俺様の美技に酔いな 75

 三船入道の教え方は荒療治であった。
 リョーマと田仁志と忍足謙也は酒を盗んで来いと言われた。スポーツマン狩りだと言って、鷲にも追われた。鷲の好きな匂いをつけた風船を持って。
 それでも、上達したからいいようなものの……。
(あの三船コーチって何者なんだろう……)
 徳川が言っていた。
(入道コーチに会うといい)
 もしかして、知り合いなんだろうか――。徳川もこのような訓練したのだろうか。確かに、徳川も初めから強い訳ではなかったのだろうが。
 いが栗を同時に五個打った時、三船入道は言った。
「一度に十個打てんと徳川や鬼には勝てんぞぉ」
(このおっさん――何かを知っている)
 徳川も三船と会うように勧めた。リョーマが考え事をしていると――。
「らしくないな、小僧」
 真田弦一郎であった。放っておいて欲しかったが、真田だったらまぁいいか、と思うリョーマであった。
「俺ら負け組、ここで特訓している間に、弱点を克服しつつある」
「……一緒にしないでくんない?」
 リョーマはいつもの憎まれ口を叩いたが、真田は特に気にもしていないようだった。
「――三船コーチについていくことが……俺達の最大の近道かもしれん」
 それはリョーマも思っていた。負けることが最大のチャンス。だが、三船コーチは秘訣を教えてくれない。それが、三船コーチのやり方といえば、やり方だと思うのだが――。
「でも、コーチ自身は何も教えてくんないっスよ」
「だったら――ありったけの酒を取りに行く」
 なるほど。いい作戦かもしれない。リョーマは初めて今日初めて笑った。
「真田さん、頭いいっスね。そうは見えないけど」
「一言多い! キェェェェェ!」
「――あんまり大きな声を出さないでください……」

 しかし、三船は、中学生達がかっ払ってきた大量の酒を飲んだまま眠ってしまった。
 ――無駄骨だったか……彼らが密かにそう落胆した時だった。
「おい、ガキども――ワシの特訓について来れるか?」
 三船がむっくりと起きた。
「ワシもU-17合宿のエリートどもがいけ好かなかった――皆の者、奴らをぶっつぶせ! 革命じゃ!」
 三船は松明を持ったまま叫んだ。高校生達は、中学生達の可能性に賭けてくれた。
(ま、このぐらいやんないと面白くないっスよね)
 リョーマは金太郎と共に笑みをかわした。金太郎も同じ覚悟を持っていたらしい。
「三船のおっちゃん! ワイもやるで~」
「おう!」
 そして――革命は成功する。

「2番コートの人達はもう来ないっスよ。……俺達が新しい2番コートってことでいいっスね」
 地獄の底から帰って来た負け組――越前リョーマがそう言った。高校生が中学生にボールを投げつける。――ボールは全て中学生達に取られた。
「ええボール使って羨ましな」
 ――果ては真田が黒いオーラを発して、高校生を黙らせる。
「はいはい。年上に恥かかせるもんんじゃないよ」
 色黒白髪の青年がパンパンと手を叩いた。彼は、
『本来は1軍なのに飛行機が嫌いで海外遠征に行かなかった種ヶ島修二』
 ――らしい。
(ふぅん。わかってんじゃん)
 何となく風格もある。何故飛行機が嫌いなのかはわからなかったが、とにかく強いことだけは間違いない。
 ――リョーマは徳川カズヤとも会った。
「崖の上のコート――か。俺も一年前そのジャージを着て戻った」
「へぇ、やっぱり知ってたんだ。あの人、滅茶苦茶だよね」
「ああ。だが、結果は出す人だ」
「――スパルタだけどね」
 徳川は一見ぶっきらぼうだけど、優しかった。リョーマのことも気にかけてくれていたようだ。何だか、こんな兄がいたらいいような――。
(ん? でも、俺には、本当の兄貴がいたはずなんだよな――さっぱり思い出せないけど)
「ちょっとは成長したようだね。越前リョーマ」
「ま……待ってよ、徳川さん」
 まさか、何もかも知ってて――?
 悔しいけれど、今の自分では徳川に勝てない。この時、リョーマは跡部のことなどすっかり忘れていた。何かあるとすぐ他のことは忘れてしまうのがリョーマであるのだから――。

 その夜、合宿所では枕投げが行われた。怪我人も出たとか出ないとか――。
「な、何か、不二先輩怖いんスけど――」
「ああ。枕投げで裕太に枕ぶつけた命知らずがいてね」
 不二はこともなげに言った。リョーマはその命知らず(誰だか知らないが)に、手を合わせた。
 合宿所のメンバーは全員廊下に正座させられた。リョーマはさりげなさを装って、跡部の隣に座った。そして言った。
「――跡部さんも枕投げに参加しなかったんですか?」
「いや……俺様も参加しようと思ったんだけどな――樺地が仁王についちまった」
「仁王さんに?」
 ――話が見えない。
「あいつ、仁王に従うことに決めたんだろうよ。確かに仁王はいい男だが――樺地をやる訳にはいかねぇよ」
 跡部は爪を噛んだ。せっかく綺麗に整えられた爪なのに――。
「樺地め――俺様のどこがいけなかったんだ。言ったら直したのによぉ……。もう、俺の命令を聞くのはごめんだってか。なら、それでもいいが……」
 跡部はぶつぶつ呟いている。真相はリョーマが知っている。
(――跡部さん、樺地さんはあなたを裏切った訳ではありませんよ)
 桃城を担ぐよう樺地に命じたのは、跡部の声色を使った仁王だった。仁王のおかげで、桃城もテニスを諦めることなく、崖の上のコートにまで辿り着くことが出来たのだ。
(――でも、これは言ってやんない)
 跡部の中で樺地の存在がまた大きくなってしまうと困るから――尤も、リョーマも人のことは言えない。徳川に好意を持っている自分がいるのがわかる。兄貴分としての純粋な好意だが。
「あのね、跡部さん――」
 リョーマがその台詞を続きを言うことは出来なかった。
 何故か。合宿所の責任者が長々とお説教を始めたからだった。
「――足が痺れて来たよ。だから正座は苦手なんだ」
「黙ってろ。俺様だって連帯責任なんだ。これなら、樺地に頼らず、自分の力で門脇に枕をぶつけるべきだったぜ」
「そこ煩い!」
「――済みません」
 リョーマは耳を疑った。跡部が謝っている? あの跡部が――。唯我独尊の男が。
「跡部さん」
 リョーマは小声で囁いた。
「さっき、どうして謝ったんですか?」
「あーん? 俺様が悪いと思ったからに決まってんだろ」
 ――そうだ。この人は案外素直なところがある。単純と言った方がいいかもしれないが。
 それに――自分が負い目のある人間には、跡部景吾という男は存外優しい。リョーマだって、彼のおかげで軽井沢の地獄の淵から生還したのだった。そして、リョーマは記憶を取り戻し、全国大会の最後の試合に間に合うことが出来たのである。
 この人は大きくなったら慈善団体とか立ち上げるのではないだろうか。跡部のそんな片鱗が垣間見えて来ている。樺地には我儘言って困らせているようだが。
 だけど、それは信頼の証。
 リョーマは自分も早く跡部に頼られるような大人になりたいと思った。――我儘でも無茶でも何でも言って。俺は――跡部さんの全てを受け止めるから……。
 でも、それには自分も大人にならなければならない。自分はまだまだガキだと、リョーマ自身そう思う。
(それにしても、あの仁王さんの機転はすごかったっスね――)
 流石、コート上のペテン師と呼ばれるだけのことはある。仁王は人をよく観察しているのだ。そして――多分、仁王は人間が好きなのだ。
「プリッ」
 跡部の左隣からそんな声が聞こえた。仁王雅治だ。その仁王の右隣には樺地。仁王は跡部に何か言ったようだったが、跡部は微かに頭を振った。
 枕投げは誰が起こしたのか、リョーマは知らない。だが、廊下には沢山の蕎麦殻。石田銀は拾弐式波動球を使い、とどめは金太郎の超ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐であった。
 ――大騒ぎの枕投げ騒動は幕を閉じた。夜は深々と更けていく。リョーマは跡部との再会をこっそり喜んだ。例え、散らばった枕の蕎麦殻を全員で掃除する羽目になったとしても――。

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2021.01.13

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