王様は泣かない
イギリスのキングスプライマリースクール――。
皆は親の出迎えに喜んで家へと帰って行く。玄関で二人の子供がうずくまっている。
「かばじ、おまえのおや、こねぇな」
「うん」
「――おれのおやもこないんだ。いそがしいから」
「あとべ……」
樺地崇弘が跡部景吾に声をかける。二人は同じ日本人同士ということで仲がよかった。ここは日本人の子供の方が少ない。
「ないてるの? あとべ」
「ないてない……」
跡部がぐいっと目元を擦った。
「かばじがいるから、おれはなかない」
跡部は子供の頃から誇り高かった。いじめられても昂然と顔を上げ、今ではここのクラスのリーダー的存在になっている。
かばじがいるから、おれはなかない――。
泣けないの間違いじゃないのか。樺地はそう言いたかった。だが、言えなかった。
自分の親が迎えに来ないことが、跡部とお揃いのようで何となく嬉しかった。
だから、越前リョーマに負けた跡部が髪を剃られた後も、樺地も自分で髪を剃った。
「おっ、イメチェンか? 樺地。似合ってるじゃねぇか」
短髪になってしまった跡部が笑う。髪を切られても尚、跡部は美しかった。
「俺様もベリーショート。なかなか似合ってんじゃねぇの」
鏡を見ながら跡部が楽しそうに言う。罰ゲームで髪を剃られて嬉々としてるなんて、この人ぐらいのものだ。
跡部だったらきっとスキンヘッドでも似合うと樺地は思う。ハンサムな坊さんみたいで。
越前のやり口には言いたいこともないではなかった樺地だが、跡部が嬉しそうならまぁいいかと思う。
それとも、泣きたいのを我慢しているのだろうか。
――いや、跡部は本気で喜んでいる。
「あん? 何かすごい反響が来てるらしいぜ――なになに? 雌猫どもが騒いでるらしい。メールがいっぱい来てんぜぇ。中身は――ま、お前には察しがつくだろう」
「ウス」
「越前殺すっていうヤツがいるとかって……俺様の髪型ひとつで殺されちゃ越前もたまんねぇだろうな」
けけけ、と跡部が笑う。本気で愉快そうだ。
「よし、カツラを準備しよう。越前が殺される前に。ミカエルに電話だ」
跡部は自宅に電話をかけた。
「よぉ、ミカエル。アクシデントが起きて俺様の髪が無くなった。大至急カツラを用意してくれ」
電話の向こうではさぞ使用人が口をぽかんと開けていることだろう。テニスの試合で髪が無くなったってどういうことだ?と。
「みんなこの髪見たら驚くな」
くくく……今度は忍び笑い。
「越前リョーマ。今度こそ俺様が勝ってやるからな」
その声にはどことなく吹っ切れた響きがあった。
「行くぞ、樺地」
「ウス」
樺地と跡部は一緒に会場に向かった。
「あ、あの人、イケメンじゃない?」
「ほんと、金髪のベリーショートの人でしょ」
女の人達がきゃあきゃあと騒いでいる。
「ふっ、新たなファン層が既にできるなんて俺様の美貌も罪なことをさせる」
跡部は格好をつけた。樺地は、
「ウス」
と答えた。本当は越前の代わりに今すぐ跡部の残りの髪もバリカンで剃りたかったが我慢した。これが越前なら容赦なくバリカンを見せたことであろう。
「でも、お前まで坊主にすることなかったんだぜ。樺地」
「――ウス」
跡部とお揃いにしたかった――子供の時みたいに。
跡部に行け、と言われたら行くし、来いと言われたらついて行く。樺地は成長するにつれて跡部の忠実な部下みたいになっていった。
実は、樺地は跡部の驕慢なところはあまり好きではない。ワガママばかり言う、と思うこともある。けれど――そのワガママが照れ隠しであることを知っているから、樺地は跡部について行く。いつまでも、どこまでも。
それに――樺地は幼い頃、跡部の涙を見てしまった。
王様は泣かないし、泣けない。
そんな跡部の涙を見てしまった樺地は、彼にかしずくしかなかった。
跡部は生まれながらのキングだ。みっともない真似をやらされる時は、自分が望んでやったことだと嘘をついてまで受け入れる。しかし、その実は簡単に絶望する輩より誇り高い。
そんな跡部が可愛らしくて、今までついてきてよかったと思った。まぁ、今回は本当に喜んでいるようだが。その証拠に跡部は鼻歌まで歌っている。だが――。
(跡部さん……やはりいつもより少し無理してるのでは)
きっと少しはショックでもあったのだろう。あの試合、樺地は例え気絶したとはいえ、跡部の方が勝ったと思っているのだが。跡部さん、善戦でした、と樺地が買ってきたスポドリを渡す時に一緒に伝えれば、跡部は親に褒められた子供のようにはにかんだ表情をする。
試合場では、跡部親衛隊の一角が「きゃああ!」と叫んでいた。
「跡部様~」
「跡部様のおみぐしが~」
「いや~!」
泣き悲しんでいる雌猫とは対照的に跡部は晴れやかな顔をしていた。
それでいいんです。跡部さん。
王様は泣いてはいけない。だから、王様が泣かないように絶えず気を配っていくのが樺地の役目。
「きゃあ! 跡部様~!」
「私達は一生あなたについて行きますー!」
「あなたは全てにおいて君臨するのですよね。今度は負けないでがんばってくださいね!」
と、応援する女の子もいるから、人それぞれだ。
――カツラが届いた。跡部はそれを着用した。
「何か、変な感じだな。なぁ、樺地。変じゃねぇか?」
「変では、ありません」
短髪の時はそれは嬉しそうにしていたのに、カツラをかぶって変じゃないかって……跡部の感覚はどこかズレているのではあるまいか。
「あ、跡部、樺地」
「おう、忍足か。何か用か?」
「探したで。これから焼肉屋で打ち上げパーティーせぇへんか?」
「焼肉屋……? 何だそれは」
「へっ?」
忍足が間抜け声を出した。そして、まさか……という顔をした。
「跡部、焼肉屋知らんの?」
「ああ、知らん」
樺地はポーカーフェイスを崩さない。跡部と付き合ってたらこんなことは日常茶飯事だからだ。最初は驚いたり、笑いを堪えるのに苦労したりしたのだが、慣れればこんなもんだ。
しかし、焼肉屋を知らないとは――。
庶民の味方焼肉屋も、跡部にとっては世界七不思議と同様であるらしい。
庶民の味方といえば、この男は駄菓子屋を買い占めたこともあった。今、その駄菓子屋のおばあちゃんは跡部財閥に引き続きその店の経営を任されている。時々跡部もそこに来た子供達と遊んでいたりもする。跡部は実は子供が好きだ。
俺様だが優しくて、そしてどこか常識知らずの王様、それが跡部景吾。
他人から見ればやなヤツかもしれないが、何だか可愛げもあるような、そんな存在。
樺地はだから、つい守ってあげたくなる。世話を焼いてあげたくなる。
跡部もそれを知っていて、樺地にいろいろ命令する。おかげで樺地も普通なら知らなかった世界に触れるようになった。
「じゃ、今日は跡部の焼肉屋初体験やんなぁ」
忍足の眼鏡の奥の目が優しい。跡部を慈しんでいるのがわかる。忍足は跡部の兄貴的存在だ。跡部と同じ年だが。
「きっと今日は賑やかやで」
そう言って忍足は「レッツラゴー」と腕を上げる。
王様の周りは愉快な仲間でいっぱいだ。王様の周りは笑顔が絶えない。
みんな、王様には笑って欲しいのだ。
だから、みんなおどけてはしゃぐ。王様が涙を忘れるように。
まぁ、彼らの場合は素かもしれないが――。
一癖も二癖もあるが、みんなそれぞれ良さを持っている。そして、とてもテニスを愛している。
テニスがあってよかったと思った。テニスでわかり合えることもあるのだから。自分もテニスでは跡部の役に立っているかどうかわからないが、とにかくテニスも大好きだった。
きっかけは跡部だったが。樺地はテニスに出会えたことで跡部に感謝の念を抱いた。
後書き
樺地~!
樺地が愛しいぜ、樺地~!
昔から陰ながら跡部様を支えている……それでこそ樺地!
もう尽くす愛ですね。これを書いた私グッジョブ。
2015.7.23
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