道標

 手塚国光……。
 青学男子テニス部の元部長。そして、僕の道標――いや、道標だった男だ。
 僕は、君に負けることでテニス人生に綺麗に幕を下ろそうとしていた。
 けれど……君はそれを僕に許さなかった。
 君は、厳しくて優しい男だった。いつだってそうだった。君は僕の一歩前を行く。
 だから、僕はもう負けない。手塚国光にも、他の選手にも。
 いつかきっとこの手で彼から勝利をもぎとってやる。
 それが、手塚への恩返しになるのなら――。
 手塚……僕は君が好きだよ。君の厳しさが好きだよ。――君の優しさが好きだよ。
 だから、こんなところでぐずぐずしてられないんだ。
 手塚……。
 僕はまだ君には追い付けない。
 でも、もっと上へ、もっと上へ――。
 君は僕の憧れの人だから。
 ああ。裕太――。
 わかったよ、君の気持ちが。
 僕の大事な弟――不二裕太。でも、僕はわかっているつもりで君のこと何にも知らなかったんだね。
 いつもどうしてつっかかって来るのかわからなかったけど――。
 君は君で僕を目標としてくれてたんだ。
 裕太。君に負けるつもりはないけど。手塚にだって負けるつもりはないけど。
 負けたって――また勝負すればいいんだ。
 あの大きな広い背中を追って――。
 僕は手塚を倒す!
 今まで道標になってくれてありがとう。友達になってくれてありがとう。――僕にテニスを諦めさせないでくれてありがとう。
 いろんな意味で、ありがとう、手塚国光。
 さてと――。
 誰か相手してくれないかな。できれば手塚に一番近い人。
 跡部か……。
 でも、今ここに跡部はいない。あの関東大会での試合はすごかったが。でも、あれは跡部が手塚の弱点を見抜いたから……。
 手塚はどのぐらい進化するのか予想もつかない。これからの手塚の強さに関しては全く予断を許さないんだ。
 ドイツに行って、手塚はもっと成長するであろう。僕でも簡単に追いつけないかもしれない。
 でも、この時点では、僕は想像上の手塚に勝った。
 だから――これからも勝つ。
 僕はラケットを持つ。うん。いい感じだ。グリップもしっくり来る。
 風も出て来た。爽やかな風だ。僕の門出を祝福してくれているみたいだ。
 菊丸英二がこっちを見ている。僕の友達でクラスメート。そして――僕のライバル。
「不二――勝ったね」
 英二がそう言う。僕は頷いた。
「ああ。でも、今はまだスタートラインに立ったばかりだよ」
「あんな不二、初めて見たよ」
 そうだね――僕は本気で戦いたいと言いながら、本気で戦うことを心のどこかで馬鹿にしていた。
 我武者羅で、泥臭くて――。
 でも、我武者羅な努力のどこが悪い!
 かっこ悪い? かっこ悪いことのどこが悪い。
 手塚はやはり僕の目標だ。
 努力して――その姿すらかっこよくて……。
 跡部に負けても、自分がかっこ悪いとは思わなかっただろう。跡部も手塚の我武者羅に向かって行く姿に感銘を覚えたんだ。手塚が跡部を変えたんだ。
 そして、この僕も――。
 手塚国光は僕にとって世界で一番かっこいい男だ。
「手塚は不二のこと、誰よりもよく知ってたんだね」
「ああ」
 僕は英二に向かって頷いた。
 水道に行って水を浴びる。気持ちいい。汗まみれだったからな。
「ふぅ……」
 俺はタオルで顔を拭いた。
 そんな時でも思い浮かべるのは彼のこと。
 手塚、君は僕の想いを見抜いていた。僕は君の近くにいつもいたから……。君も僕を見ていた。これは自惚れではないと思う。
 君は僕がテニスを辞めるつもりであったことも知っていた。
 僕は――本気でテニスに向き合わないと手塚に失礼だ。テニスにも失礼だ。
 僕は今まで本当にテニスに対して失礼なことしかしてこなかったに違いない。そして、手塚にも。
 手塚はテニスに情熱を傾けて肩まで壊したんだ。
 テニスの女神はそこまでしないと振り向かない存在なのかもしれない。
 手塚はイップスにかかったと言っていた。幸村は関係ない。リハビリの途中で肩が上がらなくなったと言っていた。
 そこで出会ったのが、同じイップスにかかった女の子だった。
 手塚は自分のことはあまり話さないが、ある時、僕に少しだけ九州での話をしてくれた。その日のことは、話の途中で吹いて来た涼しい秋風のことまでよく覚えている。
 手塚はドイツで認められるだろう。ドイツは質実剛健な彼には合っているかもしれない。
 いつだったか、ドイツ語の勉強をしている彼を見かけたことがある。青学の生徒達は皆、微笑ましそうにその姿を眺めていた。
 僕も好意を持ってその姿を眺めていた。
 手塚……僕は君が好きだ。君は僕の全てだった。今だってそうだ。
 いつか、戦う時が来たらお互いに全力を尽くそう。
 それとは別に、僕は君を知っているような気がした。
 初めて会った時から、何だか他人でないような気がしていた。デジャヴ、というヤツかな。
 ――君を知っていたよ。
 どこで生まれてどんな風に生きていたかは知らないくせに、何故か君を知っていると考えたよ。
 由美子姉さんの占いでは、前世で仲間だった男と出会う、とその日、結果として出て来たんだっけ。僕も姉さんの占いは信じている。
 僕はその日、学校から帰って来てから、
「姉さんの占い、当たったよ」
 と、伝えた。
 姉さんは、そうでしょ、と簡潔に答えた。姉さんはカリスマ性のある占い師で、美人なので男のファンも多い。
 そして――僕はいつか手塚と戦うことを心待ちにしていた。いつからか……。
 手塚、僕は君のテニスを知り尽くしていたつもりだった。
 けれども、僕は手塚について何も知らないに等しかったし、手塚だって僕のことをどのくらい知っていたか……。
 いや、君は知っていた。
 少なくとも、僕のことは――。僕自身以上に知っていた。
 僕が君に惨敗してテニスを辞めるつもりであったことも――。
 倒されるなら、君に倒されたかった。
 でも、僕は間違っていた。
 僕は手塚に『僕の道標』という役目をいつの間にか負わせていた。
 道標は自分で作るんだ。
 そう、手塚が言ったような気がする。
 手塚は自分の道を行く。いつだってそうだった。僕はいつもそんな手塚を追っていた。ずっと、ずっと――。
 初対面のあの日から――。
 僕は彼に惹かれていた。
 でも、もう、僕は彼とは違う道を進む。その為に、手塚は僕の申し出を受け――そして試合を放棄したんだ。
 あの時は、君が僕に勝てることはわかっていたと言うのに――。
 それが、手塚の残した道標。
 弱気になった時は、あの試合を思い出そう。
 僕では手塚の相手にならなかった。その時の屈辱と、そして、見えない手塚と戦って勝った時の充実感を、僕は忘れない。
 ――僕は、変わらなければならない。手塚を超える為に。
 そして、彼の他にごまんといるであろう敵に勝つ為……何より己に勝つ為に!

後書き
2018年2月のweb拍手お礼画面過去ログです。
塚不二というか、塚←不二です。
タイトルは福山雅治の歌から。
いつかもっとラブラブな塚不二も書きたいなぁ……。
2018.03.02

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