その感情は墓まで持って行け

※この作品は18禁です。

「ただいま」
「お帰り。真太郎。食事できてるわよ」
 優しい母の声。オレは言い捨てた。
「――いらない」
 全く――どうしてこんなにいらいらするのだろう。あれから、高尾の顔を見ることができずに先に帰ってしまった。
 高尾、オレが憎いなら憎いでいいから、その感情は墓まで持っていけ。
 せっかく……できた友達なのに。
「…………」
 相棒だと思っていた。けれど、お前はずっとオレを憎んでいたのだな。だったら、どうして一貫して憎んでくれないんだ。
 あんな風に泣くから、オレは――。
 オレは、お前のことを可愛いと思ってしまったのだよ。抱き締めて、告白してしまいそうになったのだよ。
 好きだと――。
 オレの頬を涙が一筋、伝った。
 今日の高尾の告白はショックだったのか? オレは、あいつを好きだったのか?
 うるさいと思いながらも。オレのそばにいたいのなら勝手にしろと思いながらも。
 オレは、あいつを愛していると――。
 何も考えたくなかった。ただひとつの妄想が、オレを捉えた。

「許して……真ちゃん」
 高尾が甘い声で許しを請う。――オレはそれに欲情していた。
「ダメだ。許さない」
 オレは鞭を振るう。高尾の背中に鞭の痕が残る。
「いやーっ!」
 鞭を使うのも上手いヤツは上手いらしい。けれど、オレはそんな手加減などできない。ただ、懸命に鞭を振るうだけ。
 こいつに対する愛と憎しみに引き裂かれながら――。
「真ちゃん、真ちゃん――」
 真ちゃん、マジでごめん! 超ごめん!
 今日の高尾の声がオーバーラップする。
「あっ……!」
 高尾が声を上げて泣いた時、オレは妄想で達してしまった。

 部屋中に栗の花の匂いが充満している。オレは顔をしかめていたことだろう。先に着替えていてよかった。オレは白濁した液を吐き出した己の先端をティッシュで拭った。拭ったティッシュは丸めて捨てた。
 オレは――最低だ。
 あんな妄想でイってしまうなんて……。
 高尾が憎い。オレをこんな風に変えてしまって――。
 取り敢えず窓を開ける。冷たい夜気が入ってきた。
 高尾――どうして、お前はオレを憎んでいたのだ?
 あいつがまたチャリアカーで来るとは限らないけれど――明日は高尾に聞き正してみよう。
 オレのどこが不満なのか。オレはそんなに変なのか。
 オレは、そんなに悪い男なのか。――まぁ、黒子にも苦手意識を持たれていたのは知っていたが。
 お前も、オレじゃダメなのか?
 思考がぐるぐるする。そろそろ食事はしなきゃダメなのに。宿題もやらなきゃダメなのに……。オレは下着を穿いてズボンのジッパーを上げると、そのままベッドに倒れ込んだ。オレらしくもない。
 確か、今日の蟹座の運勢は12位だったな。よく当たる占いなのだよ。ラッキーアイテムの黄色いボールもあるのに――オレの運勢は良くならない……。
 高尾のせいだ、高尾の……。
 気が付くと、時計の針が11時を指していた。
 疲れて眠った時、時計の針は8時半を指していたから――冗談じゃない。二時間半も寝ていたのか。
 しかも、オレは規則正しい生活を是としている。寝ている時だって、一旦眠りに落ちると死んだように眠って朝まで起きない。
 しかし、それにしてもまずは腹ごしらえだ。オレはとんとんと階段を降りる。
「あら、真太郎」
 母がおっとりと声をかける。
「母さん、夕食は?」
「残してあるわよ。――いつもの顔色に戻ったわね。帰ってきた時は元気がなくて心配だったけど」
 そうか……そんなにオレは落ち込んでいたのか。高尾のことで。
 母は……今まで待っててくれたのか。
「ウメさんはもうとっくに帰ったから」
 ウメさんと言うのは、オレの家の家政婦である。夜は九時に家に帰る。ウメさんの家はここからすぐだ。
「今まで、待っててくれたのか、母さん」
「当たり前でしょ。息子が顔色を変えて帰ってきた時に、平気な親なんていません」
「――母さん、オレは、憎まれても仕方のない存在なんでしょうか……」
 つい、舌が滑ってしまった。母が、悲しそうに微笑んだ。
「私は憎まれても仕方のない息子など産んだ覚えはないわ。何? 友達にそう言われたの?」
 オレは、こくんと頷いた。
「真太郎」
 母は席についたオレの頭を撫でた。
「真太郎。あなたはいい子よ。本当に。お父さんとお母さんの自慢の子供よ。春菜もだけど。私はあなたがいて良かったと思うわ」
「――オレのことを憎んでいたことを、あいつに謝られたんだ」
「……きっと、その子もあなたを憎むことをやめたのね」
「わからない」
 ひな子は高尾に、高尾がオレのことを愛していると言ったそうだ。高尾がそう言った。本当のことかどうか、オレにはわからない。
 オレも、今、高尾が憎いのかどうかわからない。憎しみも愛のバリエーションのひとつなのだろうか。
 だが、わかることはひとつある。オレは――最低だ。
「ご飯よそうわね」
「――いただきます」
 オレは母の前でもそもそと遅い夕食をしたためていた。母は何も言わなかった。それがありがたかった。母は、勝手にオレの心理的なテリトリーに入って来ない。それが、良かった。
 ご飯は、いつもの通り美味しかった。味なんてわからないんじゃないかと思ってたのに。オレは涙を飲み込んで、食べることに熱中した。
『真ちゃん……』
 高尾の声を思い出す。オレ達は、もう元の関係には戻れないのだろうか。
 あいつはオレを憎いと言い、オレはあいつのことを考えながら手淫していたのだ。――あいつを打つことを考えながら。
 オレはあいつを打ち据えたいのか。妄想の中でも。
 いいや、ダメだ。オレは、もうあいつを打ちたくない。たとえ、夢や妄想でも。
 もう、あいつを打つ想像は、しない。
「ご馳走様。――食器、洗います」
 オレはのろのろと水と洗剤で食器の汚れを洗い落とした。
 こんな風に……オレの心の汚れも洗い落としてしまえばいい。高尾……。
 オレは、お前を憎みたくない。お前と馬鹿話がしたい。お前とバスケがしたい。
 お前は、オレと違って常識家なのだから。オレの心の闇にお前を巻き込みたくない。
 あの笑顔を、もう一度見たい。けれど、それはダメだ。多分、オレはお前を疎んじてしまうだろう。態度で、言動で。
 それでも付き合って欲しいとは、オレには言えない。オレが憎いなら、オレから離れていいのだよ。高尾。
 オレは宿題を終えるとパジャマに着替えてベッドに入って眠ってしまった。

 翌朝、何事もなかったように高尾が迎えに来てくれた。オレは、やっぱり嬉しかった。
「真ちゃん、オレのこと、嫌いになったんじゃないの?」
 本当にこいつは馬鹿だ――お前の方こそ、オレが嫌いだったんじゃないのか? 憎まれてもいいから一緒にいたい。こんな感情は初めてだった。
「真ちゃん……」
 高尾はオレに向かって笑いかける。高尾は誰にでも笑いかける。うるさいけれど、たまに邪魔だと思うことがあるけれど――この笑顔が好きだ。
「高尾、オレは、悪いところは直すよう努力する。それがオレにできる人事を尽くすということなのだよ」
「いいよ。真ちゃんはそのままで。結局は、オレの逆恨みだったんだ……本当は……好きだよ、真ちゃん。変人なところも、ラッキーアイテムにこだわるところも、ワガママなところも、人事を尽くすことにこだわるあまり奇行に走るところも――本当は優しいところも」
 あまり褒められた感じはしないが――まぁ、いいか。
 オレ達は長い話をした。だが、オレが高尾を傷つける妄想を繰り広げたことは言わなかった。
 この感情はきっと墓まで持っていく。

後書き
今回は真ちゃん――緑間真太郎の一人称なのだよ。
前回の予告が一部本当になってましたね(苦笑)。
2014.11.5

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