ラブラブマンハッタン ~緑高編~

~緑間の場合~
 今日、夢を見た。
 大学の図書館であいつと会う夢だ。
 喫茶マンハッタン。
 大きな窓からは街路樹が見えるし、屋並みは綺麗だし、最高のロケーションだ。
 オレはこの店で朝食を取るのを日課としていた。――あいつが来てから。
 この店では特に従業員に名札をつけることを強制していないらしく、だから名札をつけているヤツもいればつけていないヤツもいる。あいつはつけていない。
 だから、名前もわからないので、『あいつ』と呼んでいる。
「お客さーん。ご注文は?」
 あいつは軽薄そうな笑みを浮かべ、注文を訊く。オレの好みはわかっているだろ?
「いつもの頼むのだよ」
「はい。いつものね。『モーニングカフェオレセット』ひとつ!」
「あいよ」
 和食党のオレが何でこんなところにいるのか――いつだったかスコールに降られた時に雨宿りした時、『あいつ』が現われたのだ。
「大変でしたねぇ。お客さん」
 そう言いながらあいつはオレの緑色の髪を拭いていた。
「あーあ。眼鏡もこんなに濡れちゃって。――あ」
 オレの眼鏡を外した時、あいつはいきなり破顔一笑した。――オレの裸眼での視力はあてにならないが、確かに笑ったのだ。
「お客さん。綺麗な目ですね」
 その時、柄にもなく照れてしまったのを覚えている。
 あいつもなかなか、みばは悪くなかった。
 真ん中分けの烏の濡れ羽色の髪、健康的な小麦色の肌。引きしまってそうな体。
 嗚呼、だが――
 あいつは男だった。
 けれど、あんな笑みがまた見たくて、オレはせっせとこの店に通っている。いつものちゃらちゃらした愛想笑いではなく、あいつの心からの笑顔を見る為に。
 今は、あの笑みは目の錯覚か幻だったんじゃないかと思い始めているけれども。

~高尾の場合~
「ねぇ、今日もあの緑の髪の君来てたよね」
「あの人、絶対高尾君目当てだよー」
「んなわけあるかっつーの」
 オレは同僚の女の子と軽口をたたき合っている。そういえばいつもいるよな。あいつ。
 向こうはオレのこと知らないかもしれないが、オレはあいつを知っている。おな高だもんな。
 緑間真太郎。秀徳高校バスケ部のエース。成績優秀、品行方正。
 けっ、勝手にしやがれ、バーボンのボトルを抱いてワンマンショーだ。
 オレとは境遇が違い過ぎる。
 オレの母親は病気で倒れた。今は病院で安静中。手術の予後は順調らしい。
 親父は「家のことは心配しなくていい」と言ったが、オレは何かせずにはいられなかった。うちだってかつかつなのだ。
 でも、妹ちゃんはオレと違って頭いいから、勉強に集中して欲しい。
 秀徳高校はバイト禁止だけどオレは内緒で働いている。十八と年齢を誤魔化したが、マスターは履歴書にも学生証にも目を通さずに即採用してくれた。思えば何もかもお見通しだったのかもしれない。
「でもさ、和ちゃんが来てからあの子も来るようになったのよねぇ」
 女子部のリーダーのおばちゃんだ。マスターの奥さんで、明るい苦労人で、オレもよく相談に乗ってもらっている。
「なんか関係があるのかしら?」
「あの人、高尾君に惚れたのよねぇ」
「んなわけねーだろ」
「ああ、初めてここに来た頃の高尾君は初々しかったわぁ……まさかこんなすれっからしになるとはね」
「うっせ!」
 女共はきゃあきゃあと笑った。おばちゃんはさすがに呆れて、
「ちょっと向こう行ってなさい」
 と言っていた。
 ちっ、勝手に騒いでろよ。オレは緑間真太郎が大嫌いなんだからな。
 雨に降られてやってきた時、ちょっと可哀想に思って髪とか拭いたし、服も乾かしてやったし――それなのにお礼の一言もナシだぜ。
 眼鏡を取った時は、(へぇ……綺麗な目してんなぁ)と密かに感心した。――でも、それだけだ。
 いや、それだけだったか?
 確かおあいそのひとつも言ったような気がする。しかし、緑間は何も答えなかった。ありがとうぐらい言えっつーんだよ。コンチクショウ!
 ――いや、言わない方が当たり前なんだけどさー。緑間が来なかったらそんなもやもやした不愉快な出来事なんぞ忘れていたのに、こう毎朝毎朝来られる度に思い出してしまう。
 お客様は神様かもしれんが、オレは正直に言う。オレ、高尾和成は緑間真太郎が大嫌いだ!

~緑間の場合~
 ああ、今日は髪型が決まらない。
 こんな髪ではあいつに合うことができないのだよ。
 こんなにいっぱいいっぱいになったのは久しぶりなのだよ。前におは朝占いを見逃した時以来の――。

 それでも――いつもより三十分遅れでオレは喫茶マンハッタンの椅子に座ることができた。
 マンハッタンの夜景というのは本当に綺麗なのだろうか。
 いつか行ってみたいものなのだよ。――ひとりでは寂しいからあいつも……。
「おはようございます」
 オレの注文を取りに来たのは五十代ぐらいの恰幅のいい女性だった。
「どうしたんですか? いつもの彼は」
「それが――今日は遅くなるって……」
「そうですか……」
 オレは自分が落胆しているのがわかった。
 子供達が外で騒いでいる。煩い。夏休みももうすぐ終わりだろうに。ちゃんと宿題はやってるんだろうか。
「和ちゃん、待ってるの?」
「え――和ちゃん?」
「そう。君がここに座るといつも注文を取りに来る男の子」
「あの人――『カズ』っていうんですか?」
「ええ。本名は高尾和成って言うんですけどね」
 高尾和成。オレはその名前を心に刻んでおいた。
「和ちゃん、ちょっとわけありでここで働いてるのよ」
「そうなんですか……」
 オレは相槌を打っておいた。震える気持ちを抱き締めながら。
 何だろう。この不安な気持ちは。
 今すぐ飛んで行って高尾を抱きしめたい。
 あいつはあの背中にどんなものを背負い込んでいるのだろう。
 けれど、オレには翼がないから飛べない。
 あいつを待つしかないのか……。
 今すぐタクシー飛ばしたいけど、番地も知らないし。

 待っている間にあいつのことを考えていたら歌が一曲できたのだよ。
 聞かせるつもりは全然ないけれど。オレの曲なんて、きっとおかしいに違いない。きっとオレには作曲も作詞の才能もないのだよ……。
 
~高尾の場合~
 見舞いに行った時、おふくろは元気そうだった。容体が悪化したと聞いた時は死なないようにと、なんとこのオレが神様に祈りもしたもんだが、祈りが通じたのか持ち直したらしい。
 遅番に変えてくれたマスターに感謝!
 さぁ、気持ちを切り替えて今日もお仕事お仕事。
 オレは従業員の制服に着替えた。
「ちょっと……まだいるよ」
 女の子達がひそひそと話している。んー? なんだ?
「ちょっと……おかしくない?」
「高尾君、変な人に目をつけられたね」
「こわーい」
 彼女達の視線の先には、秀徳高校バスケ部のエース様が。
 ――緑間?
「あ、高尾君おはよう」
「ああ、おは……」
 もう夜だけど、この時間帯が自分にとっては朝、という子もいるのだ。
「緑色の髪の人だけど――」
『緑色の髪の君』から『緑色の髪の人』に格下げか。いつもだったらざまぁ見ろ、と舌を出すオレだが――。
「オマエらにあいつの何がわかるってんだよ!」
 オレが怒鳴ると、女子達は一斉にびくぅっとした。オレだって女を怒鳴りつけたのは初めてだ。少し息を吐く。
 オレだって、あいつのこと何にもわかっちゃいない。
「……ここで、勉強すると捗るってだけかもしれないじゃねぇか」
 オレは早口で言い捨てた。
「で、でも、勉強してる風には見えなかったもん。本も読んでないし、何かこう――放心したような状態で……注文もしないし……」
「だから――おかしくなっちゃったんじゃないかと……」
 女子連が頷き合う。
「……とにかく、オレが行って様子を見て来る」
「――それがいいね。あのね、和ちゃん。私、ちょっとアンタのこと、あのお客様に喋ったよ」
 いつも女子部を仕切っている例のおばちゃんが口を挟む。
「ああ」
「余計なことしたかねぇ……」
「そんなことねぇよ。行ってきます!」
「そら、みんなも持ち場について。ほら! 早く!」
 その声を背にしてオレは緑間のところへ行った。
「お客様……あの、大変申し訳ないのですがご注文は……」
「――ああ」
 緑間はやっと来てくれた、とでも言うように頬を緩めた。
「高尾」
「どうしてオレの名前を?」
「ここの従業員にオマエの名前を聞いた。その……オマエの本名を」
「え?」
「どうして遅くなったか、訊いてもいいか?」
「は?」
「嫌ならいい……」
「ううん! 聞いて! 聞いてお願い……!」
 オレは涙ながらに緑間に訴えた。そして、全てを話した。マスターも知らなかったことでさえ――。
 緑間は、いらぬ差し出口を挟まなかった。ただ、「そうか」と頷くか、「それで?」と促すばかりで……。
 オレはずっと不安だったのかもしれない。不安だからこそ、それを隠す為にちゃらい『高尾和成クン』を演じていて、それがまた結構ウケて、そのうちいろいろなヤツの話を聞いて頼りにされるようにもなり――。
 けれど、オレは本当はそんなデキた人間じゃない。だから緑間のような人に媚びない人間に憧れてて。
 オレは……一気に緑間が好きになった。
 いや、初めて会った時から好きだったのかもしれない。ただ、それを認めたくなかっただけだ。
 以前から言いたかったことがある。
 なぁ、緑間。オレ、ずっとアンタと同じ高校通ってたんだよ――。

~緑間の場合~
 高尾が……オレと同じ高校に?
 ああ。――それで、何だか懐かしいような……どこかで見たような気がしたのだな。腑に落ちたのだよ。
 それにしても意外としっかりしているのだよ。母親や妹のことなども大変だろうに。
「バイトのことは内緒にしといて。お願い」
 高尾の涙が涸れた頃、冗談半分に手を合わせてお願いをされた。どうせ言う気などさらさらないのだよ。
 ところで……オレにもずっと気にしていたことがある。
「オレが初めてここに来た時には――いろいろ世話になったのだよ。ありがとう……」
 あの時、オレはオマエに見惚れていたのだよ。だから、はかばかしい返事も出来なかったのだが。
 高尾が笑った。それは、オレが好きになったあの笑顔だった――。

後書き
昔、『ラブラブマンハッタン』という小説を書いたことがあります。
TOKIOの同名の歌が好きでねぇ……ドラマは観てませんでしたが(汗)。
読んでくださってありがとうございます!
2013.7.19


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