リョーマの戦い番外編2 ~リョーマのうた~

「おい、越前、帰らねぇの?」
 越前リョーマにそう訊いたのは、一年先輩の桃城武であった。新部長海堂薫と同じ二年生である。スポーツ刈りのこの少年は、もうすっかりリョーマの兄貴分である。
「桃先輩……」
「あ、荒井だ」
 桃城が言う。桃城の同窓の荒井達はテニスコートに行くところだと言う。
「ま、ちょっと練習やってこうと思ってるんでな」
「お、俺も行きます」
 リョーマの台詞に桃城は驚いたようだった。
「へぇー……越前、お前がこいつらの練習に付き合うなんてね」
「でも……越前は怪我してるんじゃなかったっけ。掘尾程ではないにしろ」
 荒井も目を瞠っている。
「ま、いいけどよ。邪魔すんなよ」
「はい!」
「――どういう風の吹き回しだよ」
 桃城がリョーマにそっと囁く。
「こう言っちゃ何だけど……荒井達の練習見たって、お前に得るもんなんか何もねぇと思うぜ」
 少し前なら、リョーマもそう思ったであろう。だが――。
「俺、怪我でテニス出来ないから――せめて見るだけでも……」
 リョーマにはテニスしかなかった。仲間達よりもテニスが大好きだった。テニスがリョーマの全てだった。
 そのテニスを再び奪われて――今度はテニスの楽しさを記憶したままで――テニスラケットを振ることも思い通りに出来ないと言うのはなかなか辛い物がある。
「――わかった。俺も見てる」
 そう言って桃城はリョーマの隣に座った。
「でも、変わったな。越前」
「何が?」
「この間まで他人の試合とかだとよくサボったりしたじゃねぇか」
「――見る価値がわからなかったもんで」
 でも、人の試合を見るのも大事なのだ。例え、へろへろの試合でも。
 勿論、荒井達も上手くなっている。彼らは彼らなりに一生懸命練習したのだ。カツオとカチローもコートに入る。
「リョーマくん。桃ちゃん先輩」
「あいよ」
「うぃーす」
「あ、荒井さん達だぁ。上手くなったね」
「カチローもそう思うか」
「カチローの父さんはテニスコーチなんだよ」
 リョーマが口を挟む。
「えへへ……リョーマくん、あの時はありがと」
「別に……」
 ただ、偉そうなオヤジどもが許せなかっただけ。
 実力もないくせにカチローの父親を笑いものにして蔑んだ、あのオヤジどもを成敗したかっただけ。
 基礎を疎かにしたアンタらは中学生にも敵わないんだよ――そう言ってやりたかっただけ。テニスというスポーツを使って。
 今思えば子供っぽいことをした。でも、後悔はない。掘尾もカチローもカチローの親父さんも喜んでくれた。あの中年どもは、今はしっかりアップしてからテニスコートに入る。真面目な生徒に変貌したらしい。
「お父さんね――リョーマくんには助けてもらったって。だから父さんもリョーマくんに感謝してるんだよ」
 カチローが可愛らしい笑顔で言う。
「はいはい、わかりました、っと――」
 リョーマは帽子のつばをいじる。
「あれ……」
 カチローは不穏な空気を感じ取っているらしい。カツオも同様だ。
「マスコミの人達だよね、あそこにいるの」
「放っておけばいいじゃん」
 リョーマは平然としている。
「そうもいかねぇだろうがよ。標的は越前、お前だぜ」
 桃城がそう言う。
「嫌だなぁ……」
 リョーマが口をへの字に曲げた。
「おい、場所変えようぜ。荒井、俺達もう行くからな」
「おう、気を付けて帰れよ」

 マスコミの人間がつけてくる。近過ぎず遠過ぎず。奴らもプロだ。
 嫌だなぁ……。
 リョーマは心底うんざりした。テニスの見学すらさせてもらえない。
「――まくぞ。越前」
「え――?」
 皆まで言わせず、桃城はリョーマの手を取って走り出した。
 体が痛い。皮膚が攣る――。
 けれど、リョーマは我慢した。マスコミの気配がなくなったところで桃城はリョーマの手を離した。
「ここまで来れば大丈夫――って、あ、お前怪我してたんだよな」
「平気っス。このぐらい」
「無理させてごめんな。後で医者に診てもらえ」
「わかったっス」
 このストリートテニス場までは誰も来ないだろう。
「モモシロくーん」
「あれ? アンタ――」
「どうもー。橘です」
 桃城を見かけた時、嬉しそうだった女の子。この子は前に見たことがある。
「橘杏だ。お前も会ったことあんだろ? 不動峰のムッツリ橘の妹だよ」
「ムッツリ……」
 リョーマはぷくく……と吹き出した。
「杏はあまり兄貴に似てねぇよな」
 桃城が橘杏をじろじろ見る。
「私、母親似なの」
 父親の立つ瀬がないな――リョーマがそう考えた時、振動が打ち身に響いた。
「いてて……」
「やっぱり病院行くか? お前」
「桃先輩……俺、テニス見たい……」
 父の南次郎のテニスも、本当は見てみたかったかもしれない。変な意地を張らなければ良かった。けれども、堀尾も心配だったから、テニスにうつつを抜かしている場合ではないと考えてしまったのだ。
「わかった。越前、そこに座ってろよ。な?」
「リョーマ君、大丈夫?」
 桃城と橘杏に見守られて、リョーマが微かに笑った。
「心配いらないよ……」
「ここはマスコミにはバレてないはずだから――」
「ありがと……」
 テニス――テニスが出来ないのは辛い。苦手なダブルスでもミクスドでもいいから、試合がしたかった。
 でも、今は体が軋む。自分の代わりに、桃城と杏のラリーの応酬を見せてもらう。
「あー、いたいた」
「よう、杏ちゃん。――桃城に越前も一緒か」
 泉と布川がやって来た。十年の知己のような気安さで声をかけてくれる。
 ああ。やっぱりテニスはいいな……。いろんな人と仲間になれるから。でも、俺は上へ行かなくちゃいけない……。
 アスリートは孤独だ。それはテニスだけでなく、他のスポーツにも当てはまる。そして、孤独は案外気持ちがいい。
 でも、好きだから続けられる。リョーマは桃城・橘ペアと布川・泉のダブルスを見ながら、自分も脳裏でシミュレーションしていた。
 ――頭の中で行われる試合の中、リョーマの隣りに立っていたのは、手塚でも遠山でもなく、何故か跡部景吾だった。

後書き
『リョーマの戦い』のスピンオフ作品です。『リョーマの戦い 31』の空白部分はこうなってるんじゃないかと思いながら書きました。
桃城も学校来てたんですね。まぁ、手塚も来ているし……。南次郎のプレイは観れたんでしょうか。
因みに、タイトルはテニプリの『サムライの詩(うた)』から。
2016.9.11

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