仁王王国

「紅茶です」
 樺地崇弘が部屋に入って行った。――跡部の命令を無視して。
「ご苦労ナリ。プリッ」
 迎え入れたのは仁王雅治。コート上の詐欺師という二つ名がある。けれど――そのペテンのおかげで樺地は頑張れたのだ。
 何故、樺地が仁王に仕えているか――それには訳がある。

 今を去ること数時間前――。
「仁王さん」
 普段は口の重い樺地が仁王に話しかけた。
「何じゃ」
「仁王さん――貴方の跡部さんの物真似のおかげで……桃城さんを運ぶことが出来ました。ありがとうございます」
「プリッ」
 仁王はお道化た調子で答える。彼の功績で、中学生組は全員脱落者なく崖を登りきることができたのだ。
「お礼に、一つだけ何でも願いを叶えます。――この俺の出来る範囲で」
「そうじゃのう……俺は詐欺師と呼ばれておるが、一生に一度だけ王様っちゅうもんになってみたいのう。じゃが、王国に国民がいないでは話にならん。のう、樺地。一度俺の国の国民になってみんか?」
「――ウス」

 仁王は紅茶のカップに口をつけた。
「旨いナリ。それに何とも言えぬええ香りじゃ」
 ――それは、樺地が跡部の為にブレンドした紅茶だった。
「…………」
「本当にわかっているのかと言いたげな顔じゃのう」
「う……いえ……」
「俺にだって紅茶の良し悪しぐらいわかるんじゃ。本物は誰にでもわかるんじゃよ。――まぁ、詐欺師の俺がいうことでもないがな」
「仁王さんは……本物です」
 仁王は何かものいいたげな顔をして――それからその『何か』を引っ込めた。
「ありがとう。そんなことを言ってくれるのはおまんだけじゃ」
「――ウス」
「でも、おまんには跡部がいるじゃろう? 唯一無二の存在が」
「ウス。――でも、今日は仁王さんにあの時の恩返しをしたいと思いました」
「俺に?」
「ウス」
「まぁええか。どうせおまんにとって俺は跡部のコピーじゃからのう」
「仁王さんも、大切な人です」
「――サンキュー……」
 仁王は紅茶を、また一口、含んだ。
「跡部は勘が鋭いからのう……こうなることもわかっとったはずじゃ」
「――ウス」
「跡部は王様じゃ。これからも支えていってくれ。でも――今日だけは俺がおまんの王様じゃ。ついてきてくれるな?」
「――ウス」
「……ありがとう」
 仁王はその整った顔に哀愁の陰を湛えた。
「俺はのう、樺地。俺が自分で自分が何者かわからなくなる時がある」
「ウス」
 樺地には、詐欺師として生きる男の矜持と悲哀を仁王に見た。
 仁王だけではない。自分もまた――。
 影は光がないとできないから――。
 自分は跡部と言う強力な光の影だ。仁王もまた、誰かに生かされ、生きている。
「楽しかった。王様ごっこもなかなか楽しいもんじゃのう。プリッ」
「紅茶、お代わりありますが――注ぎますか?」
「いや。その必要はない。そこにあるカップ、それは樺地の分じゃろう?」
「はい。でも、先に仁王さんには新しい分を――」
「そうじゃのう。旨い紅茶じゃが、一人で飲むにはちと味気なさすぎるのう。おまんも飲め」
 ああ、この人は、どこか跡部さんに似ている――。
 樺地は思った。
(樺地、これ旨いからお前も飲め)
 そう言ってティーカップを差し出した、幼い跡部。樺地は感謝して受け取った。
 跡部もまた、重い荷物を抱えて生きようとしている。跡部王国。仁王王国は所詮コピー。本物にはなれやしない。
 けれども――。
 跡部もリョーマも本気を抱えて生きている。この一見ふざけた男、仁王だってそうだ。いや、仁王はもっと重く苦しいものを背負っているかもしれない。
「忠告しとくぜよ。あのチビには気をつけろ」
「チビって……」
「越前リョーマじゃ。あいつは台風の目じゃ。おまんの王様も巻き込まれないように気をつけるんじゃな」
 樺地の王様――跡部のことだ。
「跡部さんはわかってます」
「そうか? まぁ、跡部があのチビに振り回されても俺は知らん。じゃが、おまんのことは心配じゃ。そして――」
 仁王が口を閉ざした。
 跡部とリョーマ。二つの同族はいつかまたテニスコートで相まみえる日が来るかもしれない。
 その時、最後まで立っていられるのはどちらか。
 全国大会の時は、天はリョーマに味方した。
 けれども、次はどうなるか――見てみたい気もするし、目を覆いたくなる気もする。
「そんな哀し気な顔をするな、樺地。おまんの想いもわかる気はする」
 自分は哀し気な顔をしてたのか――。言われて初めて気が付いた。
 けれども、樺地の言いたいことを本気で全部わかるのは跡部景吾ただ一人――。
 しかし、仁王も同じ能力を持っているとしたら? 仁王は微笑んだ。
「今の俺じゃ越前には勝てんナリ。もっと腕を磨く必要がありそうじゃ」
 そしてまた、仁王は「プリッ」と呟いた。
「イリュージョンで顔かたちや性格を似せても、況してや能力を似せても所詮そこ止まりじゃ。じゃが――俺は諦めん。せっかくのこの能力、生かさない手はないじゃろ?」
 仁王は詐欺で頂点に立つつもりだろうか。しかし、彼には何らかの芯があることを樺地は見て取った。
 もう少し、仁王王国の国民でいたい。そして、仁王の言う言葉に耳を傾けていたい。自分はお喋りではない方だが、仁王に自分の胸のうちをもう少しさらけ出したい。
 けれど、そしたら跡部は拗ねてしまうだろう。
 樺地には、跡部に代わる存在はない。
 きっと、大人になって結婚して、子供が生まれて死期が近づいても、それは変わらない。
 俺は、跡部さんの為に生きる――。
 跡部以外の大切なものなど見当たらない。仁王のおかげで思い知ることができた。仁王のペテンでやる気になった樺地。樺地を動かしたのはあの声。
 ――あれは、紛れもなく、跡部さんだった。
 そして、ペテンに気付いたその瞬間、樺地はコート上の詐欺師と呼ばれる男を信用するようになった。詐欺師と言われた男を――。
「跡部もよく――こんな旨い紅茶飲んどるんじゃな」
 仁王の目が優しくなった。
「全てが終わったら三人で――」
「それはムリじゃろ――と言いたいところじゃが……俺は跡部は嫌いじゃない。むしろ、共闘する時期が来るように思えるんじゃ。王様にはピエロが不可欠ナリ」
「仁王さん……」
「頼むぜ、相棒」
 仁王はイリュージョンを使って跡部に化けた。
「仁王、さん……?」
「いかにも俺は仁王だぜよ。今のはちょっとしたお遊びじゃ」
 仁王はまた「プリッ」と言った。
 この男は独特の言葉で、独特の語尾で、必死で『仁王雅治本人』を演じているのではないだろうか――と、樺地は思った。
 他の人間にも仁王雅治を印象付けて――でも、彼の本分は、そのペテンにあったのではないだろうか。
 樺地にも面倒くさい考えは些か専門外だ。後は、跡部さんが考えてくれるだろう。或いは仁王さんが。樺地は今だけは跡部を忘れ、仁王に仕え抜こうと決心した。

後書き
前に書いた小説。仁王クンは一見お道化ているように見えても、実は一本芯があると私は見て取ってます。
跡部王国にも住みたいけど、仁王王国の国民にもなってみたい……。
新テニの日本代表、頑張れ! 勝利のリョーマも見てみたいけどね!
2016.12.14

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