くっつきたいのだよ 2

 うーむ……。
 オレは学校の図書室で唸っていた。秀徳の図書室はかび臭い。雨が降ってきたせいもあるのだろうか。
 うーむ……子宮も英語で「ウーム」だと言ったのは柳瀬尚紀だったろうか――そんなことを考えている場合ではなかった。彼の訳した『フィネガンズ・ウェイク』も難しいだろうか。
 早くラッキーアイテムを見つけないと、今日は高尾とくっつけないのだよ……。
「どうしたの? 緑間君」
「ひな子……」
 朝倉ひな子は高尾の女友達で、オレとも親しい。女友達とはいうが、ひな子はオレ達のことを応援しているので、高尾を取られるかもという心配はしていない。――ほんとだぞ。
「またラッキーアイテム?」
「そうなのだよ」
「私もおは朝観たよ。……難しい本、探してるんだよね」
「いや、まぁな」
「私も探してあげる。あ、これなんかどう?」
 ひな子は本棚を指差した。
「素晴らしい……さすがひな子なのだよ」
 オレは思わず嘆息した。

「げっ! 真ちゃん。何しょってんの?」
「シェイクスピアなのだよ。原書の。和訳もあるぞ」
「どこで借りてきたんだよ」
「図書室でだ」
「高校の図書室でシェイクスピアの原書なんて貸し出してんの、おかしくない?」
「難しいだろう」
「そりゃ、読むのは難しいだろうけど、あのね、真ちゃん。今の自分の姿、わかってんの? まるで二宮金次郎だよ」
「これで心おきなくオマエに近づけるのだよ」
「今度はオレが遠慮したいよ……」
 その時、わーっ!と歓声が上がった。
「どけどけーっ! おわっ!」
 今時ローラースケートで廊下を疾走する馬鹿な生徒がオレと正面からぶつかったのだよ。なんか耳元がざわざわする。オレの名を呼ぶ声が遠くに聞こえる。
「わーっ! 真ちゃん! 保健室保健室!」
 高尾も叫ぶ。心配してくれて……いるのだな……。
 ――オレの意識は、そこで途切れた。

「真ちゃん……」
 目覚めるとそこに、気懸りそうな高尾の顔があった。外は嵐が来そうだった。
「あ、起きた。真ちゃんねぇ、衝突のショックで気絶したんだって。頭は無事のようだけど。もしかしたら疲れてたんじゃねぇの? 休む時はちゃんと休めよ」
 ぬかったのだよ、オレとしたことが……。確かに昨日は興が乗って夜遅くまで勉強してしまったが。
「あの背中にしょったシェイクスピアがクッションになって頭打たなくて済んだみたいだよ。良かったね。真ちゃん。ラッキーアイテムが役に立って」
「茶化すな、なのだよ……」
「あの真ちゃんにぶつかったヤツは無事だったよ」
 そうかそうか。――ところで。
「何でオマエもここにいるのだよ」
「オレが真ちゃんのそばにいたい、と先生に言ったら、いいよ、って言われたから……」
 バスケ部の中谷監督か……彼は英文法の先生でもあったな。オレ達の関係もちゃんと認めてくれている。オレのおは朝にかける情熱は理解できないようだが。
 はっ、こうしちゃいられない!
「高尾、離れるのだよ!」
 オレのせいでオマエに何かあってはいけない!
「オマエも災難に遭ったらどうするつもりなのだよ」
「へぇー……」
 高尾がきょとんとしていた。
「……どうしたのだよ」
「真ちゃんて勝手ばかり……と思ってたけど、一応オレの心配もしてくれてたんだね。へへ、ありがと」
 オレの方こそ……いつも世話になっているのに。
「高尾、もう帰るのだよ」
「えー。せっかく真ちゃんのそばにいられるのにぃ?」
「馬鹿を言え。授業をサボれる口実ができたんで嬉しいだけだろ」
 ああ……オレは何でこう素直になれないのだろう。
「――うーん、でも、放課後残れと言われたから、チャラかなぁ」
「部活はどうするのだよ」
「コーチに頼むってさ。あ、真ちゃん。真ちゃんも一緒だよ」
 高尾と一緒か……それは悪くない……
 ――って、そうじゃないのだよ!
「高尾……今日はオレとオマエは……」
「うん。相性最悪なんだよね。んでもって、災難にも遭う、と。でもね真ちゃん。主に真ちゃんの方が災難に遭ってない? トラックのことは別としてさ」
「ん……まぁ、確かに」
「オレが思うに……これは真ちゃんの理力のせいだと思うんだ」
「理力……だと?」
「真ちゃんて、信じる力がすごい男だと思うんだよね。3Pシュートだって、落ちないと信じてるから絶対に落ちない」
「それは、人事を尽くしているからなのだよ」
「真ちゃんの自信の源は何だかよくわかんないけど、人事を尽くす、ということに裏打ちされている。不安からじゃない。積極的にジンクスを取り入れることで自分の力を100パーセント引き出してるんだ」
 何だ、高尾のヤツ、さすがにわかってるのだよ。
 そこで、高尾が盛大に溜息を吐いた。
「――というのは上手く行っている時。でも、これが両刃の剣でさぁ……」
「な……何なのだよ」
「真ちゃんはおは朝のいうことなら悪いことでも信じてしまうからさぁ……何か不都合な結果が出ると、真ちゃんの持っている力はマイナスに働くんだよ」
「そんなことはないのだよ。オマエも見たことがあるだろう。おは朝は当たるのだよ」
「――と信じる力が災難を呼び寄せてるわけ。クオド・エラト・デモンストランダム」
 高尾はにやっと笑った。こいつもクイーンを読んでいるのだな。
 そういう考えもあるのかもしれないが。
 けれど、オレは――おは朝に何度も助けてもらっているのだよ。
「高尾、悪いが……」
「オレは本当はおは朝なんて信じてないよ。真ちゃんが信じているから合わせているだけ。でも、オレは真ちゃんは信じている」
 信じてもらえているのは嬉しいが、おは朝を否定されて複雑な感情を抱いていると――。
「あ、真ちゃん、怒った? おは朝否定されて」
「……怒ってはいないのだが……おは朝には毎日力をもらっているのだよ」
「――真ちゃん、御利益のある壺なんか売られたら買いそうだね」
「ラッキーアイテムでない限りそんなもん買わないのだよ」
「ラッキーアイテムだったら買うの?」
「う……値段と相談して」
「やっぱり買うんだ……」
 高尾が憂い顔をした。オレは何か変なことを言ったのだろうか。
 クラスメートの口さがない奴らは、オレのことを変人だと言うが、高尾もそう思っているのだろうか。
「高尾……やはりオマエもオレを変人だと思うか」
「うん」
 即答するな、なのだよ……。
「でも、真ちゃんの変なところもむかつくところも全部その……」
 むかつく、だけ余計なのだよ……。けれど、高尾の紡いだ次の台詞にオレも俯いた。
「好き、だからさ……」
 オレも、好き、なのだよ……。でも、言葉が出てこない。
「先生は?」
「仕事で保健室空けてる……真ちゃん、抱き締めても、いい?」
「しかし……」
「真ちゃんは、オレとおは朝のどっちを信じるの? このままだと、真ちゃん一生おは朝に振り回されるよ」
「む……」
 オレが口を噤んでいると、
「ね? 真ちゃん」
 オレはたまらなくなって自分から高尾を抱き締めた。
 どんな難しい本も要らない。信じる力こそが大事なのだ。オレは――おは朝も高尾のことも信じてる。オレのその言葉に高尾は眉を八の字にした。
「ラッキーアイテム探しは今まで通り協力するけどさ、おは朝と同じくらい、オレのことも信じてくれてるんだね」
「その通りなのだよ。高尾……」
 オレは笑って――高尾の唇を奪った。稲光がオレ達を照らした。
 ぱさり。何かが落ちた。オレはそれをひょいと見た。――高尾が持っていたらしい小さな古ぼけた英和辞典だった。

後書き
やっぱり高尾にくっつきたい緑間君。
私はエラリー・クイーンは一冊しか読んだことはないのですが。しかも、タイトル忘れちゃった。
ドルリー・レーンものの『Yの悲劇』は面白かったけれど。
この話の最後の方は皆様に解釈お任せします。
2013.3.29


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