努力の人

 一生懸命、人目につかないところで壁打ちしている少年がいる。彼の名は滝萩之介。
「ここにいたか」
 渋い男の声がする。聞き慣れた声。滝は手を止めた。
「榊先生……」
 氷帝学園中等部男子テニス部顧問の榊太郎である。
「お前がここにいると聞いてな」
「誰から?」
「――誰でもいいだろう」
 滝は考えた。やはり跡部辺りから聞いたのだろうか。
「何故ここで練習している?」
「――高等部のテニス部でレギュラーになる為です」
 滝はテニス部のレギュラーから落ちた。もう一度挑戦したかったが、もう引退の時期はとっくに過ぎた。だから、高等部でレギュラーを目指そうと言うのだ。宍戸に恨みはないが、今度は俺が勝つ!
「一人で練習しててもつまらんだろう」
 榊が来い、と言うジェスチャーをした。

「君達……氷帝の滝萩之介だ」
 榊が紹介した。ラケットを持った少年が二人いる。
「お前らは……不動峰の!!」
 滝は黒いジャージで、不動峰の選手とわかった。
「ここはダブルス専門なんだけどね~。まぁ、アキラと一緒にこいつをボコれればいっか……」
 物騒なことをぶつぶつとぼやくサラサラ髪の少年。
「おい、深司! ――すみませんね。滝さん。こいつ、悪い奴じゃないんだけど。あ、俺、神尾と言います。こいつは伊武」
 片目を髪で隠した少年が言う。
「伊武に神尾か――覚えてるよ」
 と、滝。
「あっは、そんなに印象強いんだな、俺達」
「……俺は相手が誰だろうが倒すのみだよ……」
 神尾と伊武が口々に言う。
「大体、アンタ、レギュラー降ろされて準レギュラーになったんだろ? 物足りないんだけどな……」
「深司、いい加減にしろよ!」
 神尾は伊武に再び叱責を飛ばした。伊武は黙った。
「この少年達のことはわかっているようだが、改めて紹介しよう。こちら、不動峰の神尾アキラ君と伊武深司君だ。二年だがその実力はなかなか侮れない」
「――そういう訳で宜しく」
「……あんまり宜しくしたくないなぁ」
 伊武の方がハンサムだが、神尾の方が人好きはしそうだ。
「滝は橘と同じ三年だ。滝、話は不動峰の部長の橘に通してある」
「――何で部長なんですか? 普通顧問の先生に言うことでしょう?」
「それはまぁ、そうなんだが――」
 榊がお茶を濁す。
「あいつら、最低です。人間が腐っているんです」
 神尾が大胆な発言をする。
「……あいつらに比べれば榊さんの方がまだマシかな。俺は橘さんの言うことしかきかないって決めてるけどね……」
 伊武がぼやく。
 伊武を心酔させる程の橘だ。確かに強く、カリスマ性もありそうだ。伊武も神尾も一癖ありそうな少年なのに……。
「橘さんに頼まれたから仕方ないよね。せいぜい腕慣らしにさせてもらうよ……」
「深司……滝さんは年上だぞ」
「……アキラ、キミ、不動峰の先輩を尊敬したことある? 橘さん以外で」
「?!」
 神尾は伊武に痛いところを突かれたようだった。
「それでは私は戻る。神尾に伊武。滝のことは頼んだぞ」
 榊は去って行った。
「滝さん。ここはダブルス専門のコートなんだ」
「へぇ……でも、俺にはチームを組む相手がいないよ」
「だから――二対一です。俺と深司、そして、その相手をするのが滝さん」
「へぇー」
 滝はヒュー、と口笛を吹いた。
「橘もやるねー。俺に二人をぶつけるなんて。悪いけど、俺は負けないよ」
「それはこっちの台詞だ!」
「アキラ……同感だが、挑発に簡単に乗るなんて頭悪過ぎ……」
 伊武が言う。滝はラケットを持った。
「サーブ権決めるよ」
 ――滝がサーブ権を取った。彼がサービスエースを決める。
「へぇ……元氷帝レギュラーだけのことはあるね……アキラ、ちょっと手応え感じない?」
「ああ」
 神尾が笑った。

 ――勝負はその日の内にはつかなかった。テニスに引き分けはないが、かなり時間が遅くなっていたのだ。
「やるねー。君達」
 滝が息を切らしながら言う。不動峰の二人も疲れが見え始めてる。
「流石だ、滝さん」
「ふん……俺達がアンタを倒すまで、打ち合いしてやっても良いけどね……」
 伊武はツンデレらしい。
「こんな時間まで練習に付き合ってくれてありがとう」
「いやいや、いいっすよ。それよりさ――深司も言ってたけど、強い相手とやりたいからさ、また来てくれますか?」
「いいよ。鬼〇郎くん」
「――誰が鬼〇郎だ!」
「アキラ、君は誰が見ても鬼〇郎だよ……」
 伊武がくすくすと笑う。
「なっ、深司まで……!」
「君達は仲がいいんだねー」
 多少羨ましくなって、滝が言った。
「そうっス。不動峰のテニス部は皆仲がいいんです。これも橘部長のおかげです」
 神尾が胸を張った。
「……先輩には恵まれなかったけどね……」
 伊武がぼそぼそと喋った。
「榊先生とはどんな関係なの?」
 滝が訊く。
「榊さんのことは前から知ってたけど? ここで練習をしてたら、橘部長が話があるからって――行ってみたら榊さんがいたんです」
「一人の努力家の面倒を頼むと……」
 神尾と伊武が教えてくれた。努力家か……。滝の目元にうっすらと涙が滲んだ。
 宍戸には負けたのは悔しいが、一方ではその努力を認めてもいる。宍戸は一生懸命レギュラーの座を再び勝ち取る為に練習に励んでいたと、後で鳳から聞いた。けれど、榊は――。
 滝を切ったのは榊だ。――滝はずっとそう思っていた。厳しいだけの教師かと思っていた。けれど、本当はずっと気にかけてくれていたのだ。宍戸だけでなく、自分も努力家だと榊から判断されていたのだ。
「泣かないでください……」
 神尾が些か困ったように言った。
「……何で泣いてんだか、意味がわからないんだけど……でも、アンタはただの雑魚じゃなさそうだね。ちょっとだけ見直してあげるよ……」
 伊武の声は聞き取りづらい――が、受け入れてもらえたことは何となくわかった。
「いや、済まない……感動しちゃって」
 滝は指で涙を拭った。神尾と伊武が、滝が何に感動したのか訳がわからなさそうにお互いの顔を見遣っている。
「君達は強い。これからも練習に付き合ってくれるかい?」
「勿論! 滝さんと練習することが俺達の為になると思うしね」
 神尾が喜んでいる。伊武も満更ではないようだった。神尾も伊武もテニスが何より好きなのだろう。滝は、自分も前よりテニスを楽しめそうな気がした。

後書き
2017年6月のweb拍手お礼画面過去ログです。
滝さんの話です。滝さんこれからも頑張って~。伊武と神尾も好きです。
彼らはきっと強くなると信じてます!
2017.7.2

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