行かないで
――急にふと、一人で帰りたくなった。でも、樺地には連絡をいれなくては。
「もしもし、樺地――?」
「あ、跡部さん――」
何だかバタバタしてるようだ。
「今日は俺様は一人で帰る。荷物は持たなくていいからな」
「ウス」
樺地ー、何やってんだよーと言う声が電話越しに飛んでくる。あいつもいろいろ大変そうだ。
「すみません、ちょっと呼ばれました」
「ああ。勉強頑張れよ」
「ウス」
樺地は喜んでいるようだった。樺地のこういう態度の変化を正確に読み取れるのは自慢じゃないがずっと一緒にいた俺様だけだぜ。
さてと、一人になったんだから――。久々にあのストリートテニスコートにでも行ってみっか。桃城と橘杏の仲を冷やかすのも楽しいだろうしな。俺様は割と人の恋愛事には首を突っ込みたくなる質なのだ。
「はた迷惑な趣味やわ~」
と、忍足辺りなら言うんだろうな。
あれ? そういやここ、青学の近くだな。越前に会えるかな。
特に何も考えずに壁打ちの音のする方向へ向かうと――。
越前だった。俺の今の最大のライバル、越前リョーマ。
集中しているのがわかる。ヤツの頬を汗が伝う。ふっふっ、と規則正しく呼吸する音。誰をも魅了するだろうフットワーク。
――邪魔しちゃわりぃか……。
でも、俺はそこを動けずにいた。
俺もがんばんなきゃな。それまで誰にも倒されんなよ。越前。
ようやく呪縛が解けた俺様は心の中で越前に向かって呟いた。
――越前はリョーマって呼ばれたがってたな。そう言えば。何かどうでもいいことを思い出す。
「リョーマ……」
その名前を呼ぶ自分の優しい声音に俺は驚いた。
いやいや。あいつとはライバル同士なだけであって、決してその他には何も――。
何も? 俺様、何考えているんだ。あんなチビに――最近少しは育ってきたけど――ライバルに抱く感情以外の気持ちなんて……。
帰るか――。俺は帰途についた。
そして――。
「おう、樺地。今日も迎えはいらねぇからな」
「ウス」
俺は電話を切った。
済まねぇな、樺地――。ん? どうして俺は樺地に後ろめたい想いを感じてるんだ。
ただ、越前の練習を見に行くだけじゃねぇか。たかが見学じゃねぇか。それに、敵の偵察でもあるし。
――俺は、自分に向かって言い訳をしているのに気づいた。
越前のテニスは好きだ。とても綺麗だし、とても――人を惹きつけずにはおけない。そう、ライバルのはずの俺様までも――。
しかし、越前は昨日のところにいなかった。
河岸を変えたかな。――まさか、俺様が見ているのに気付いて場所を変えたとか?
越前がいないんじゃしようがねぇ。帰ろうとすると桃城のヤツに出会った。俺もこいつは嫌いじゃねぇ。ちょっと口調がぞろっぺぇな気がするけど、それは俺も人のこと言えねぇからな。
それに、越前のいい兄貴分という感じで、氷帝にはいないタイプ――あ、ちょっと宍戸に似てるか。
「よぉ、桃城」
「跡部さん――」
「杏ちゃんとデートか?」
「やだなぁ。そんなんじゃないっスよ。そうだったら嬉しいけど」
俺の耳は最後の『そうだったら嬉しいけど』という桃城の呟きを聞き逃さなかった。
「まぁいい。とっとと告白しねぇと他の男に横取りされちまうぞ」
「う……」
桃城は絶句した。心当たりがあるようだ? 泉とか布川とかいうヤツか? いや、あいつらじゃ桃城のライバルというには力不足だな。とそれから他には――。
「例えば神尾アキラとかに」
桃城が青褪める。図星だったようだ。
「じゃあな。あ、そうだ。越前は?」
「――越前っスか?」
桃城はまた口がきけるようになったようだ。
「越前なら風邪っスよ」
「……鬼の霍乱か」
俺の台詞に桃城がふっと笑った。ようやっといつもの桃城に戻ったらしい。
「今からあいつの家にお見舞い行くんスよ。跡部さんも行きませんか?」
「あーん?」
何で俺が越前なんかの見舞いに――そう言おうと思ったが、あいつの具合が気になるのも事実だった。
「んじゃ、連れてってもらうか。俺様、越前の家知らねぇかんな」
「アイアイサー」
さすがに跡部さんは重いから自転車に乗せてはいけねぇな――と桃城が言うので俺は歩いて、桃城は自転車を引きながら越前の家に向かった。
越前の家に着いた。
「ふぅん、なかなかいいところに住んでんじゃねぇの。あーん?」
ま、俺様の豪邸には敵わねぇがな。――チャイムを鳴らして桃城が言う。
「すみません。桃城です。越前君の見舞いに来ました。跡部さんも一緒です」
「ふーん、越前君ね」
俺はついにやにやした。
「あ、跡部さんだって目上の人に対してはいつもの言い方じゃないでしょうが」
「確かに」
「おう、何だ、悪ガキども。おっ、そっちは跡部財閥の御曹司じゃねぇか」
「どうも。お見知りおきでしたか。越前君にはいつもお世話になってます」
桃城もにやにやしている。くそっ。お互い様って顔しやがって。
「俺ら、越前君の見舞いに来たんですが……」
「リョーマは寝てるよ。ちょっと会ってくか? あいつの熱も下がったみてぇだしな」
リョーマの父越前南次郎の言葉に俺らは『お邪魔します』と声を揃えて脱いだ靴も揃えて入って行く。
「桃先輩。――と、跡部さん?」
越前の部屋に入ると、ヤツは元気そうに声を上げた。本当に風邪なのか? あーん?
「越前。これ、皆から」
桃城は封筒を渡す。
「現ナマか? あーん?」
「んなわけないっしょ。皆越前のこと心配してるんスよ」
あ、桃城が怒った。やっぱり、こいつイイヤツだな……。青学のヤツらもイイヤツばかりなんだろうな……。
「桃先輩はわかるけど、跡部さんはどうして……」
「俺様は帰る途中桃城と会ったんだよ」
「跡部のヤツ、お前がいつも壁打ちしてる場所から出て来たから」
「本当?!」
越前の顔が輝く。――可愛いじゃねぇの!
「俺に会いに来たの? あそこに? わざわざ?」
「ああ――そうだよ」
「ありがとう。ねぇ、今日はまだ帰らないで」
「帰らないでって言われても俺様にも用事が――」
「あ、桃先輩は帰ってもいいっスよ」
「お前、跡部さんと俺とじゃ態度が違うじゃねぇか。――まぁいいや。越前頼んだぜ。アンタ懐かれたようだから。跡部さん」
桃城は帰ってしまった。仕方ない。
「しっかり寝てろよ。越前。今、林檎でも剥いてやっからな。お前ん家林檎あったっけ?」
「あるけどいらない。手握ってて」
俺様は越前の手を握っててやる。それだけだと手持無沙汰かなと思ったんで小声で歌を歌う。越前はいつの間にか寝ちまった。
後書き
今年の9月にweb拍手のお礼画面として発表した小説です。
リョ跡?というか跡リョ? どちらにしてもこういう話は私も好きです。
2016.10.2
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