日吉若の決意

「父様、折り入ってお話が」
 俺は片膝をつく。
「おお。若。何かね」
「実は……俺はテニス部に入りたいのです」
「テニス部か……」
 父は考え込んでいる。
 俺は日吉若。『若』と書いて『わかし』と呼ぶ。永遠に心を若く保てという意味が込められている――と俺は思っている。
 父は代々受け継がれている古武術道場の主。テニスなどもっての外と考えているのだろう。多分、そうだろう。
 でも、俺にだって譲れないものがある。
「――本気なのか? 若」
「はい」
 テニスラケットを持つと胸が熱くなる。どうしようもないこの衝動。押さえつけ難い。
 そして――氷帝のテニス部にはあの人がいる。何だかやることなすこと滅茶苦茶だけど、実力だけは折紙付きのあの人が。
 俺は――あの人のおかげでテニスに魅せられ、ラケットを握ったのだ。
 跡部景吾。俺の最大のライバル。
「崩していいぞ。若。――母さん、お茶にしておくれ」
「はいはい」
 傍にいた母が席を立つ。
「こうやってな――お前と酌み交わすのが夢だったんだ」
「父様、俺はまだ未成年です」
「わかっておる。だから茶にしてくれと言ったのだ」
 やがて母がお茶を持ってきた。
「私もいていいかしら?」
「ああ」
 父が答えた。俺も勿論異存はない。
「それにしてもテニスとはな――古武術から」
 父にも意外だったようだ。
「何かきっかけでもあったのか?」
「はい」
 本当を言うと、兄にもいて欲しかったのだが、兄は兄でいろいろ忙しい。
 父の口が左右に大きく開かれた。
「好敵手ができたな。若」
「あ……はい」
 つい反射的に返事してしまった。
「だろうな。でなかったらテニスなぞに興味を持つお前ではない」
「よく見てますね――父様」
「当たり前だ。何年お前の父親をしていると思う」
 父はお茶をぐびぐびと飲んでふぅ、と息を吐く。
「お代わり、ありますからね」
 母が言う。けれど、俺はお茶ばっかりそんなに飲めるものではない。
「今はまだ、好敵手という段階ではありません。相手の方が遥かに上です」
「ほほぉ」
「でも、日吉家の男として、いつかはやりますよ。下剋上を」
「下剋上か――。お前は本当に下剋上が好きだな」
「はい。乱世の夢を見るとわくわくします」
「それでこそ、日吉家の男子だ。わしも応援する」
「それでは……」
「テニス部に入っていい。だが、必ず下剋上は果たして来い!」
「ありがとうございます。父様」
「お前は古武術の才能があるから、期待はしていたが――けれど、好敵手をテニスで見つけたことについては仕方がない」
「それなんですが……俺は古武術を取り入れたテニスをします」
 俺の台詞を聞いて、途端に父は笑い出した。
「古武術とテニスか。前代未聞だな」
「はい。そうでもしないとあの人に勝てません。あの跡部部長には」
「うむ。跡部の跡継ぎの噂は聞いている。なかなかしっかりした者のようだな」
「はい」
 俺は、ライバルを父に認められて嬉しかった。
 氷帝には古武術部なるものがない。だから、どこの部活にするか決めかねていたけれど――。
 テニス部には跡部部長がいた。ひとつ上の先輩のあの人が。
 外見はちゃらちゃらしているようだが、どうしてどうして。俺は、あの人のテニスを見た時、その美しさに見惚れ――入部することを決めた。
 無論、父の承諾を得てからにしようと思ったのだが――。
「若。跡部の坊ちゃんの鼻をあかして来い!」
 これで了承は得た。
「勿論です。日吉家の男子として、跡部部長の首、取ってみせます」
 そして俺は父に向かって礼をした。
「そんなに畏まるな。若。お前はどうも堅過ぎていかん」
「父様と母様に礼儀を叩きこまれましたからね」
「うむ。礼に始まって礼に終わる。これは古武術にも通じるものだぞ。――テニスにもな。だが、お前は堅過ぎる。テニス部入部は良い機会になるかもしれん」
「お言葉に甘えさせていただきます」
「うむ。お前のことを信じてるぞ」
 テニス――。
 今まで、無縁の世界だと信じ込んでいた。
 だが、跡部部長のテニスに魅せられ、古武術の構えでラケットを持ったら榊先生にも認められ――。
 両親に応援され、今、俺はテニスプレーヤーとしての道を開く。
 本当は中途半端なことはしたくない。どちらかにした方がいいのではないかと俺は思う。だが、俺の古武術には決定的に何が足りない。
 それがなければ致命的な程の何かだ。
 あの人なら持っているのかもしれない。氷帝の自称キング、跡部景吾なら。
「私にもな――いいライバルがいたんだ。いつも二人で切磋琢磨しあっていた。尤も、あいつは亡くなってしまったがな」
「それは――」
「良き理解者だった。あいつ程の好敵手はもう現れないだろう。――お前にも、好敵手がいて良かったな。お前のライバルが長生きすることを願おう」
 我々が願わなくとも、百までは優に生きるだろう。跡部部長なら。
 跡部部長にはファンの女どもも多い。そしてあの人は無類の派手好きだ。
 テニスをする時は何かしらのパフォーマンスをする。
 けれど、あの人なら様になる。氷帝コールは何とかなんないかと思うが。ほんと、あれがなければなぁ……。
 俺は笑っていた。
 母が淹れてくれた茶を飲み干す。――美味しい。
「まぁ、跡継ぎは他にいるのだし、何ならお前はテニスの道に進んでも――」
 そうだな。テニスも悪くない。俺は大真面目に頷いた。
 そう思えたのは、きっと跡部部長のおかげだ。
 跡部部長のように舞えたなら――。
 いや、俺には俺のテニスがある。古武術の演武テニスだ。榊先生にも称賛された。
 いつか、跡部部長を倒して俺が下剋上を果たしてやる。
 それが、俺の誓いだ。
 父の好敵手のことは初めて聞いたが――きっと、そういった話がわかるまで成長したと思われたのだな。父とも対等な関係になったと言うことか。
「若、いつか本物の酒を酌み交わそうぞ」
「はい」
 俺はまだ中学生だ。しかも、入学したばかり。
 早く大人になりたかった。今までよりもずっと。そしたら、父も腹を割って話してくれるだろう。俺も打ち明け話をすることができるだろう。
 兄と、三人でいろいろな話がしたかった。男同士の話を。――父のライバルのことも、いずれもっと聞かせてもらえるだろう。
 だが、まずは貴方を倒してからです、跡部部長!

後書き
2017年11月のweb拍手お礼画面過去ログです。
この頃お礼画面はテニプリが続くなぁ……。いっぱい作品があるからかもしれませんが。
日吉クン、下剋上頑張ってね! 君の努力家なところが大好きだから!
2017.12.02

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