オレは裏切らないよ

 オレは小学生の頃、いじめに遭っていた。
 いや――その頃はいじめを受けているなんて自覚すらなかった。それが当たり前のことだったから。
「やーい、やーい。緑間のオカマー」
「女みてぇな面しやがってー」
「何て呼べばいいの? 真太郎? 名前ばっかり男みたいじゃん。真子でいいよなっ!」
 確かに、幼い頃のオレは目ばかり大きい女顔だった。そのくせ視力は弱くて。だが、女だったら眼鏡美少女で通っていただろう。――オレの妹のように。
 でも、クラスメートどもの場合からかっているだけなのはわかっていたし――オレもそんなに気にしなかった。
 だが――ある時、一人の少年が転校生としてやってきた。
 その少年は何かとオレにくっついてきて、世話を何くれと焼いてくれていた。いや、焼こうとしていた。
「よぉ。真ちゃんのおホモだち」
「熱い熱い」
「何だとこの――あ、緑間待ってよ」
 オレはずんずんと歩き去っていく。
「待てよ。緑間……オマエ、足速いのな」
「何なのだよ」
「あのさ……オカマとかホモとか呼ばれるの悔しくないの?」
「別に」
「ううん。悔しいはずだ。だってオレが悔しいもん」
 オレは黙っていた。その日からオレ達は何となく一緒にいるようになった。
「おーい。緑間ー。走れメロスって面白いよー。ほら、セリヌンティウスとメロスってオレ達みたいだろ?」
「……どこがなのだよ」
「セリヌンティウスが緑間でさ、メロスがオレ。オレ、緑間の為なら千里の道を走ることもいとわないよ!」
 少年の顔はきらきらと輝いていた。オレは黙っているしかなかった。
 ある日、オレはその少年がクラスメートと話しているのを聞いてしまった。
「なぁ、オマエさぁ、緑間のそばにずっといるけど、あいつオカマだぜぇ」
「男じゃないんだよ」
「男じゃなければ何なのさ」
「だから……オカマさ」
「あいつにあんまり関わるのやめたら?」
「わかってないな。君達。緑間を君達のいじめから救えるのはオレだけなんだよ。ほら、ヒーローってヤツ? オレはオマエらから緑間をかばってやってるのさ」
 ガタンッ!
 さっきの物音はあいつにも聞こえたと思う。
「緑間っ?!」
 背後にあいつの声がかかってきて――オレのまだ細い腕を捕まえた。
「どうしたんだよ!」
 オレは――こいつの見栄の為に利用されたのだ。だから言ってやった。
「オレは、オマエにかばってもらった覚えなんてちっともないのだよ」
 どすの利いた低い声で言ってやった。このオレに、こんな声が出るのかと自分でびっくりしたくらいの。
 そいつは放心していた。ざまぁ見ろ。
 だが――翌日報復が待っていた。
「おい、緑間。オマエさぁ、男とキスしたんだって?」
「――は?」
 何なのだよ、それ。オカマだ女男だとは散々言われてきたが。
「緑間ー。オマエ男襲ったんだって?」
「はぁ???」
 さぞかしオレは間抜け面を晒していたに違いない。
 オレは教室に急いだ。――そこには、オレをホモだ男好きだと言っているあいつの姿が!
「よーぉ。男たらしのお通りだぜ」
 オレは――口をあんぐり開けていた。
 こ……こいつは、昨日まで友達だ友情だと嫌になるほどほざいていたヤツではないか!
 それが……一晩立てばオレを馬鹿にする側に回るのか。人間こうも堕ちるものなのか。
 ふっと相手は笑った。
「よぉ、緑間。確か昨日オレにキス迫ったよな」
「ひゅーひゅー」
「やっぱ男好きじゃん!」
 オレの顔に血が上った。
 もう誰も信じない、信じない。
 オレは裏切られたのだよ――。
 裏切られた? だとしたら、あいつのこと、少しは信じてたってことか。情けない――。
 オレは思いっきり屋上で泣いて……後は無視することにした。
 帰る時が最悪だった。オレは廊下に並んだあいつらの列を通らなければならないのだ。少年は頭が良くて人気があって金持ちで――だから、下僕も大勢従えていた。
「よーぉ。緑間ちゃーん」
「オレ、大きくなったら彼女にしてやってもいいぜーぇ。……嘘だけどなっ。キモっ!」
「あっち行けホモ!」
 泣くもんか……。
 オレは鉄面皮を通していた。
 そんな時にかばってくれたのが――皮肉なことに、以前オレをいじめていたクラスメート達だった。
「緑間はぁ、ホモなんかじゃないからな!」
「たとえホモだとしても、オマエらに関係あんのかよ!」
「何だと?! 緑間のこと好きなんじゃねぇか? オマエら!」
「んだよ! 緑間はつぇぇんだぞ! な、緑間」
「ははぁん。オマエら緑間に惚れたとか?」
「てめぇみてぇなこうもりが一番腹立つんだよ! 昨日まで緑間、緑間言ってたくせにさぁ……」
 オレは少年の顔を見た。少年の顔が歪んだ。見てはいけないものを見た気がした。そいつはにやりと笑って信じられないことを言った。
「ホモは学校来んな」
「んだとぉ!」
 オレはそいつにつっかかって行った。オレの反撃を予想もしていなかったのであろう。そいつの歯は二本折れた。他の奴らも参戦して混戦となった。
 ――結局その騒動は一人の児童の密告による先生の厳重な注意があって収束した。オレは級友の証言によってお咎めなしということになった。
 教訓。人を簡単に信じてはいけない。そのことをよくよく心に刻んだ。
 その後、少年はまた引っ越して行き――オレの学年は上がった。
 あの時に比べれば天国だった。オレは――初めて自分が理不尽な立場に立たされていたことを知った。あの勘違い少年以外は悪気はなかったとしても。
 背はひょろひょろと伸び、筋肉もついて、オレは級友より一足先にいっぱしの大人の体に近づいた。
 バスケは……元々好きだったが、更に腕に磨きがかかってバスケ好きの先生を感動させた(らしい)。
 もう、誰も、オレを男好きとして見る者はいない――そう思っていた。

「しーんちゃん♪ 帰ろうぜ」
 高校で知り合った(あっちは中学での試合で会ったと言っているが)高尾和成が言った。どうも掴みどころのない男だ。軽薄かと思えば、案外真面目でさえあるのかもしれない。
「わかったのだよ――」
「真ちゃん、あのさ――オレの告白の返事、考えてくれた?」
 高尾がもじもじとしている。他の男なら気持ち悪いと思うところであるが、何故か高尾相手だと気にならなかった。冗談だとどこかで思っていたからだろうか。
 いや、高尾はこんなことを冗談ごとで済ます男ではない。恋愛ごとに関してはナイーブな男なのだった。それでも一応訊く。
「オマエ……わかってるのか? 自分の言っていること」
 高尾はけろっとして「うん」と頷く。
「大体オレのどこが好きなのだよ……」
「顔と才能。あと、性格」
「…………」
 顔なんて……コンプレックスの元でしかなかった。あの日からますます嫌いになった。こんなに色が白くなければ、こんなに睫毛が長くなければ、オレは人並みの小学生時代を送れたというのに。
「オレの……顔なんてそんないいものではないのだよ」
「えー、そうかなぁ。目力があって、かっこいいじゃん」
「女みたい、とは思わなかったか?」
「別に。真ちゃん確かに美人だし睫毛も長いけど――迫力あるもん。人形美人よかオレは好きだけどね」
「オレは……美人と言われるのは嫌いだ」
「ふぅん。じゃ、ごめん。でも、オレは真ちゃんのこと、好きだぜ」
 そう言って無邪気に笑う高尾。彼には想像だにできないであろう。オレが小学生の頃、この顔を疎ましがっていたことを。
 それに……高尾があいつに結びついてしまう。どうしても。
「これは昔の話なのだが――聞く気はあるか?」
「うん……。真ちゃんが話したいのならね」
 オレは高尾に――同級生に裏切られた時のことを話した。高尾は黙って聞いていたが、やがて後ろ姿を見せて言った。
「オレさぁ……そんな風にはオマエのこと、裏切るようなこと、しないぜ。オマエとの関係、大事にしたいから」
「高尾……」
 オレは戸惑った。
 どうしよう。信じよう。信じたい。
 でも、信じれば裏切られる。あの時のように。裏切らない、というヤツに限って裏切るのだ。
「ま、オレ、まだまだオマエにつっかう相手じゃないってわかったからさ。――でも、今日はちょっと距離縮まったって、信じていいかな」
「あ、ああ……」
 それは勿論。でなかったらオレだってあんな話はしない。
「ま、とにかく帰ろうぜ。他のヤツら来るかもしれないし」
 そうだな。すっかり話し込んでしまった。高尾の笑顔が眩しい。オレは……一縷の望みを見出したような気がした。

後書き
『嘘吐き』という作品より前に書いた小説ですので、ちょっと『嘘吐き』以降の作品と違います。まぁ、いつものとは別物として読んでください。
2015.2.19

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