亜久津と千石

「なぁなぁ、亜久津君」
「――んだよ、千石」
「あ、やっとこっち向いた」
 そう言って千石はにかっと笑った。このへらへらした男。ぶん殴ってやろうか――。その時だった。
「じ~ん~」
 ゲッ、ババァだ。
 俺の名は亜久津仁。で、俺を呼ぶやけに若いババァが母親ってわけ。三十三で中三の息子がいるってどうよ。
「あ、優紀ちゃ~ん」
 うちのババァを名前で呼んでんじゃねーよ。千石も。
「キャプテンに会いたいんだけど?」
「俺――つっても信じないですよね。南、南~」
 ふぅ、煩いヤツがいなくなった。キャプテンの南は相変わらずババァの前でカチコチに緊張していた。全く、どいつもこいつも――。

「ねぇ、亜久津」
「気安く呼ぶんじゃねぇ」
「亜久津の母親、若くって綺麗でいいね」
 あいつのおかげで俺はしなくっていい苦労をしてきたんだ。
「もうちょっと嬉しそうにしなよ」
 うるせぇ。――この千石清純という男は、俺と同じクラスだ。やたらと俺に構ってくる。
「俺に指図すんな」
「おーこわ。でも、俺の母親は年だしさ、ああ言う若いお母さん、羨ましいんだよね」
 俺はお前が羨ましい。そう言えるだけ脳天気なお前が。
「いいことばかりじゃねぇよ」
「そ~お? でもさ、亜久津も自慢じゃねぇの? 若い母親」
 若過ぎるっつーの。何が優紀ちゃんだ。三十三のババァの呼び方じゃねぇだろ。しかも、俺はもう中学生だぜ。
 あいつが異様に若いおかげで俺はどれだけ探りを入れられたか――。
 いや、あの男はそうじゃなかったな。
 河村隆。俺の数少ない友達。
 俺の話もまぁ一応聞いてくれたし、ババァにも合わせてくれたし。いいヤツだったが、ヤツは青学に行っちまった。
 そう言えば初めてだな。千石と母親の話すんの。
「俺なんかさぁ、どこにでもある普通の家庭でさ。ま、そこがいいんだけど」
 さらっと自慢してんじゃねぇ。
 だが、そんなことを思っていても、そんなに嫌ではない自分がいた。
 まるで河村と話している時のようだな。
 千石はいやにババァと仲いいようだけど、友達同士のような関係みたいだ。
 俺のババァだってもう年だしな。それに、ああ見えて結構固いし。
 ん? 何で俺はババァの弁護なんかしてんだ? ババァなんて関係ねぇし。
「亜久津。テニスやろうよ」
「やんねぇ」
「ええっ?! 何でテニス部入ってテニスやんないの?!」
「ケンカの方が面白い」
 そう――ケンカなら、俺の血の滾りを沈めてくれる。ん? テニス? そんなもん……。
「ははぁん。俺に負けるの嫌なんだ」
 んだとぉー!
「上等だごるぁ。俺の実力見せつけてやるぞ!」
「亜久津が上手いのは知ってるよ。でも、俺も練習して来たもんね」
 ――この千石清純は、食わせ者なのかただの煩いヤツなのか……俺にはいまいちわかんねぇ。

 1セットマッチの練習試合をすることになった。そして、当然俺が勝った。
「やー、やっぱり亜久津は強いなぁ。でも、1ゲームでも取れて俺ってラッキー♪」
 ふざけてんのか?
「たったの1ゲームで喜んでんじゃねぇよ」
「だってこう言う性格だもん」
「――おめーは毎日が楽しいんだろうな。めでたくてさ」
「えー? 亜久津は違うの」
「ああ」
「でも、亜久津っていいヤツだと思うよ。あの優紀ちゃんの息子だし」
「俺はいいヤツなんかじゃねぇ――」
「またまたぁ。つっぱらかってないでもっと人生楽しもうよ。この世界に生まれたことだけで超ラッキーなんだから」
「…………」
 そう言えば、あいつまだ来てねぇな。
「壇のヤツはどうした?」
「気になる?」
「いねぇんだったらいいぜ。別に」
「壇もさぁ、亜久津先輩、亜久津先輩って懐いて可愛いじゃん」
「興味ねぇ」
 だが、確かに壇も俺の周りにはいなかったタイプだ。
 このところ、俺の周りには妙なヤツばかり来る。――この千石とか、壇とか。
 他の部員はまず怖がって近寄って来ない。それでいいと思うんだけど。
「亜久津のテニス、好きだよ」
「あぁ? 寝惚けたこと言うな」
「アンタがテニス部に入って良かったと思ってる」
「テニスなんて――誰でも出来る」
「うん、でも――もっとテニスも楽しもうよ。亜久津、どこか寂しそうに見えるもん」
「――俺と同じ人間はいないんだと思ってな」
 そう言った俺を千石は笑いのめした。
「何故笑う」
「だって、同じ人間いないの当たり前じゃん。クローンじゃないんだしさ――いや、クローンだって個性を持ってりゃ立派な別人さ。同じ人間がいないからこそ――人生って楽しいんじゃん」
 ……一本取られちまったぜ。くそっ。胸糞わりぃから煙草を取り出す。すると、千石が煙草の箱を取り上げた。
「はい、没収~」
「おい!」
「こんなの吸ってちゃ体に悪いよ。スポーツマンは体が資本、ね」
「俺はそんなもんになった覚えはねぇよ! モク返せ!」
「やだよーん」
 俺が千石としようもねぇやり取りをしていると――。
「ダダダダーン! 亜久津先輩、千石先輩!」
 壇太一がやって来た。大きなヘアバンドがずり落ちて来ようとして来る。いつか言おうと思っていたことだが――。
「それ、邪魔じゃねぇの?」
「あは。でも、せっかくプレゼントしてもらった物ですから」
「でも、それ、君に似合ってるよ」
「ありがとうです。千石先輩」
「捨てちまえ。そんなもん」
「ええー?! 亜久津先輩が贈ってくれた物なんですよー!」
「……そうだったか?」
「あのね、亜久津はね、君がそのヘアバンドで視界が遮られると危ないから捨てろって言ってんだよ。優しいね」
「そんなこと言ってねぇだろ!」
「そうだったんですか! 心配してくださってありがとうです!」
「うがーっ!!」
 どうもこいつらといると調子が狂いっぱなしだ。でも、何か、『普通の中学生』っつーヤツになれた気がした。
 ――仕方ねぇな。テニス部なんてすぐ辞めようと思ったが、やっぱりもう少し続けてみるか。

後書き
2017年9月のweb拍手お礼画面過去ログです。
私も亜久津は本当はいい奴だと思います。
千石クンも壇クンも大好きです!
2017.10.2

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