裏切り者のメロス

 宮地先輩がこの学校とは違う制服の男子生徒と話をしていた。他校の生徒だろう。ブレザーだから、すぐにそうとわかる。
「おーい、緑間ー。客だぜ」
「わかったのだよ」
 せっかく調子が出てきたところに何だろう、と邪魔をされた苛立ちを隠しながら体育館の出入り口に来ると――。
「よっ」
 オレはどくん、と心臓が嫌な具合に跳ね上がるのを感じた。
 ――あいつだ。
 オレを悪夢に導いた、あいつだ。
 相手は笑ってオレに語りかけた。
「バスケ部なんだよな? 背高くなったな、オマエ」
「…………」
 オレは眼鏡の向こうからじっと相手を見つめている。相手は慌てたように言った。
「まだ練習? オレ、待ってるけど」
「ああ……」
「真ちゃーん。どうしたのさ。あ」
 高尾がオレに話しかけていた相手に気付いた。
「誰? この人」
「オレの――小学校時代のクラスメートなのだよ」
 オレは少しお茶を濁して答えた。本当のことを言うわけにはいかない。
「ふぅん……」
「ちょっと緑間君と話があるんだけど」
「そういうことは大坪サンに訊かなきゃ。おーい。大坪さーん」
「おう。どうした。高尾、緑間」
 大坪主将から許可を得て、オレは小学校の時のクラスメート――オレをホモと呼んだ男と話すことになった。
 ――外に出る。バッシュを普段の靴へと履き替えた。イチョウが葉を散らしている。汗をかいた体が初冬の空気で冷えた。冬の匂いが微かにした。
「オマエ、でかくなったなぁ。もうオマエを女だなんていうヤツはいないな」
「…………」
「あのな、オレ、オマエに殴られた時――オマエのこと、恨みにも思ったけれど……いろいろ考えていくうちに、オレが悪かったなぁって思ってさ」
「…………」
「オレ、オマエのこと好きだったんだよ。クラスメートのいじめに対しても毅然としているオマエがさ」
 そんなこと言わないでくれ。そんなことを言われたら――もうオマエを恨むことはできない。
「オレなぁ……昔、両親がケンカばっかしてて離婚寸前でくさくさしてたんだよ。だから――オマエの存在が救いになった。だから――いつだったか忘れたけど、オマエに拒まれたと思った時があってさ。だから、その……」
 相手はあー、うー、と唸っていた。
「ごめんな」
「…………」
「やっぱりオレ、メロスにはなれなかったみたいだ」
「そんなものになんなくとも……オマエはオマエでいい」
「ありがと」
 相手は目元に滲んだ涙を指で拭き取る。
 こいつにも時間は流れたのだ。こいつも――大人になったのだ。オレは言った。
「オレも、オマエのことが気になっていたのだよ。いい方の意味ではないのはわかってるな」
「――おう。男として最低の罵り言葉を投げつけたもんな」
「『ホモ』――か。案外そうかもわからないのだよ」
「は?」
「実は――オレをそういう意味で好きになってくれている奴がいる」
 高尾のことだ。
「――おいおい」
 相手は顔を複雑に歪めた。まぁ、そうだろうな。これが一番穏やかな反応だろう。オレは続けた。
「――オマエのことも話したことがある」
「カンベンしてくれよ。……そりゃ、オレも言い過ぎだったけどさぁ……」
「でも、オレはオマエを見直したのだよ。昔のことを謝る為にわざわざオレの学校に来るなんて――思ってもみなかったのだよ」
「月バスでオマエの活躍見てさ……ああ、こいつは自分の道を歩いている。だから、オレも、自分のことに決着をつけなくてはならない、と考えたんだよ」
「そうか――」
「それまでさ、オレも悪いことやんなかったとは言わない。煙草も吸ったし女もやった。でも、でも――」
 初恋の想い出は、変わらなかったからさ――そいつは小さな声でそう言った。
「今は……それなりに幸せだよ。お祖母ちゃんと暮らしてるんだけど、上手くやってるし、彼女……というか、憎からず思っている女の子もいるからさ」
「それは良かったな」
 嘘だとは思わない。幸せでないと人は――他人のことを思いやれない。
「オマエの活躍知って、立ち直ろうと思ったんだ。それまでは自暴自棄さ」
 こいつは昔から本をたくさん読んでいるだけあって、言い回しがどこか文学的だ。そういうところも気が合ったのかもしれない――昔の話だ。いや……。
「オレも、悪かったのだよ」
 オマエの好意をつっぱねて、勝手に逆恨みして――だが、口を開こうとした時、そいつは言った。
「いいんだ。緑間」
 そしてそいつは続けて言った。
「もう、いいんだ」
「そうだな」
「もう――昔の話だよ」
「オマエは今度こそメロスみたいな――いや、メロスでなくてもいいが――ともかく、メロスよりいい男になれるのだよ」
 オレがそう言ってやると、涙を制服の袖で拭いながら男は笑おうとした。そんなに擦ると目が赤くなるぞと忠告してやろうと思ったが、やめておいた。
「本当の友達、できるかな。今度こそ」
 オレは力を込めて頷いた。
「今のオマエなら大丈夫なのだよ」
 時は流れていく、流れていく。人はいい方にも変わるし、そうでない方にも変わる――と思う。いや、いいか悪いかなんて、オレらが決めることではない。
 だって、人はいつ、自分の罪に気付くかわからないのだから。
 生まれた時から悪人である人間はいない。心密かに恨んでいた相手だっていつ成長するかわからない。こいつはいい方向に――オレが勝手に思っているだけだけど――変わったように感じる。
「人って変わるもんなんだな」
 ちょうど、オレが考えていたことをそいつも言ったのでどきりとした。
「緑間――オマエ、性格柔らかくなったよ」
「そ、そうか?」
「うん。好きなヤツでもできた?」
「まぁな」
 高尾――あいつの顔が真っ先に浮かんだ。
(好きだよ、真ちゃん)
 高尾。オレも――高尾のことが好きかもしれない。
「ちょっと訊くけどさ、そいつ、男?」
「――だな」
「そいつの顔見てみてぇな。オマエを託せる相手かどうか……」
「おい……」
「冗談だよ」
 最後に何か吹っ切れたような笑顔を見せながら、元友達――いや、今は本当に友達になれそうな感じのいい男に育ったそいつは去って行った。
 裏切り者のメロス。今度はセリヌンティウスを裏切るなよ。否、オマエはメロスではないけれど。さっきも言ったが、オマエはオマエのままでいい。
 オレは長い間人間不信だった。それをオマエのせいだとオレは思っていたのだけれど、オマエを信じきることができなかったオレにも責任がある。あれでは人事を尽くしたとは言えない。
 今度こそ、信じてみよう。人を――家族や友人や先生、チームメイト、そして、高尾を。今度こそ人間関係でも人事を尽くすのだ。
 オレは、体育館に戻った。高尾が駆けてきた。
「真ちゃーん」
「高尾……」
「なぁ、さっきのあいつか? 真ちゃんをいじめてたっていうのは」
 高尾は心配性だ。オレは首を横に振った。高尾は何か言いたそうだったが、無言で伸びをした。高尾ご自慢のホークアイで何か感じ取ったのかもしれないが。
 心配をかけて済まないのだよ。高尾。でも、過去とは訣別できそうだから――もう、高尾に心配はかけさせたくない。だから信じる。高尾のことを。
 ――出会った頃より少々逞しくなった高尾の後姿を見て気分が少し軽くなった。

後書き
ちょっとメロスとは違うかなぁ。
『オレは裏切らないよ』の続きです。ハッピーエンドで良かった良かった。
2015.2.25

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