橘杏の恋人

「杏ちゃん、彼氏ができたってホント?」
 玉林中の布川が訊いた。
「うん、ホントだよー」
 橘杏はにこっと笑って答えた。おかっぱのかなりな美少女だ。
「杏ちゃんは皆のアイドルだったのになー」
「えへへ。あ、来た来た。モモシロくーん」
 杏は懸命に手を振る。
「よっ、杏」
「えっ、アイツ……?」
 布川と泉が絶句した。
「どうもー、久しぶり」
「アンタが杏ちゃんの彼氏……」
「まぁな!」
 桃城武が腕を組みながら自信満々に返事をした。
「ちぇっ、桃城め」
「いいんじゃね? アイツらお似合いだよ」
 泉と布川が話し合う。それを耳に聞いて桃城は得意だった。
 桃城と杏は以前跡部に、「お前らデキてんのか?」と訊かれたが、今ならば、「そうだよ。よくわかってんじゃん」と、堂々と答えることができる。
「こんばんは、杏ちゃん」
「あ……神尾」
「桃城。神尾も杏ちゃんが好きだったんだよ」
「え? 桃城、杏ちゃんが好きだったの? 悪いが杏ちゃんは……」
「何? 神尾。杏が好きだったの? 悪いけど杏は俺の彼女だ」
「え? いつから?」
 神尾の目が見開かれる。
「うーん、一週間前……辺りかな」
「う、嘘だ、認めない、認めないぞー!」
 神尾は走り出した。
「やっぱ神尾にはショックだったか……」
「俺達もちょっとショックだもんな」
 泉と布川がうんうん頷き合っていると――。
「どうした? お前ら」
 不動峰中のテニス部部長、橘桔平が来た。橘杏の兄である。
「あ、橘さん。桃城に杏ちゃん取られちゃったんですよ」
「取ったわけじゃない。ちゃんと告白したんだ」
「そうそう。『杏、お前が好きだ』ってね」
 この間、ここで桃城は杏に告白したのだ。杏は「モモシロ君だったらいいよ」と応えた。
「ふっ、泉、布川、お前らはそれでいいのか?」
「うん。桃城だったら仕方ねぇよな」
「そうだな。俺も引き下がるよ。何か微笑ましいもんな」
「お前らはそうでも、アイツは――」
 再びぬっ、と神尾の顔が現れた。
「おお、神尾」
「認めませんよ。俺は」
「じゃ、ダブルスで決着つけるか?」
 橘桔平が提案する。
「望むところだ」
「俺も構わない。んで、俺と組む相手は――?」
「そこの杏とだ」
「モモシロ君――私、モモシロ君の足引っ張らないように頑張るから」
「バーカ。そんなこと思ってねぇよ。ダブルスだったら俺より上手いだろ?」
「うん……」
 杏は微かに頬を染めた。
「で、俺は誰と?」
「神尾は俺と組め」
 橘が言った。
「よぉし、橘さんがいれば百人力だぜ!」
「杏、サポート頼む!」
「わかった! モモシロ君!」
 桃城達はテニスラケットを構えた。
「ちっ、桃城め、杏ちゃんに馴れ馴れし過ぎなんだよ」
「仕方ないだろ。どうやら杏は桃城を選んだようだからな」
「俺は認めん」
 神尾の顔に鬼気迫る表情が浮かんだ。橘が言った。
「泉、審判頼めるか?」
「は、はい……」
「サーブはお前がやれ。杏」
「余裕っスね。お義兄様」
「誰がお義兄様だ誰が」
 杏の代わりに桃城がサーブを決めた。
「ほぉ……」
 橘が本気の顔をした。そして神尾も。――桃城・橘杏ペアは橘桔平・神尾に敗れた。

「すまねぇ。杏。お前は一生懸命サポートしてくれたのにな」
「ううん。モモシロ君こそ、随分上手くなったよ。ほんと、前とは別人だよ」
「神尾……お前の出る幕はなさそうだな」
「うう、くそ……」
 これが試合に勝って勝負に負けるということである。
「杏も少しは男を見る目があったということか」
 橘が微笑んだ。
「いい試合だった。楽しかったぜ。またやろうな」
「杏と組めるんだったらダブルスも悪くないっスね」
「ははっ、明日また来い。一人前のダブルス選手に育ててやる」
「ありがとうございます。お義兄様」
「だから、誰がお義兄様だと……」
「橘さんはシスコンなんだ」
 神尾の言葉に橘がじろりと睨む。
「わかるっス。こんなに可愛い妹さんなんだからさぞかし心配でしょうね。跡部さんにも言い寄られていたし」
「モモシロ君!」
 それは言うなとばかりに杏が遮る。
「あいつ、皆で仲良くゲームしてるところを『弱者のかたまり』呼ばわりしたんだから……モモシロ君のプレイ見て見直したようだったけど」
「杏はモテるからな……確かに兄としてちょっと心配だったんだが、お前だったら大丈夫そうだな。桃城。後はお前ら次第だが。ま、少なくとも跡部よりは好感が持てるな」
「――ありがとうございます」
 桃城は橘とぐっと握手を交わした。
 神尾もちょっと苦笑いをしながら、「次はもっとボコボコにしてやるよ、杏ちゃんが俺に乗り換えようと考え直すくらいにな」と言っていた。
 優しい兄貴や素敵な仲間を持ってんな。杏。だから、性格も素直でいい子なのだ。可愛いし。
 ――何か、ちょっとダブルス好きになれそうだな。
「モモシロ君、今度は別の相手とダブルス組も? いろんな相手と組むのも大事だよ」と言う杏の言葉に「なるほど、そうだな」と頷いた。
 ダブルスは難しい。だからこそ面白い。組んだ相手の長所や短所などもわかるし。
 菊丸と大石がダブルスにこだわるのもわかるな、と桃城は改めて思った。

後書き
以前は桃杏が好きだったようですね。私。神杏も見てみたい気もするけど。そういえば母が一時期神尾にハマってた……。
男女混合はミクストダブルスって言うんでしたっけ? でも、桔平も神尾も男だしなぁ……。
橘杏ちゃん、また出てくるといいな。
2016.8.2

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