ニールの明日
第八十五話
「わっ、すまん」
「――邪魔したな」
ニールと刹那は逃げ出そうとする。
「待て!」
「待ってくれ!」
アレルヤはニールの襟首を、ティエリアは刹那の襟首をそれぞれ掴む。
「でも……おまえら、そのう……」
「まぁ、確かにその予定だったんだけどね……」
直接話法が苦手らしいアレルヤが照れて俯いた。
「大事な話なんだろうな」
ティエリアはぴりぴりしている。いいところを邪魔されて怒っているんだろうか……いや、前のティエリアに戻っただけだ。
「ああ……そう思うが」
刹那が頷いた。
「それは……?」
アレルヤが酒瓶に目を止めたらしい。
「ああ、これか。酒でも酌み交わしながら話し合いたいと思っていたんだが……なぁ」
ニールがウィスキーに視線を落とした。
「でも……今からでは……肝心な時に役に立たなくなっても困るだろ……」
ニールは言葉を濁した。アレルヤが宣言した。
「僕は、酒ぐらいでティエリアを抱けなくなるようなやわな体はしていない」
ティエリアが顔を覆った。
「馬鹿……」
「おまえ、意外と大胆なんだな」
アレルヤの発言にニールは呆気に取られた。
「でも、酒は控えた方がいいと僕は思うな。せっかく回復したばかりなんだし」
ティエリアが忠告した。アレルヤが嬉しげに微笑んだ。
「ティエリアがそう言うなら……」
ああ、やってらんねぇ。こんなことなら部屋に帰って刹那とヤリまくった方がいいぜ。
アレルヤとティエリアの二人にあてられながら、ニールは思った。
しかし、そんな場合でもないのだと、ニールは思い至った。どんなに刹那とヤッた方が時間の有効な使い方だったとしても。
「アレルヤ……おまえ、もう一人の自分がいるって話をしたことがあるよな」
それは随分昔の話のようにも思える。どこで聞いたのか、記憶が定かではない。
「そうだね……ハレルヤのことか」
ハレルヤ――
ハレルヤ・ハプティズム……か。
確かにアレルヤの所縁の者だと知れる名前だ。
「俺は、もう一人のおまえ――ハレルヤの思念を捉えた」
「ハレルヤの?」
刹那の言葉に、アレルヤは意外そうな声を出した。
「ハレルヤは、何か伝えたかったんじゃないだろうか……」
「でも、何で、君に?」
「――わからない」
刹那が左右に首を振った。
「ただの偶然かもしれない。思念がどことなく――おまえに似ていた」
「ハレルヤ……」
アレルヤが唇を噛んだ。
「水臭いじゃないか。僕に何も言わないで」
アレルヤは独り言を言う。ティエリアが眼鏡のブリッジを直した。そして言った。
「刹那・F・セイエイ。君は――新しい力に目覚めつつあるのかもしれんな」
「新しい力……」
「今の僕にはわからない。ただ、君は前と違う」
前と違う。確かにそう思う。けれど、それは自然な成長ではないのか。
刹那が拳を握った。
「だとしたら――それは何なのだ」
「イノベイター」
ティエリアの紅唇から言葉が漏れた。
「今の君はイノベイターかもしれないし、そうでないのかもしれない」
「ティエリア……」
「それにニール……君も変だ。僕も気がつくべきだった」
「え? 俺……?」
「何故おまえは死ななかった……いや、生きていてくれて嬉しいのだが」
「そりゃどうも」
ニールは軽く頭を下げた。
自分が生還できたことは、ニールにとっても謎のひとつだった。
――だが、ニールは知能は高いが、自分のわからないことは簡単に切り捨てる癖があった。その癖さえなければ学者になれたかもしれないのに――。昔、アレルヤはそう言って笑っていた。
けれど、刹那は――。
ニールにとって刹那は初めて関心を心から寄せた相手である。刹那もそうであるだろうと信じている。
けれど、刹那のことばかり考えているには、ニールの身にはあまりにもいろいろなことが起こり過ぎた。
刹那の失踪、砂漠での事故、刹那との再会……。
そして、問題はやはり、自分の生還に行きつく。
(俺は何で生き返ることができたのか……)
「ティエリア」
彼は何も知らないかもしれないし、知っていたとしても教えてくれないかもしれない。だが、敢えて訊く。
「俺は――宇宙で漂っていた時に、緑色の光に包まれていたそうだ」
ティエリアは顔色を変えない。
「それで?」
「刹那も……自分が青い光に包まれたことがあると言っていた。そうだ、その時、俺も緑色の光に包まれていたと言っていたな。刹那。そして、交わって青緑の光になったと」
刹那が真面目な顔で首を縦に振った。
「そうか……」
ティエリアは顎を撫でた。
「そのケースは……僕は知らない。ただ、ニールと刹那。君達二人は進化を遂げようとしているのかもしれない」
「進化……」
「イノベイターは進化の途上にある。それはひとりひとりによって違う――と僕は思う」
「歯切れが悪いな。ティエリア」
「データ不足なものでね」
「それで、ハレルヤは……」
アレルヤがおずおずと口を挟んだ。ティエリアが答えた。
「彼か。彼も――ということは君も、進化を遂げようとしているのかもしれない。だが、ニールや刹那とは別の形でだろうな」
「刹那。ハレルヤは、君に迷惑をかけなかったかい?」
まるで保護者の台詞だ。ニールは笑いを噛み締めながら刹那の次の言葉を待った。
「ハレルヤという奴は――俺に何もしなかった。ただ、俺がハレルヤの思念を捉えた」
「刹那とハレルヤ……か」
アレルヤは吐息と共に呟いた。
「僕には――ハレルヤの声が聴こえないんだ」
「何だって?!」
ティエリアが驚いたように叫んだ。
「君、そんなこと一言も――」
「僕とハレルヤは統合したと思ったんだが――刹那の話を聞くと、どうやらそうでもないらしい」
「俺は……少しも知らなかった。アレルヤ。おまえとハレルヤの関係も」
と、刹那がアレルヤに向かって言った。
2013.12.19
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