樺地クンのクッキー

「ウス」
「あら、崇弘君じゃない、いらっしゃい」
 樺地崇弘は親戚が近所でやっている菓子店に来ていた。優しそうなおばさんが笑いかける。優しそうなだけでなく、実際優しい。
「お願いがあるんですが……」
「はい、何でしょう」
 おばさんはエプロンで手を拭いながら首を傾げた。
「ここでクッキーを作っても宜しいでしょうか?」
「いいわよ。でも、崇弘君の家でもクッキーぐらい作れるでしょう?」
「――ちょっと数が多くて……」
「まぁ、何人分?」
「――五百人分」
 おばさんは口をあんぐりと開けた。――ショックから立ち直った後言った。
「それは跡部君に頼まれたの?」
 樺地は黙って首を横に振った。
「――いつまで?」
「……明日まで」
「待ってね。崇弘君。あなた、あなた、ちょっと来て」
 お菓子屋の夫婦は一生懸命樺地を手伝った。樺地は感謝すると共に、いずれ恩返ししようと心に決めた。

「ハーン。それでそんなにたくさんクッキーを……ご苦労だったな」
 跡部の労いの言葉に樺地は、
「ウス」
 と、答えた。今日は、跡部と樺地が忍足と初めて出会った日である。
「まぁ、お前のクッキーは絶品だからな。ありがとよ。みんなも喜ぶぜ、きっと」
 跡部は機嫌よく樺地に言った。その言葉だけで、樺地は何でもできそうな気がした。
「味見したりぃ? 跡部」
 傍らの忍足が促す。跡部はクッキーをひとつつまんで口に入れた。
「ん、旨いぜ。樺地」
「ウス」
「お前らみたいな友達を持って俺様は幸せだな」
「――友達と言うより子分みたいなもんやけどな」
 忍足が苦笑しながら言う。跡部には友達というものに特別な思い入れがあるのだ。
「なんせ、跡部は王様やもんなぁ。王様と対等に喋れるのは越前くらいのもんかもわからんなぁ」
「ウス」
「ああ? 確かにあいつも友達だけどよぉ……やっぱ青学の奴は変わってんな」
「変わっとんのは跡部の方や。――越前も変わっとるといえば変わっとるがな」
 と、忍足。
「あの、跡部さん、このクッキー、テニス部の皆に渡しに行っていいですか?」
「ああ、中等部の奴らにか。日吉も鳳も喜ぶだろう」
「ウス」
 樺地は部屋を出て行った。そのすぐ後、ジローが段ボール箱を抱えて歩く樺地を見つけて訊いた。
「樺地~、久しぶりだC~。ていうか、いい匂いだC~」
「ジローさんの分も、ありますよ」
「本当? うっれC~」
 樺地は綺麗にラッピングした袋をジローに渡した。ジローは嬉しそうに飛び跳ねてクッキーを取り出してぱくっと一口で食べた。
「おいC~。樺地はいつでも嫁に行けるね」
 さすがにこれには樺地もいつものように頷くことができずに、
「はぁ……」
 と、気のない返事しかできなかった。
「冗談だC~。で、どこいくんだC~?」
「中等部のテニス部です」
 ――そして、樺地はそこを後にした。

「日吉さん。鳳さん」
「ああ、樺地」
「というか、俺達にまでさんづけしなくたっていいんだよ」
「こいつはチョタだ。わかってると思うが」
 日吉は鳳を指差す。日吉は氷帝学園中等部テニス部の部長になっていた。
「日吉さん、このクッキー、お裾分けですのでみんなで食べてください」
「……量、多くない?」
「俺もそう思う」
「ウス。テニス部の皆さんにはお世話になってますから」
「樺地のクッキーだったらあっという間になくなると思うがな。しかしよく作ったな」
「自分、このくらいしかできませんから」
「そうでもないだろ。お前テニスも上手いし」
 日吉が褒める。樺地には何も言えなかった。褒められるのには慣れていない。
「樺地、俺も食べていいかな」
「どうぞ」
「あ、宍戸さん元気でした?」
 鳳が何気なくそう言うと樺地は済まなそうな顔をした。
「自分は――宍戸さんには会っていないので、どうだかわかりませんが、多分元気だと思います」
「ああ、いいんだ、気にしなくても。ただ軽い気持ちで訊いただけだから」
「…………」
 樺地は自分が今どんな顔をしているのかわからなかった。

 ――クッキーはすぐに売れた。
「うめー!」
「樺地! やっぱりお前のクッキー最高だよ!」
「親戚のおじさんとおばさんにも、手伝ってもらいました」
 樺地は前より口数が多くなった。いつまでも跡部の陰に隠れている訳にもいかないのだ。
「親戚の人達も器用なんだな」
「また頼むぜ」
「ウス」
 クッキーが好評で樺地は嬉しかった。しかし、一番嬉しかったのは、跡部に喜んでもらえたことである。樺地は跡部の笑顔を思い出して幸せな気持ちに浸っていた。
(また作ろう――)
 そう思っていると――。コン、と小石が窓にぶつかった。跡部だ。
「跡部、さん?」
 跡部が窓の外で手を振っている。部室は一階なのだ。樺地が窓を開ける。
「部活終わったから今日も一緒に帰ろうぜ、樺地」
 跡部が何となく可愛く見えた。ファンが多いのも納得できる。樺地は誰かに尽くすことに喜びを感じる質だ。跡部にもよく仕えている。跡部に仕えるのは最高の喜びだ。
 早く来年度になればいいと思う。そしたらテニス部で会いたい時に会える。中等部の自分と高等部の跡部とでは今までよりすれ違いもあるだろう。
(忍足さんもいるのかな?)
 それはそれで構わないと思う。忍足も樺地の友人なのだから。氷帝テニス部のレギュラー陣はなんだかんだ言っても仲がいい。元中等部のレギュラー陣のメンバーも。
「跡部さん、忍足さんは――?」
「いるで」
 忍足も駆けてくる。
「お二人さんのデート邪魔する気はないんやが、今日は一緒に帰らせてぇな」
 何がデートだ、と抗弁する跡部に、忍足はちゃうんか?と応酬していた。
 樺地は己こそがそんな跡部と忍足を邪魔することになるんじゃないかと少々心苦しく思ったが。否、もっと自信を持たなければ。
 桜の大木がしっかり根を張っている。この大木のようにどっしりとした力強い存在になろう。仲間達の為に――。樺地はそう誓った。

後書き
樺地も懐が深いです。スケールも大きいし。だから跡部様とも気が合うのかなぁ。
樺地クンのクッキー、私も欲しいです!
これからもがんばってね、樺地。
2015.11.29

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