跡部景吾、十五歳の懊悩

「ふぅ……」
 疲れた跡部景吾はこきこきと肩を鳴らした。
 もうすぐ図書室も閉まる――跡部は今まで勉強していたのだった。
 それにしても疲れる。テニスの方が疲れるが爽快感がある。
 勉強のできない跡部ではなかったけれど。もうすぐ高等部に入学なので予習していたのだ。
「樺地……」
 一学年下の樺地を跡部は頼っていた。高等部に行っても樺地とは頻繁に会うつもりではいたが、今までのようにべったりとはいかないだろう。それを思うと少し寂しい。
(どうしたもんかな……)
 目頭を揉みながら考える。
 取り敢えず帰るか――そう思って跡部は立ち上がった。ちょっと歩きたかったので、送迎の車は断った。

「おっ」
 リョーマじゃねぇか――そう思った矢先、
「ちぃーす」
 リョーマの方から先に挨拶を返された。
「お前、今帰り?」
「うん、ちょっと玉林中の泉さん達と打ってた」
 テニスだな――跡部の頬がほんの僅か緩む。
「んで、どうだった?」
「圧勝!」
 リョーマは得意そうに親指を立てた。
 どうしよう。リョーマに会えたことが嬉しい。
 何考えてんだろうな、俺は――。
 口説かれたことは何度かある。ガキの冗談だと思っていた。それに、跡部には樺地がいる。
 そう、樺地はいい男――あの見た目も茫洋として好きだし、頼りになる大きな体。気遣いもできるしその巨体は優しさでできている。樺地の方が絶対いい男だ。
 なのに――。
 そう、今は越前リョーマが気になって仕方がない。
 こんな生意気な吊り目のチビ。
 そんなことを考えながらじっとリョーマを見ていた。
「ん? 何すか?」
「別に――」
「樺地さん、どうしたんすか?」
「先に帰らせた。高等部への勉強に付き合わせる訳にもいかなかったしな」
「どうして? 付き合わせればよかったじゃん」
 確かに。
『樺地、ちょっと図書室まで来い』
 と言ったなら樺地は言われた通りに来てちゃんと跡部の帰りを待っていたであろう。
 それなのに――。
「それとも、何かまずい訳でもあるの?」
「いや……」
 本当はあった。リョーマのことを考えると、どうしても樺地を呼ぶことが躊躇われた。
(どうしたんだ! 俺は!)
「ふうん。樺地さんと打ってみたかったんだけど」
「樺地も忙しいんだ」
「アンタが樺地さんを気遣うなんて――意外だな」
「るせっ!」
「まぁいいや。アンタが俺の相手になってよ」
「テニスのな」
「夜のでもいいですけどね」
「お前――それは中一の台詞じゃねぇぞ」
「跡部さんは今度高等部っスよね。――高一になったら言ってもいいのかな」
「ふん、勝手にしろ」
 そう言う跡部の心臓が跳ねている。
(俺様の――心臓の鼓動が早くなってる?)
 気付きたくなかった。けれど気付いてしまった。だけど、リョーマの前では平静を装った。
「高等部になるとな、授業が難しくなるんだ。お前はいいよな。遊んでいられて」
「俺だってテニスがあるっス。テニスは遊びじゃないっスよ」
「ふっ、そうだったな」
 これだ。こういうところに惹かれたのだ。
 それに、跡部にとってもテニスは遊びではなかった。いつかプロになれればいいと思う。テニスに一生をかけても構わない。跡部はそう考えていた。
 けれど、越前リョーマはもっと上へ行くだろう。悔しいけれど、テニスの腕は自分より上だ。
 どうかしている。リョーマが眩しい、なんて。
「跡部さん、シングルスやりません?」
「そうだな」
 勉強ばかりやってて身体が強張っていたところだ。以前だったら断っていたところだが。
「泉さん達帰って暇だったんだよね。桃先輩も帰っちゃったし」
「そういえばあそこ、ダブルスのみだっけ?」
「うん」
「ま、貸してもらうだけならいいだろう。俺様もマイラケット持ってるし」
「そういや、跡部さんもラケバ持ってるっスね。勉強してたんじゃなかったの?」
「まぁ、ちょっと昼休みに日吉達と混じってテニスしてたな。あんまり長居もできなかったけどな」
「そっか……それにしても、改めて勉強する程跡部さん成績悪かったんスね。氷帝もエスカレーター式だって聞いたけど?」
「馬鹿野郎。俺様は何でもやれる。ただ、手を抜かないだけだ」
「あは、ムキになって可愛い」
「年下に可愛いなんて言われても嬉しかねぇよ」
 あはは、と笑いながら駆けて行く跡部達。やがてテニスコートに着いた。
「こんばんは。リョーマ君」
「あれ? 杏さんじゃん。こんばんは」
「みんな帰っちゃったんだと思ってた。――あ、跡部もいる」
 杏――橘杏が嫌そうな顔をした。
「よぉ」
「杏さんこの人にナンパされたことあるんだよね」
「そうよぉ。強引だったんだから」
 なんだ、そんなこと話してたのか。リョーマと橘杏は。リョーマがこう言った。
「俺がナンパされたら真っ先についていったのに」
「嘘言ってんじゃねぇ」
「嘘じゃないよ。今はね」
 跡部はクエスチョンマークを飛ばして首を傾げる。その時――。リョーマが笑ったのだ。年相応の可愛らしい笑みで。
(……うっ!)
 可愛いなんて言ったら子ども扱いを嫌うリョーマのことだ。怒るだろうか。
「早く試合しよう」
「お、おう。杏ちゃん、いつぞやはごめんな。桃城と仲良くな」
「――うん」
 桃城の名前を出した途端、橘杏は恥じらうように俯いた。
(こういうのリア充っていうんだよな。確か。――桃城め、なかなかやるじゃねぇの)
 リョーマと跡部が打ち合う。リョーマの腕も跡部の腕も上がって来ていた。
「やるじゃん」
「お前こそ」
 気がついたら相当遅くなっていた。リョーマの方が僅かに優勢だったが(尤も、跡部だって本気を出していた訳ではないが)、リョーマの方から『勝負はまた後日』と引き上げてくれた。跡部は帰る準備をした。ミカエルも心配しているだろう。
 ――心の中の懊悩も少しは晴れた気がした。やっぱり悩んでいる時にはテニスが一番だ。

後書き
2017年10月のweb拍手お礼画面過去ログです。
リョーマを意識している跡部様が可愛い……。
この話はキング跡部様へ!
2017.11.2

BACK/HOME