おまえがいれば
「海だー!」
隣の高尾が大声を出した。――煩い。
「真ちゃん、海だよ、海!」
はいはい、わかったのだよ。オレ――緑間真太郎――は、公私ともに認める相棒高尾和成のハイテンションさにちょっと引いた。たかが海ごときで――。
「オレ、真ちゃんと海に来たかったんだぁ」
「夏に来たのだよ」
「でも、冬の海もいいと思ってさ。ほら、誰もいないし貸し切り状態――」
シーズー犬らしい犬が駆けてきてワンワンと吠えた。
「誰もいないんじゃなかったのか?」
オレがにやりと笑う。高尾が、
「あー、この犬リードついてる。誰の飼い犬だろ。ほら、ダメだろ。逃げ出しちゃ」
そう言って犬を抱き上げる。
「すみませーん」
人の好さそうなおじさんがひょこひょこ歩いてきた。
「お宅のわんちゃんですか?」
高尾は早速おじさんに笑いかける。誰が相手でもこの男は調子がいい。今の相手はおじさんだけれど、もし若い女が高尾に話しかけてきた場合――オレは少々面白くない気持ちを味わう。
(バカ尾め――)
二人きりで冬の海を見たいと言ったのはどこのどいつだ。
決してこのおじさんが悪いわけではないのだけれど――。
「はい。ありがと。――フィービー、こっちおいで」
フィービーと呼ばれたシーズー犬はおじさんのところへ駆けていく。
ひっきりなしに吠えてはいるが、飼い主にしてみればそれが可愛いみたいだった。
――やれやれ、二人きりはお預けか。
ん? 何残念がっているのだよ。オレは。
空は濃藍に染まろうとしていた。冬の海は寒いのだよ。
でも高尾。おまえがいれば。冬の海も悪くない。
高尾はシーズー犬と追いかけっこをしている。さすが。もう犬を手なずけてしまったのだよ。
高尾はいつも元気だな。それに、楽しそうだ。
オレは――ちょっとヤツが羨ましい。
オレは運命に選ばれている。人事を尽くしているからだ。バスケを始めたのも、一番人事を尽くせそうだったからだ。
高尾はどうだったのだろう。バスケが好きで、自分から選んだんだろうか。
「高尾」
「何? 真ちゃん。――あはは。ぺろぺろくすぐったいやめて」
高尾は犬と戯れていた。
こいつは明るさを周りに振り撒いているようなヤツだ。先輩も叱りながらも高尾を可愛がっている。
――先輩達から見れば、オレだって年端も行かないガキの一人かもしれないが。
「真ちゃん、フィービーちゃんって可愛いよ」
「そりゃ良かったな」
「なぁに? 真ちゃん拗ねてんの?」
「別に。いつも通りなのだよ」
「おじさん。真ちゃんがフィービーちゃんに焼きもち妬いてんの」
「君達は学校の友達?」
おじさんが訊いた。オレは高尾が何か変なことを言う前に、
「その通りなのだよ」
と、答えた。
「えー? オレら友達じゃないっしょ。相棒でしょ?」
「……まぁ、そうとも言うか」
「仲が良くていいね」
「そりゃね」
おじさんの言葉に高尾が胸を張った。何でこんなことで威張ってられるのだ、高尾よ……。
「オレ達はバスケ部の部員なのだよ」
仕方なしにオレは割って入った。
「ほぉ、バスケねぇ」
おじさんがフィービーの顎の下を撫でている。フィービーは大人しくしていた。
「もう暗いから帰った方がいいんじゃないかね?」
「おじさん近所?」
「割と近いね。さ、フィービー、もう帰るよ」
フィービーはおじさんについて帰って行った。
「俺達、どうする?」
「――帰るのだよ」
「……そうだね。おじさんの言った通り、もう暗くなってきたしね」
オレは、辺りを見回し――
高尾を抱き締めた。
「真ちゃん。誰か来るかもよ」
「構わない」
「もう――急にデレるんだから……そこがいいとこなんだけどさ」
高尾がオレの肩に頭をもたせ掛ける。
「高尾……重いのだよ」
「えへへ」
仕様のないヤツなのだよ。全く。
甘えるとなると、とことん甘えてくる。
「真ちゃん。今日はワガママに付き合ってくれてありがとね」
ワガママ?
「ワガママならオレの方が言っているが?」
「そうじゃなくてさ――オレ、冬の海見たいって言ったから付き合ってくれてさ」
「――ちょうどオレも海を見てみたかっただけなのだよ」
「嘘が下手だね、真ちゃん」
高尾は起き上がり、オレの鼻面を人差し指で押す。
「オレに付き合ってくれたんでしょー? オレはフィービーちゃんやおじさんと会えて楽しかったけど、真ちゃんはどうだったのかなぁと思って」
「オレは――」
笑顔の高尾が見れて幸せだったのだよ。もう辺りは暗くなりかけてたけど、お前の明るい声はちゃんと耳に届いていたのだよ。
お前がいれば――退屈しないのだよ。
一生そばにいてくれるか?
だが、人生何が起こるかわからないし、別々の道に行くとも限らない。例えば、オレはバスケを続けるけれど、高尾は――?
高尾にはホークアイという、バスケ向きの能力があるが。
その他にも、高尾は器用で何でも一通りできてしまうので、バスケ以外の道もあるかもしれない。
オレの存在は、高尾を人並みの幸せから遠ざけてしまうのではないか。
――それでもいい。高尾が欲しい。
オレはガキだ。ワガママなガキだ。それでも――ついてきてくれるか? 高尾。
誰にも――渡したくないのだよ。
高尾は吊り上がり気味の目をこっちに向けている。猛禽類を思わす目だが、今は何となく可愛い。普段はオレンジ色に光っているが、今は藍に溶けている。
「そんなに見るな……なのだよ」
「えー、だって、真ちゃんの目、綺麗なんだもん。睫毛だって長いし」
かつて――いじめの原因になった長い睫毛が、高尾に褒められると誇らしくさえ思えてくる。
寄せては返す白い波の音が聴こえる。オレ達は向かい合っていた。
「真ちゃん……」
高尾は瞼を閉じた。オレはゆっくり唇を重ねる。最初の頃はお互いに慣れなくて歯をぶつける失態も犯したが、もうそんな初歩的なミスはしない。
「――帰るのだよ」
これ以上高尾といると、あらぬ方向に気持ちが向いてしまいそうだ。
自分の中の獣が起き出す前に、オレは高尾と離れ、近くに止めてあったチャリアカーに向かって歩いた。
後書き
フィービーちゃんと謎のおじさんは友情出演です(笑)。
2015.2.6
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