それって恋だよ!
「それって恋だよ、お兄ちゃん!」
関東は梅雨に入った。しとしとと外では雨が降っている中、オレ達はリビングでコーヒーを飲みながら話をしていた。妹ちゃんの言葉にオレは口に含んでいたコーヒーを噴き出した。
ことの起こりは少し前――
「なぁ、なっちゃん」
オレは妹ちゃんのことをこう呼ぶ。だって、妹ちゃんの名前は高尾夏実というのだから。ちなみにオレは高尾和成。小さい頃はなっちゃんに『カズ兄、カズ兄』と呼ばれたもんだったなぁ……。
また呼んでくれないだろうか――だが、妹ちゃんは、
「借金返してくれたら呼んであげる」
と、誰に似たのかちゃっかりしている。まぁ、なっちゃん呼びを禁止にされないだけマシだとでも思おうか。
妹ちゃんは中二。難しい年頃だもんな。うちのなっちゃんは素直ないい子だけど。
それに――恋バナに花を咲かせる時期だ。まぁ、恋バナとしてなっちゃんにあの話を聞かせたわけじゃないんだけど。
「オレさー、変なんだ。普通だと何でもないのに、あいつの前だと心臓がドキドキして足元がふらつくんだ。尤も、いつもってわけじゃないけど。何か、体が重力に負けてぐずぐずに溶けそうになるんだ」
「その人の前でだけ?」
「そ」
やっぱり練習のし過ぎかなー。緑間につっかう相手になる為に一生懸命練習してるんだけど、それがまずいのかなー。疲労が足に蓄積されてるのかもしれない……。
と、そこへ妹ちゃんが、冒頭の爆弾発言してくれたのだ。
「ど……どうして、恋なんて……!」
相手は緑間真太郎だぞ! 男だぞ! 変人だぞ!
まぁ、美貌と才能は認めてやっても良いが……。
「いやいや。それはない。それはないよ」
オレは噴いたコーヒーをハンカチで拭った。
「ふっふっふー」
妹ちゃんは意味深な笑いを浮かべた。
「夏実ちゃんは知っている」
「な……何を知っているというの?」
「お兄ちゃん、優しくなった」
「え? ああ、そりゃまぁ……」
いつも優しいだろ、というツッコミは置いといて。
「それから、お兄ちゃんぼーっとしてることが多くなった」
「え? そう?」
「それから……読む本の傾向が変わった。恋愛小説、多くなったでしょー。それにあたしの恋バナにも真剣に耳を傾けるようになったしー……まだ聞きたい?」
「……いえ、もう充分です」
「んで、相手はどんな女の子なの?」
女の子ねぇ……心当たりはひなちゃんぐらいだけど、恋とはちょっと違うからなぁ……。
その時、緑色の髪の緑間の眼鏡をかけた顔が浮かんで来てしまった。
えい! それはない! 妄想よ散れ散れッ!
「ねぇ、教えて?」
妹ちゃんは可愛くおねだりするけど……。
うー、言いたくない。オレが男相手にときめくなんて。今でもちょっとときめいたなんて……。
確かに緑間……真ちゃんはいい男だけど……。
「な……なっちゃんには関係ないだろ?」
「うーん、まぁそうだけどさ」
なっちゃんはこれ以上追及するのをやめることにしたらしい。
「でもさ、困った時は言って。相談乗るから」
ああ、なっちゃんは何ていい子なんだ……。ごめんよ君に心配かける不甲斐ない兄で。更にごめんよ。男に胸ときめかせる変態な兄で。
――だけど、まぁ、その時はそんなに物事を重大視しているわけではなかった。真ちゃんに心ときめかすのだって――あの見事なシュートに惚れたからだし。
オレは中学であいつに負けたけど、同時にバスケ界の奥の深さも思い知った。
――こんなヤツが世の中にいるなんて!
しかも、美形で高身長で頭が良くて……って、あんまりだ。神様は不公平だ。あいつの視力の悪さや性格の変なところを補ってあまりある。
だから――オレは真ちゃんの相棒になろうとした。真ちゃんは思考が斜め上を行っている。あいつと付き合うのもなかなか大変なのだ。
でも、真ちゃんのことはマジ好きだ。嫌いになんてなれないね。……これって、恋じゃねーよな。……うん、そのはずだ。
「お兄ちゃん、色っぽい」
「え?」
オレは意外なことを言われてドキドキした。
「あたし、心配だなー。お兄ちゃん、どんな人と恋してるの? まさか男じゃないよね」
「は……ははっ、んなわけないだろー?」
やべ、声が裏返った。
妹ちゃんは「ふぅん」と言いながら引き下がった。でも、心配はしてるんだと思う。ごめんよ。なっちゃん。
オレ――オレ、緑間真太郎が好きみたいだ。
「パスの精度が落ちているのだよ」
翌日の学校で――
オレは真ちゃんにパスミスを指摘された。あ、ちなみに今は体育館。部活でバスケやってる最中ね。宮地センパイが、
「真面目にやらないと轢くぞ」
なんて脅かしている。はっきり言って怖い。真ちゃんにまで注意が飛ぶ。真ちゃんは涼しい顔をしていたが。さすが緑間様。我が道を行くってか。
「あれ、わかったー?」
なんてお道化てみても止まらない。心臓の鼓動は。うるさいぐらいに。
おは朝信者で語尾が『なのだよ』で何故か下睫毛の長い真ちゃん。眼鏡美人で、女だったら速攻惚れてたな。んでもって、変なところに我慢ができなくなって別れたりとか。
でも、真ちゃんは男だし、オレは単なる相棒だ。――多分。
「高尾」
わっ! 近っ! 真ちゃんの眼鏡の奥の澄んだ目まで見える。オレのドキドキは――最高潮まで達していたことだろう。
「な……何っ?!」
ぼーっとすんなって叱られるのかなぁ。無理もないけど。
だが、真ちゃんは至近距離でオレを見つめた後、ふい、と離れて視線を外した。
あ、あれ――?
真ちゃんの代わりは宮地センパイがやってくれた。
「おい! 高尾! 真面目にやれ!」
「は……はい!」
宮地センパイより真ちゃんが一瞬怖いと思ったのは気のせいかなぁ。
迫られて何も言われないのは怒鳴られるより怖いんだよ、真ちゃん。まぁ、真ちゃんはマイペースだから、オレの心なんてどうだっていいのかもしれないけどねー。
ま、真面目に部活モードに入りますか。
その後、オレは、真ちゃんと一緒に居残り練習をしていた。
二人きりだ……。
何だか嫌な汗が脇を伝う。ごくり、と生唾を飲み込んだ。
それを掻き消すようにして、
「へい、真ちゃん、パス!」
と、いつものハイテンションの高尾ちゃんに戻った。いや、そう演じた。演じたっつーか、緑間曰く、無駄なハイテンションはオレの生来のものだと思ってたけど。
真ちゃんが怖い顔してる。いっつも無表情で怖いんだけどさ。それか、何か企んでいる時のにやり笑いも怖いけどさ。
今の真ちゃんは明らかに怒ってる。何に対してだか、はわからないけれど。
「くっ!」
あ、真ちゃんがシュート外した。珍しい。
「おい、高尾。まだ帰らないのか?」
「帰らないよー。オレ、真ちゃんより先に帰らないって決めてるし。それに、オレが帰ったら誰がリアカー牽くのー?」
まぁ、リアカーいつも牽かされるのは不本意なんだけどね。じゃんけんで決めることだから文句言えないし、神様は果敢なおは朝信者の真ちゃんにいつも味方するんだ。――つまり、オレがいつも負けてるってこと。
「……それもそうだな」
あんまり正直に納得されるとちょっとムカつくな。
「もうこんな時間か」
真ちゃんが時計を見た。九時を回っている。すげーな、オレ達。バスケがあれば他に何もいらないんじゃねぇの?
――あ、ひとつあった。欲しい物。それは真ちゃんの相棒の座。今でも相棒だけど、やっぱり真ちゃんも進化しているから、オレも努力しないとねぇ。真ちゃんの顔の良さは生まれつきだし、シュートを決める能力も生まれつきかもしれないけど――真ちゃんは黙々とそれに磨きをかけている。オレは、そんな緑間にできるだけついていこいうと思う。
妹ちゃんの昨日の台詞が蘇った。
(――それって恋だよ、お兄ちゃん!)
後書き
これを書いたのが去年の六月。溜め過ぎだろうと思って、放出することにしました。今更ですが、季節外れです。
高尾の妹ちゃんは捏造です。
2014.3.10
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