幸村に捧げるバラード

 幸村精市が死んだ。
 前から病気ではあったが、それも快方に向かっていた。――それに、彼の死には謎が多い。
 線香の香りに包まれながら、真田弦一郎は手を合わせて冥福を祈った。
 彼と、もう一度テニスがしたかった。笑った顔を見たかった。――彼には生きていて欲しかった。
 そんな願いがもう一度叶うならば、真田だって命を投げ出す覚悟がある。だが、自殺は両親から止められていた。徒に両親を悲しませることは、真田だってしたくはない。
 幸村は生前、神の子と呼ばれていたが、とうとう本当に神に召されたか――。
「真田さん……」
「ああ、越前か……」
 越前リョーマ。白い帽子の小柄な少年。けれど、いろいろな知識に通じている、利発な少年で、なかなか馬鹿に出来ない。真田は密かに越前を尊敬していた。越前はそっと真田に耳打ちした。
「この幸村さんの死――幸村さんは誰かに殺された疑惑がありますよ」
「何……?」
「解剖の結果、幸村さんの体内から毒が検出されました」
「どんな毒だ!」
「分子量の小さな、高い毒性を持つアルカロイドです。――皮膚からも検出されたそうです」
「お前……そんな情報をどこから……」
 越前がクスッと笑った。
「どこでだっていいでしょう」
 越前の笑顔が凄絶に見えた。
「あ、ああ……」
 些か気圧された真田にはそれしか言えなかった。
「毒性の高いアルカロイドを用意できる人物を俺は何人か知ってますが、最有力候補は二人いますよ」
「な、何と……二人も……!」
 真田は頭がくらくらしてきた。幸村精市という男は、試合中に相手をイップスにさせるとはいえ、それ以外は穏やかで、後輩からも慕われるテニス部部長だった。立海大の要だった。
「で、それで、その容疑者は誰と誰なんだ!」
「うわっ、揺らさないでくださいよ――」
「――と、悪い」
「不二先輩と四天宝寺の白石さんです。彼らは、植物を大事に育てていましたよね。白石さんなんか新種の薬草の研究までしてたみたいだし、トリカブトなんてものまで持ってたらしいっスね。――乾先輩も考えられたけど、あの人はデータテニスと乾汁を不味くすることにだけ情熱をかける人だから」
 アルカロイドは植物体に含まれる窒素を含む塩基性の有機化合物である。それ以外にもアルカロイドとして含まれる物質もあるようだ。今では合成アルカロイドなんてものまである始末だ。けれど、確かに植物からもアルカロイドは、採れる。
「不二はお前と同じ青学で、不二はお前の先輩だろう? 先輩を疑うのか?」
「疑惑があれば俺は親でも疑いますよ」
 越前は笑みを浮かべたままである。
「――怖いヤツだな」
「褒め言葉としてとっときますよ」
「越前。幸村が毒殺されたとどこで知った」
 もう一度、真田が越前に訊いた。
「大学病院の医者から。俺のマブダチなんだ」
「そ……そうか……」
 これ以上藪をつついて蛇を出すような質問をしたら、越前に本気で消されそうなのでやめておいた。
「俺、不二先輩に話を聞いてみます」
「じゃあ、白石は俺が担当しよう」
 ――真田は言った。思い当たる節がないでもなかったからだ。
 ただ、あの男には動機がない。
 それは、ゆっくり搾り上げ――いやいや、話をじっくり聞こう。
「頼んだよ。真田さん」
「ああ。白石だったら大阪のはずだ。すぐに向かうぞ」
 越前は幸村家を出て行った。
 テニス部の後輩、切原赤也が現れた。
「あ、副武将、じゃなかった、副部長。 やっぱりここでしたか」
「切原。悪いが俺は行かなければならない」
「そっスか。じゃあ、幸村部長のお袋さんの話し相手は俺がするから」
 幸村の母は、すっかり病人みたくなっていた。
 ――真田は切原に後を任せて大阪行きの新幹線に乗る。新幹線の中で、越前から連絡があった。駅弁を置いて、真田はスマホを取る。メールである。それにはこう書かれていた。
『不二先輩は、白です』
 真田はスマホのタッチパネルをぽちぽちと打った。
『ご苦労』
 ――新幹線は目的地へと向かって行った。

「やぁ、真田クン。元気やった?」
 部室に植物が置かれている。白石蔵ノ介。四天宝寺テニス部部長。不二や幸村と一緒に植物談義をしたこともあると訊く。
「犯人はお前だな」
「何やねん。その言い草――俺が何したっちゅうねん」
「順を追って話そう。――幸村を殺したのはお前だな」
「――は? 真田クンがそんな冗談言えるとは思わんかったなぁ」
「一週間前、幸村が足をくじいた時、『これが効くから』と言って膏薬を渡しただろう。貴様特製の膏薬を」
「それがどないしたん? 好意からやで。んな、殺人事件の犯人やろ言われるなんて心外や」
「あの膏薬に、毒があった」
「…………」
「経皮毒ぐらい俺だって知っている。父上から聞いた。――毒は幸村の皮膚から吸収されたんだな。……薬は毒にもなる」
「――その通りや」
 白石はあっさり認めた。
「越前クンならともかく、真田クンなんかに見破られるとはな――」
 俺なんかとは失敬な――真田は思ったが、口には出さなかった。
「このまま捕まるのも癪やし――ちょっと話でも聞いてもろてええか?」
「あ、ああ――」
 きっちり締め上げるつもりでいた真田は些か毒気を抜かれた。
「俺はな、真田クン。――幸村クンが好きやってん」
「……は?」
「あの美貌、あの才能。神の子としか思えん。――でも、幸村クンにはアンタがいた」
「はぁぁ?!」
 真田が間の抜けた声を出した。あまりにもびっくりし過ぎて。――そして、顔を引き締めた。
「このたわけがぁぁぁぁぁ!」
 真田は白石を思い切り殴った。壁にぶつかった白石の口の端から血が出た。殴られた時に切れたらしい。白石はぺっと血の混じった唾を吐いた。
「これで終わりか――? 真田クン」
「お前をこれ以上傷つけても仕様がない。けれど、何故幸村だったんだ? 俺が邪魔なら俺を殺せば良かっただろう」
 自分で死ぬ気はさらさらないが、幸村の為なら命を投げ出す覚悟は真田にはとうの昔に出来ていた。武士道とは死ぬことと見つけたり。自分も友の為なら――死ねる。そうすることで本当に友の力になるならば。
「幸村ぁ……!」
 真田は号泣する。
「真田……俺はな、幸村を殺したこと、後悔してへんよ。神の子もいずれ年を取る。年老いて衰えた神の子を見たくなかったんや」
「じゃあ、貴様はどうして生きている!」
「後で幸村クン追って自殺するつもりでいたわ。遺書残してな」
「お前は――お前には死ぬことすら許されん。少年刑務所に行け。罪を償え。後、せいぜい長生きしろ」
「真田……」
「寿命を全うせい。白石。それがお前の贖罪だ」
 吐き捨てるように言うと、真田は部室の扉を開けた。
「俺かて――何度死のうとしたかわからへん。でも、どうしても怖くてできへんかったんや……」
 啜り泣きと共に、そんな言葉が聞こえた。真田はドアを後ろ手で閉めた。――溢れる涙は止まらなかった。

 幸村――これで良かったか?
 真田は天上にいると思われる幸村に心の中で語り掛けた。テニスをしていたかつての自分達の空想を空に描く。
 音楽室と思しき部屋からピアノの旋律が聴こえる。何の曲かは真田にはわからない。けれど――これも幸村に捧げるバラードだと、真田は独り決めした。多分、演奏者は幸村の存在など知りはしないかもしれないが。

後書き
2020年4月のweb拍手お礼画面過去ログです。
白石蔵ノ介および白石ファンの方、すみません……。白石はもっといい子です。
毒に使われた物質はフィクションです。
2020.05.03

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