめんだぜ」
 ミハエルが野次を飛ばしながら、だが、牽制するように鋭い視線をニールにくれた。
(ネーナのお守りなんざ、こっちから願い下げだぜ)
 確かにネーナは可愛い。しかし、ニールには刹那がいる。それでなくとも、ネーナ・トリニティはニールの好みではない。

2014.2.10

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