橘杏が黙ってない

 今日も私がいつものダブルス専門のテニスコートのベンチに座って布川君達の試合を見ていたら――。
 不審な二人組がやってきた。一人は大きな男。テニスラケットをしまってあるバッグを二つ、肩から下げている。
 もう一人は結構イケメン。荷物は持っていないからあの大男に持たせているのね。――何か、嫌な予感がした。
「おっ、君達も対戦する?」
 泉君が声をかける。
「いや、俺達は弱いヤツを相手にするつもりはねぇから」
 イケメンの言葉に布川君の肩がぴくっと動いた。
「何だと――?」
「ここ、弱者のたまり場だろ? あーん? 新しいテニスコートが出来たって言うんで来てみたら――お前らにこのコートは勿体ねぇぜ」
「てめぇっ……!」
「やめなさい!」
 私は二人の間に割って入った。
「杏ちゃん……?」
「一体何様のつもりよ、アンタ! それ以上ストリートテニスを馬鹿にしたらこの橘杏が黙っていないんだからね!」
「ふぅん……」
 イケメン――金茶髪の男が検分するような目でこっちを見た。うちのお兄ちゃんも以前は金髪だったけど、それとは色合いが違うというか……。
 何なの? 気に入らないわね。
「お前、なかなか可愛いな」
「――は?」
「こいつら全部倒したらデートしてくれるか?」
 何だって――?!
「アンタ、何言って……」
「ふぅん。あんな啖呵を切ったくせに臆病風に吹かれたか?」
「う……わかったわよ。受けて立つわ」
「杏ちゃん!」
「泉君、布川君」
 泉君と布川君はしばらくは顔を見合わせたが、やがて頷いた。
「オーケー。やったろうじゃん」
「へっ。自分の実力の低さもわからないとはな」
「黙れ。ひょうろく玉」
「おっと。文句だったら勝った後にしな。やれ、樺地」
「――ウス」
 あの大きな男は樺地って言うのか。だから何だって話だけど。
「俺はここで座って見てるよ」
「高みの見物ってわけ? お山の大将さん」
「何とでも言え。つーわけだ。頼んだぞ。樺地」
「ウス」
 あの人、「ウス」としか言えないのかしら。
 それにしても気の毒ね。あんな男の言いなりにしかなれないなんて。
 ちょっとぬぼーとした容貌は隣りにいる金髪チャラ男よりは好感が持てるんだけど。――まぁ、あの男の味方ってだけで私達にとっては敵だけどね。
 さぁ、皆、あいつを叩きのめしてちょうだい!
 本当は私が戦えればいいんだけどね……私は女の子だからという理由で布川君達に見ているよう頼まれたのだ。だから――本当はあの金茶髪男にえらそうなことは言えないんだけど。
「杏ちゃん、ちょっと片づけてくるね」
「……うん」
 こうなったのって、半分は私のせいよね……。
「わ、私も、やっぱり試合に出る?」
「いや、いいから杏ちゃんは黙って見ててよ。さっきも布川達が言ったけど」
 ここにいたメンバーが私に向かって笑ってみせた。
「へぇー、アンタ、皆のお姫様ってわけか」
 ――何かしら、こいつ。何かいちいち腹立つ奴ね。
「一球勝負だ。そっちがサーブだぜ」
「よ、よぉし!」
「――行け、樺地」
「ウス」
 樺地、という男はこっち側のサーブを難なく返した。――だけでない。
「うぉっ!」
「――何だ? あの球!」
 後ろの方から聞こえた。
 樺地君の巨体から繰り出された球は――とんでもなく重い!
 ただのウドの大木じゃないってわけね。あのラケットバッグを軽々二つも担いでいたんだから体力はありそうだとは思ってたけど。
 ――とにかく、私の仲間達はことごとく負けた。
「ごめん、杏ちゃん」
「ううん、謝んなくていいよ」
 私は焦った。こうなったのも私が絡んでいるんだから。それなのに謝られるなんて……。
 男が「くぁ……」と欠伸をした。
「弱者の麗しい友情か、くだらねぇ」
「何ですって――!」
 私は思わずキレかけたけど、そしたらあの男の思うツボになってしまう。
「杏ちゃん。俺達があいつらをやっつけてやるぜ!」
 と、布川君。
「俺達、ストリートテニスに青春かけてんだぜ。なぁ、そうだろ? 泉」
「ああ」
 そうね――玉林中の名ダブルス選手の二人なら、あの樺地とかいう男も敵わない――。
 ううん。やっぱり樺地君が勝つんだろうけど……一回ぐらいは返せるわよね……。
 ドンッ!
 ――布川君が球を追う。
「……ぐっ!」
 やっぱり布川君達でも無理なの――!
 布川君と泉君も樺地君の前に敗れ去った。満足にボールを返すこともできずに。
「……くそっ!」
「布川君!」
 私はきっ、と金茶髪の男を睨んだ。不思議と樺地という男に対する怒りはない。彼はただ、そこの男の命令を聞いていただけなのだ。私が許せないのは――。
「ちょっとアンタねぇ……! 見てばっかで参加しなさいよ! それともアンタ、本当は弱いんじゃないの?」
「ふ……この俺にそんな口を叩くとはいい度胸だ――ますます気に入ったぜ」
「な……何よ、アンタ達、放して!」
 金茶髪の男が私の肩に手をかけた。
「アンタが約束したんだろ? そいつら全員倒したら、アンタがデートしてくれるって」
 嫌よ! こんな男と! 怖気が走るわ!
 ――そこへ来たのがどういうわけだか一緒に来た神尾君とモモシロ君。彼らも樺地君と対戦した。
 結果は――モモシロ君が執念で樺地君の打ったボールを返した。モモシロ君――上手くなってる?!
 結局謎の金茶髪男はとうとう参戦しなかった。――弱点掴み損ねちゃったじゃない。私達じゃ相手にならないってわけ? ずいぶんひとを舐めてるわね。
 でも、この男――モモシロ君や神尾君の挑発に微動だにしなかった。
「今日のところは負けておいてやる」
 モモシロ君と男は自己紹介し合う。――男の名は跡部景吾。氷帝学園の生徒だって……。
 え……氷帝学園て中学テニス界でも有名じゃない! 都大会No.1シードの学校だし……。跡部景吾……か。ただ者じゃなさそうね。
 いつかモモシロ君ともまた対戦する予定みたいね。……ま、私はモモシロ君を応援するけどね。
 でも――弱い、ということだけはなさそうね。もしかしたら樺地君より強いのかしら。お兄ちゃんに油断しないよう言っておこう。
 神尾君は跡部にお前なんて眼中にない、みたいな感じで扱われてちょっと凹んでいた。神尾君だって強いのに可哀想。
 皆、私に対して「杏ちゃん、ごめんね」と言ってくれた。だから、謝る必要はないんだって。
 あんなふざけた条件を飲んだ私が悪いんだし――やだ、ちょっと涙が滲んできちゃった。

後書き
2017年4月のweb拍手お礼画面過去ログです。
私は跡部様好きなんですけどね。ちょっと杏ちゃんと跡部様の出会いは最悪だったみたい。
因みに、タイトルは『花咲舞が黙ってない』をもじったものです。
2017.5.2

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