初恋の薫ちゃん

「だから! てめぇはどうしてそんなに分からず屋なんだよ!」
「うるせぇ! てめぇが適当過ぎるんだろ!」
 桃城武と海堂薫が喧嘩をしている。
「あ、越前」
「リョーマくん……」
 堀尾とカチローが困った顔をしている。
「桃ちゃん先輩と海堂先輩がまた喧嘩してるの」
「知ってる。外まで聞こえたから」
 越前リョーマはどこ吹く風。
「おめーなんか同じ薫でも、俺の初恋の薫ちゃんとは大違いだぜ」
「ああ?!」
 海堂はぎょろりと目を剥いた。
「あわわ……」
 堀尾がカチローに近寄る。カチローも心配げに二人を見遣る。
「初恋? 桃先輩、初恋したことあるんスか?」
 珍しく越前が食いついた。
「まぁな。幼稚園の頃だったな。薫ちゃんて大きな目をした美少女がいたんだ」
 桃城が答える。
 俺のいたずらにいつも泣いていた薫ちゃん。
 スカートがよく似合っていた薫ちゃん。
 いつでも動物に優しかった薫ちゃん。
「いい思い出だぜ……」
「桃先輩もロリコンだったんスか?」
「うるさい。俺はあの忍足さんとは違うんだよ。――でも、薫ちゃんが大きくなってたらすげえ綺麗になってるだろうな……」
 ――海堂は何も言ってこなかった。
「ふん」
 と鼻を鳴らすとそのまま部室を出て行った。きっとテニスコートに向かったのだろう。
「初恋の薫ちゃんねぇ……」
「越前、堀尾、カチロー……お前らにも見て欲しかったぜ。写真がねぇのが残念だな」
 桃城は思い出に酔ってうっとりとしている。
「その薫ちゃんて、名字何て言うんスか?」
 越前が訊く。
「……忘れた」
「えー、桃ちゃん先輩サイテー!」
 堀尾が野次を飛ばしたが、桃城に睨まれるとカチローの影に隠れた。越前は我関せずと言う風に着替えをしている。
「いいんだよ。思い出は美しいままで」
「会いたいとか思わないんですか?」
 カチローが質問した。
「そうだな……。会いてぇな。会いてぇよ」
 桃城はきらきらした思い出を持っていた。カチローと堀尾が羨ましそうに見ているのが桃城にもわかる。
「いいなぁ。そういうの……今日の桃ちゃん先輩幸せそうだもんね」
「そうだな。ま、俺にはスズマリがいるからな」
 堀尾が得意そうに宣言する。
「お前は相手にされてねぇんじゃねぇか?」
「うん」
 桃城の言葉に越前が頷く。
「わかってるよ。スズマリは越前が好きなんだもんな……」
 堀尾の台詞は最後の方、消え入りそうだった。
「まぁ、頑張って振り向かせるんだな」
 桃城はそう言うと、ぽんと堀尾の肩を叩いてテニスコートに行った。

 家に帰った後、桃城は母親の買い物に付き合っていた。
「おい、お袋! こんなに買う必要あったのかよ!」
「ほほほ、アンタはバカだけど体力だけはあるから荷物持ちやってもらって助かるわ~」
「くっそ~」
「次は八百屋よ」
 桃城母はいたって普段通りだ。慣れているのかもしれない。――八百屋の前で海堂薫を見かけた。
「ゲッ! 海堂!」
「う……」
 海堂の肩がぴくっと動いた。
「あら、薫ちゃん。久しぶりねぇ」
「お袋、海堂知ってんの?」
「何よぉ、武。もう忘れたの? 同じ幼稚園だった海堂薫ちゃんよ。あの頃は薫ちゃんも女の子みたいに可愛かったけど、もうすっかり男の顔ねぇ……」
 そういえば海堂は俺の初恋話をいつもスルーしていた。
 初恋の薫ちゃん。恥ずかしがり屋の薫ちゃん。
「もしかして……海堂。お前、スカートとか履かされたことあるか?」
「う……」
 海堂は頷かなかったが、動揺しているのがわかる。
「……図星か」
 海堂は舌打ちすると八百屋を離れて駆け去って行った。
「あ、おい……!」
 桃城が呼び止めようとしたが、海堂は足が速い。もう既にその後ろ姿は小さくなっていた。

 翌日――。
「おい、海堂」
「んだよ」
 海堂は桃城に対して言った。
「お前……俺のこと笑いに来たのかよ」
「笑いに……?」
 桃城が驚く。これは意外なことを聞く。
「いや――お前に謝ろうと思ってな。お前にとっては黒歴史だったんだろ。あのこと」
「う……」
「いつまでも過去のこと言われて嬉しいはずないもんな。知らなかったこととはいえ――悪かった!」
 桃城は海堂に頭を下げる。
「う……いや……」
 海堂も戸惑っているようだ。
「俺はショックだったが……お前もいい気しなかっただろうな。これからはお前のこと、”初恋の薫ちゃん”ではなく、”海堂薫”という一人の人間として見るよ」
「そ、そうか……俺も……」
 海堂が続ける。
「俺も……お前のこと、”強くて逞しいガキ大将”ではなく、一人の”桃城武”として見てやる」
「へぇ……お前、俺のこと強くて逞しいって思ってくれてたのか」
 桃城はニヤニヤしている。海堂は真っ赤になってそっぽを向く。そして照れ隠しか、ちっと舌打ちする。
「これからも宜しくな。海堂。俺達はライバルで――友達だ」
「あ、ああ……」
 桃城が拳を突き出す。海堂は相手の拳に拳を合わせた。
「ちぃーっす。先輩」
 越前が入って来た。
「あれ? 今日は空気が違いますね」
「おう。俺達、仲直りしたんだ。な、海堂」
 海堂は「フシュ~」と言いながら桃城を見た。――あのことは黙っとけよ。そう言っているみたいだった。

後書き
2018年7月のweb拍手お礼画面過去ログです。
小春ちゃんの言葉で、薫ちゃんは小さい頃は女の子みたいだったんじゃないかな~と。
因みに私は乾海が好きです。
2018.08.02

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