裕太クンの独り言

「だから! そう何度も電話してくるなっつってんだろうが」
「裕太、また彼女からかー? モテるだーね。羨ましいだーね」
 柳沢さんが囃し立てる。皆からは『アヒル』と呼ばれている。それにはちょっと納得。
「誰が彼女からだ! 兄貴からだよ!」
 俺が怒鳴ってやっても聞いてんのか聞こえないのかタオルを振り振り柳沢は行ってしまう。
 俺は不二裕太。青学ではテニスの天才との呼び声も高い不二周助の弟だ。
 けれど、俺のことは皆、『不二周助の弟』としか見てくれない。だからここ、聖ルドルフに来た。
 ここでなら、俺は一個の『不二裕太』という人間として見てもらえる。さっきの柳沢さんだって嫌いじゃない。
 聖ルドルフは俺にとって居心地がいい。環境がいいかどうかは別としてだ。
「んふふふ~♪」
 特徴的な笑い声が聴こえる。観月さん――観月はじめさんだ。
 観月さんは俺をスカウトした人だ。或る意味俺の恩人だ。観月さんは俺の能力を引き出してくれる。まぁ、ワガママなところもちょっとあるけど……。
「電話、代わってくれませんか?」
「――はい」
「んふふふ~。不二く~ん? 裕太クンからルドルフのテニス部の秘密を聞き出そうとしたってそうは……あれ、切れましたね」
「観月さん……」
「んふふふ~。まぁ、いいでしょう。きっと照れ屋さんなんですね。彼は」
「いや……」
 これはとても言いにくいことなんだけど――。
 兄貴は観月さんが嫌いなんじゃないだろうか……。
「んふふふ、仕方ないですねぇ。不二クンも」
 この場合の不二クンは、多分兄貴の方。
 観月さんも兄貴のことは『不二』と認めている訳だ。俺だって『不二』なのに……。
 あれ、何だろう。胸が痛い。
 まぁ、観月さんに恨みがないとは言わない。ツイストスピンショットという肩を壊す危険性のある技を敢えて俺に使わせた。観月はじめという男は勝利の為なら何だってやる。
 けれど、それは俺も知ってて観月さんについて来た。観月さんが俺をどんな風に見てようと。
 ――例え俺が観月さんの勝利の為の駒だとしても。
 でも、兄貴はお気に召さなかったらしい。そりゃそうだろうな。
 俺は兄貴が観月さんを降したことでもういいと思ったが兄貴の方はそうもいかないらしい。
 毎日のように電話がかかってくる。観月さんが出る。電話が切れる。――今までに何度もあったことだ。
 兄貴は観月さんと話をするのも嫌なんだろうな。
 俺は兄貴のことは嫌いではない。だが、いずれ倒す目標だ。そんなライバルと慣れ合う気はない。実の兄弟であってもだ。
 兄貴からは再三家に戻って来てもいいんだよコールを受けているが俺にはそんなつもりはない。そりゃ、長い休みには帰るけどさ。
 俺は聖ルドルフの皆と全国大会で優勝するんだ。
 ツイストスピンショットを使えないのは痛いけど――。
 あの都大会から観月さんの俺の見る目が変わった。どうやら正攻法で力をつけさせてくれるみたいだ。
 初めからそうしてもらえば、観月さんだって兄貴を怒らすこともなかったろうに――。
 あ、俺?
 俺はあんまり観月さんを恨んでは――まぁ、恨みは恨みとして、観月さんの気持ちもちょっとわかるんだ。
 俺にだって悪魔の囁きがあったから。
 越前リョーマの左眼を狙え。
 観月さんは都大会の時にそう言った。
 それが、悪魔の囁きだった。
 俺は観月さんが好きだったし、観月さんの言う通りに戦いたかった。けれど、越前相手に弱点を狙うのはためらわれた。
 あいつとは堂々と戦いたかった。不二裕太として。――同じテニスプレイヤーとして。
 観月さんにそれがわからないはずはないのに……。
 あの人は目の前の勝利を望んだ。俺だって気持ちはわかる。けれど――。
 卑怯な手を使って越前に勝つのだけは嫌だった。負けてもいいから真っ向勝負を挑みたかった。
 観月さんはデータを前より信用しなくなった。これは兄貴のおかげだろうな。
 しかし、兄貴に睨まれながら平常心でいられる観月さんも只者じゃないっつか……俺、観月さんのそういうところはすごいなって思うよ。
 俺だって兄貴は怖いもんな。特に、怒った時の兄貴は。
 あの時、観月さんは兄貴を怒らせた。
 知らないというのは怖いもんだね。兄貴はあれで俺の敵を討ってくれたことになる。
 兄貴は俺のこと――今でもまだ大切な弟して見てくれていたんだ……。
 青学からルドルフに行った俺を。青学から逃げた俺を。
 天才『不二周助』から逃げた男を。
 まぁ、それで観月さんが兄貴を好きになったのは兄貴も計算外だったかもしれないけれど。
 観月さんは兄貴が好きになったらしい。俺が兄貴の電話に出る度に、
「受話器貸して」
 ――と言う。
 おかげで柳沢さん達からは『裕太と裕太の彼女と観月さんが三角関係らしい』なんておかしな噂を立てられたりしたけれど――。
 この場を借りて言う。断じてそんなことはない!
 兄貴はその辺の女より可愛い(俺もこんなこと言うから誤解されるのか?)が、要するに俺の兄だ。観月さんと噂になった方がまだしもだ。
 観月さんはちょっとカマっぽいけどそっちの趣味という訳ではない。男らしいところもある男だ。
 そして――彼のプレイスタイルは変わった。
 データ中心から実践重視へ。勿論、選手に無理はさせない。
 兄貴が、観月さんを変えたんだ。そして、俺を。
 俺はまだまだ兄貴には敵わない。兄貴を越えられない。
 でも、いつか、きっと――。
 俺は兄貴を越えて見せる。
 兄貴は俺を昔の、兄貴の後ばかりついてきた可愛い弟という目で見ているようだけど。
 兄貴がこの前笑ったんで、何笑ってんだよ、と言ってやったら、
「昔のことを思い出してね……」
 という意味深な答えを寄越しやがった。それは俺にとっては黒歴史というわけだが。
 でも、兄貴とはいずれ戦いたい。今度も正々堂々と。不二裕太の名前は伊達ではない。
 後は――実家に帰った時、由美子姉さんのラズベリーパイが食べたいな、と思う。
 しかし、越前に卑怯な手を使わなくてよかった。あの試合、俺は楽しかった。テニスがこんなに楽しいとは思わなかった。勝敗にこだわらずする試合というのがあんなに燃えるものだとは知らなかった。
 あの時、越前の左眼を狙っていたら兄貴に一生軽蔑されていただろう。
 ――それだけは嫌だ。
 兄貴との試合にもし負けたとしても、兄貴に軽蔑されるのだけは嫌だ。
 親父もお袋も姉さんもいい気持ちはしないだろう。そんな勝利、虚しいだけだ。
 俺はそんな虚偽の勝利より輝かしい敗北を選ぶ。
 俺はルドルフで頑張る。兄貴は青学で頑張れ。あのとんでもない一年と一緒に。
「んふふん♪」
「観月さん……」
 まだいたんだ。――そんなことを言うのは失礼にあたるから言わなかったけれど。兄貴だったら言うかもなぁ。優男のくせに結構はっきり物言うから。
「裕太クン、変わりましたね」
「――え?」
 俺は拍子の抜けた顔をしていたことだろう。変わったのは観月さんじゃ……。
「俺、何も変わった気しないんですけど――」
 観月さんはまた「んふふ」と笑った。
「何か――男らしくなってきましたよ」
 そう言って、シャワーを浴びに行きますね、と言って観月さんはこの場を後にした。
 俺は――観月さんがいなくなったのを確かめて、「おっしゃ!」とガッツポーズをした。

 ――そして、今日もまた電話のベルが鳴る。兄貴からだ。
 兄貴は中性的な声をしてるもんだから初めて聞いたヤツは女と勘違いするらしい。もうそんな勘違いをするヤツはルドルフにはいないはずだ――と思うけど。
 観月さんが出て電話が切れる。明日も同じことだろう。――やれやれ。
 おっと、もうこんな時間だ。
 兄貴も兄貴なりに俺の心配をしているらしい。観月さんに対しても相変わらずだ。やっぱり彼のあの「んふふふ」笑いも気に食わないんじゃないだろうか……。

後書き
2019年2月のweb拍手お礼画面過去ログです。
青学の不二周助の弟、不二裕太クンの話です。不二の話をアップしたかったのですが。
裕太クンの独白が少し長い!(笑)まぁ、タイトルが『裕太クンの独り言』ですからね。
2019.03.05

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