ニールの明日

~間奏曲その2~または第五十四話

ソーマ・ピーリスは、リビングにいるセルゲイ・スミルノフと自分の分のコーヒーを煎れた。
「おお、すまない。モカか。いい香りだ」
セルゲイは一口飲んだ。セルゲイのあざは名誉の負傷の跡だ。彼は『ロシアの荒熊』とあだ名されてもいる。
ソーマも自分で煎れたコーヒーを口に運ぶ。
シックな内装の部屋。無駄なものはない。パチパチと暖炉の火がはぜる。もう十一月なのだ。この地方の冬は早い。
「で、話とは何ですか?」
ソーマがきく。
「うむ、そのことなんだが……」
セルゲイが一拍置いた。そして続けた。
「ピーリス中尉、君は私の養女になる気はないかね?」
「大佐の?」
ソーマがこころもち目を見開く。
「ああ。妻が亡くなってから今まで、アンドレイと二人で寂しいクリスマスを送っていたんだが、今年は君も一緒に……」
「大佐が、私の父親……」
嬉しい。
その思いが先に立った。だが……。
(私は人をいっぱい殺している……そんな私が人並みの幸せを求めていいんだろうか)
「すみません……少し、考えさせてください……」
「ああ、良い返事を待っているよ」
セルゲイは頷いてコーヒーを飲み干した。
「ご馳走様。さてと、教会に行くかね」
「教会……ですか?」
「ああ。息子のアンドレイがいるはずだ」
こじんまりとした教会では、赤がかった茶色の髪の青年が熱心に祈っていた。
「アンドレイ」
「……父さん?」
「邪魔したか?」
「いいえ。隣の女性は?」
「ソーマ・ピーリスだ」
セルゲイが紹介した。
「あ、お話はかねがね父から聞いております」
「……宜しく」
アンドレイが手を差し出した。暖かそうな手た。ソーマは思った。
(大佐に似ている……)
ソーマはそっと握手をした。
「実は、この娘を養女にもらいたいと思っているんだが、まだ返事はもらってないんだ」
「そうですか……でも、義理でも妹ができるのは喜ばしいことです。……ちょっとピーリスさんと話させてくれませんか?」
「ソーマ、とお呼びください。それから、呼び捨てで結構」
「わかりました。ソーマ、ちょっと外に出よう」
二人は外へ連れ立った。吐息が白い。
「僕はね、この時期の空気が大好きなんだ。精神がぴりっとさせられる」
アンドレイは言った。似たようなことをセルゲイからも聞いたことがあるのでやはり親子なのだと、ソーマはくすっと笑った。
「父から聞いたかもしれませんが、僕には母がいません」
「大佐の奥さんは確か……遺体も行方不明だとか」
「多分戦死したのでしょう。もう生きてはいないと思います」
そこでアンドレイは口をつぐんだ。何かを言おうか言うまいか迷っているらしい。だが、結局口を開いた。
「……母は父に見殺しにされたのです」
「え……?」
突然のアンドレイの告白に、ソーマは一瞬頭が真っ白になった。
「そんな顔しないでください。……やはり父はその話はあなたにしていなかったのですね。でも、僕は父を恨んではいません。その時のことは父から全て聞きましたし、母は僕が小さい頃から『私に何があっても、お父さんと仲良くね』と言い聞かされてましたし。当時のことについては……仕方なかったんです。でも、父はそのことを悔やみ過ぎる程悔やんできました」
「…………」
「それに……母が死んだ後、父は教会で祈っていました。僕はそれを見ていました。父は……僕に声をかけました。『こっちに来ないか、アンドレイ』と」
「…………」
「一緒に祈った後、父は言いました。『これからは二人だな』と。僕にはそれが、これからは二人でがんばろう、という意味に聞こえました。あの時、父が話しかけなかったら、僕達はずっとわかりあえなかったままだったかもしれません」
――ここにも戦いで傷ついた人がいる。
けれど、アンドレイは父親と強い絆で結ばれている。彼の話でそれが伝わってきた。
ああ、それにしても――苦悩するセルゲイを傍で見ていたアンドレイの苦悩は如何ばかりであったことか。 
「私は……人をいっぱい殺してきました……」
ソーマが呟く。
「僕もだよ。軍人だからね。けれど、生き抜くことが死せる者への供養じゃないかな」
「死せる者への……」
それでは、いいのだろうか。幸せになっても。普通の娘として暮らしても。
教会へ行く道すがら、大佐は言った。
「君にはもう前線には出てもらいたくない、命を奪い合う戦争には巻き込まれて欲しくない」
と。
「私はもう遅いがね」
大佐は自嘲するように唇を歪めた。
ソーマは超兵である。彼女もまた、戦う為に造られた存在だ。
そういえば……あの子はどうしているだろうか。まだ自分が実験台にされていた時、話しかけてくれたあの子。
(マリー)
アレルヤ……。
私がつけた名前だ。アレルヤ。神を喜び讃える名前。
あの子も多分超兵だ。あの子に似た男に会ったことがあるが、私はもう無垢だったマリーではない。超兵のソーマ・ピーリスだ。
けれど、セルゲイが望むなら、彼の養女となって一人の娘として暮らすのも悪くはないのかもしれない。
少なくとも、もう二度とこの手を死んだ者の血で汚すことはないのだ。
(神よ……私を赦してくれますか?)
ソーマは、反射的に上を見上げた。
空が青い。




2013.1.6


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