ニールの明日

~間奏曲3~または第五十八話

それは、王留美達がCBに帰る少し前の話。

「ご飯ができましたよ」
シーリンが食事を持ってきた。
「わー、うまそう!」
「いい匂いー」
子供達がはしゃぐ。平和な夕餉の光景だ。
王留美達はカタロンの基地に一時的に滞在していた。
問題は山ほどある。アロウズとの折衝をどうすべきか。カタロンとの協力体制は如何にして落ち着くのか。アレルヤを救うにはどうしたらいいのか。
ガンダムはどうなるのか。
(CBのことを考えるのは本来ならお兄様の役割なのに……)
王留美は恨めしそうな目で兄、紅龍を見遣る。
紅龍が唱える論はあまりにも理想的且つ平和主義的で、妹の王留美の方が頼りになると担ぎ上げられたわけだが、そんなことはない。権力者達が自由にCBを操る為の妄論だ。
王留美を傀儡に仕立て上げようとした輩にとって予想外だったのは、彼女が王家の当主として充分過ぎる程に優秀だったことだ。彼女は大胆な策を次々に打ち出し、世界に革命を起こした。
年若い彼女を利用して甘い汁を吸おうとした連中はやがて翻弄され、右往左往していた。今度のカタロン支援も、紅龍はまたか、と思ったことであろう。しかし、今度は意味合いが違っていた。それは……。
(グレン……)
グレンは生まれて初めてといっていいぐらい、王留美の心を少しは動かした男であった。いや、紅龍ほどではないが。しかし、彼とは血の繋がりはない。
王留美も結婚を考える年頃だ。相手は勇敢な男がいい。たとえそれが少々血の気の多過ぎる者であったとしても。
(何考えているのかしら、私)
グレンが自分を見る時の眼差しが思いの他優しくて。自分のことを憎からず思っているみたいで。
(あ、また)
目が合った。王留美は急いで目を逸らした。
(これじゃ、貴方を意識してます、と言っているようなものではないの……)
でも、さっきはグレンが微笑んでくれたような気がした。
(こんな気持ち、初めて……)
「皆さん、お席に着いてくださいませ」
と、マリナ。
マリナ・イスマイールはアザディスタンの姫で誘拐されたというのにもう環境に順応してしまっている。流石ただ者ではないと王留美でさえも舌を巻く。
「このご飯はマリナ様が作ってくださったのですよ」
シーリンはどこか得意そうだ。
「シーリンも手伝ってくれたわね」
「あら。でも大部分はマリナ様が作ったのよ」
「ふふっ」
マリナが笑った。その時だった。
外から機関銃に襲われた。窓が壊れる。壁に穴があく。
子供達がえーん、えーんと泣く。
「また悪い奴らが来たよぉ」
「落ち着いて。すぐ止むから」
シーリンがぐずる子供を抱き寄せて頭を撫でる。彼女もマリナと同じで子供の扱いに長けているらしい。
「何なんですの?これは」
「『青い九龍』と言うケチなレジスタンスよ。前々からここの土地は自分達のものだって主張してやまないのよ!」
「応戦しませんの?!」
「いつもの嫌がらせよ。すぐに止むわ」
だが、シーリンの言葉とは裏腹に敵側の攻撃が止む気配はない。
「なんてしつこいの!」
シーリンが怒気を放つ。ガーターベルトから銃を取り出す。
「ジーン1、みんなを避難させて!」
「わかった!」
「シーリン!」
「早く逃げて、マリナ様!王留美も!」
「俺は……」
その場にいたニール・ディランディが双子の弟に殴られて気絶した。
「兄さんがいると『俺も青い九龍と戦う!』と言い出しかねないからな」
「……よくやった」
刹那はぼそりと呟いた。
「刹那、兄さんは俺が引き受けるから、アンタらはマリナ姫と子供達の護衛を」
「……わかった」
「それから……」
「私は戦いますわ!」
と、王留美。
「何を言って……」
「いいから!私は貴方がたに協力すると決めたのですから!」
「ライル……」
「悪いな、刹那。俺は女は殴れない」
王留美も武器の扱いには長けている。……世界中の大部分の人が知らない事実であるが。
「お嬢様!」
「紅龍、あなたも手伝って!」
「……わかりました。だけどそれは相手を殺す為ではありません。お嬢様を護る為です」
だから貴方は甘いと言われるんですわ、お兄様。
王留美が心の中で毒づく。決して無能ではないのに、王家の当主に選ばれなかったのは性格が優し過ぎたからであったかもしれない。それとも、王留美みたいな野心が紅龍にはなかったせいか。
(こんなところでは死ねない)
力を手にするまでは。永遠を手に入れるまでは。
王留美が護身用の銃を構える。
何発かの弾丸が王留美に向かって飛んできた。まるでスローモーションのようだと感じた。
「王留美!」
グレンの声がしたかと思うと、王留美は彼に押し倒されていた。何発かの弾丸が王留美を庇ったグレンの背を掠った。
「グレン!お怪我は!」
「大丈夫。かすり傷だ」
グレンが立ち上がる。
「……逃げるぞ」
「え?」
王留美の返事を待たず、グレンは彼女を抱き上げた。
グレンが王留美を抱えながら走り出す。
本来なら、無礼者!と言って平手打ちの一発も食らわせるところなのに。
何故かそんな気が起きなかった。
(どうして……こんなに胸がドキドキするの……)
王留美の手から銃が滑り落ちた。
体中から力が抜けていってしかもそれが決して不快ではない。
(まさか……)
グレンの褐色の肌。大きな手。広い胸。
そんなものが心地好くて……。
グレン達は何とか安全と思われる場所まで着くことができた。彼は王留美をそっと降ろした。二人は互いに向き合う。
「グレン……」
もっと彼と触れ合っていたい。去りがたく彼をじっと見つめていると。
「王留美……!」
グレンも同じ想いだったらしい。彼が王留美の細い体を包み込むと彼女もそれに応える。
世界が時を止めた。
そうだ。王留美もずっとグレンにこうしてもらいたかったのだ。
互いの鼓動が交わり合う。嬉しくて死にそうだ。
「気になって戻ってきてみたら……なぁにやってんだ?おまえら……」
ジーン1ことライル・ディランディが呆れた声を出す。
「ライル!王留美を頼む!」
そう言ってグレンは王留美との抱擁を解くとさっきの場所へと向かって駆けて行く。
ライルが目を離した隙に、王留美も後を追った。
辺りはすっかり静かになっていた。ひっくり返った茶碗だの床一面に散らばったガラスの破片だのが惨状を物語っていた。倒れたテーブルはバリケードにでもしたのだろう。
(初めてここに来た時にあった壁の穴……気になっていたけど、以前の襲撃の名残だったのね)
グレンはシーリン達のいる食堂に一応無事にたどり着くことができたらしい。死角に入った王留美の姿は彼らには見えない。何かを話し合っている。大した内容ではないが。
ドンドンドン。
乱暴なノックの音がする。次いで、こんな声も。
「王留美!いるんだろう?!」
「いませんわ!」
シーリンが声を張り上げる。
「嘘だ!仲間がこのアジトに王留美が入って行くのを見たんだ!おまけにマリナ・イスマイールもここにいるって」
「どうしてそんなことまで……」
「俺が出よう。任せて」
王留美は急いで物陰に隠れる。グレンが扉を開けた。
「王留美……じゃないな!誰だ貴様!」
「グレン!苗字はない!」
「何者だ!」
「兵士だ!王留美だったら今頃豪華な部屋で優雅に食事を取っているはずだ!」
グレンの台詞に王留美は吹き出した。
(とんだフルコースですこと)
「しかし、仲間が見たと……」
「そいつは目が悪いのではないか?」
「失敬な!」
相手の男はかっとなった。
「あいつの視力は俺達の中では一番いいんだぞ」
「まあ、待て。なぁ、グレン。こうしよう。王留美を差し出せばこの基地からは手を引こう。それでいいか?」
「いいわけないだろう!大体王留美は……」
「私だったらここにいましてよ」
王留美が姿を現した。
「王留美……逃げたんじゃなかったのか?」
「こんな時に逃げ出すようでは、王家の当主は務まりませんわ。引っ込んでいなさいな。グレン」
相手の人数は二人。一人は小物だが、もう一人はそれなりに貫禄が身についている。きっとそこそこの地位に就いているのだろう。
グレンは勇敢だろうけれど、王留美もCBの当主として数多くの修羅場を潜ってきている。今回の騒ぎより更に厳しい試練に遭ったこともある。
「さあ、私を連れて行ってくださいな。銃を取り落としたので今の私は丸腰です。……だけど、今度この人達に何かあったら……」
王留美は相手をぎらりと睨めつけた。
「王家の力をもって貴方がたの組織を潰しますことよ」
「王留美……!」
シーリンが悲痛な声を上げた。王留美は彼女の方を振り向いて微笑んだ。
「左様なら。貧乏人の真似事もそれはそれで楽しかったですわ」
そして、相手の方に向き直る。
「さあ、私を連れていきなさい!」
沈黙が辺りを支配した。やがて、地位の高い方と思われる男が言った。
「王留美はいなかった。いたのはただの女だ……長にはそう告げておく」
そして二人はその場を後にした。
「助かったわ。王留美」
シーリンが礼を述べた。
「まだ油断はできませんことよ。さっきは私もああ言ったけど、私が行かなかったことで、あの人達、またここを狙うかもしれない」
「そしたらまた銃を取って戦うまでだわ。……姫様には内緒にしてもらえる?あの方は徹底的な非暴力主義者だから。それに、姫様の手まで血で汚れたら私だって困るしね」
「ええ、シーリン様」
「様は止して。シーリンでいいわ」
二人はお互いに笑みを交わした。
「ああ、酷い有様だ。シーリン、済まない。帰るのが遅くなって」
ドタドタとカタロン支部の基地のリーダー、クラウスが耳障りな足音を立ててやってきた。その後ろにはロードがうっそりと控えている。
「ああ、クラウス、実は……」
シーリンが今までのことをかいつまんでクラウスに話した。
「そうか。それで犠牲者は出なかったのか。それは何よりだ。ありがとう、王留美、グレン、紅龍」
「どう致しまして」
「礼はいい」
「私はお嬢様をお護りしようと思っていただけです」
三者三様の礼を返す。
「青い九龍……あいつらの仲間に気付かなかったなんて……このロード一生の不覚!」
「そんな……ロードが悪いわけじゃないわ。あいつら、レジスタンスというより盗賊に近い連中だから気配を消すのだけは上手いのよ……」
シーリンが必死にロードを慰める。
みんながわいわいいいながら帰ってきた。
「グレン様!もしや道に迷ったのかと思ってましたよ!」
ダシルが言う。グレンは極度の方向音痴なので、心配するのもわかる気がする。
王留美は視線を感じて壁際の方を見遣る。そこにいたグレンとまた目が合った。
グレンが口角を上げる。愛しさを込めた瞳のままで。王留美の頬に血が上った。
(どうしたというのかしら、私……)
グレンに抱きしめられた時の感触を思い出して急に心が踊った。グレンの顔を直視できなくなってつい横を向いてしまった。

2013.2.15


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