猫獣人たかお 100

 例えば――全てが夢なんじゃないかと思う時がある。
 オレが真ちゃんと一緒に暮らしていることも、てっちゃん神様のことも、オレが獣人になったことも――。オレはまだ妹のなっちゃんと長老の元で暮らしているのではないかと――。
「かずなり……」
 真ちゃんの声がする。低くて甘い声。――ああ、夢ではなかったのだ。嬉しい。オレはまだ信じることができない時があって――真ちゃんと暮らした日々があまりにも幸せ過ぎるから――。
「――にゃっ、にゃっ」
 オレは手を動かす。
「起こして悪かったな。昼寝しているところを。猫は寝るのが仕事だもんな」
 オレはがばっと起き上がった。――オレは獣人のままだった。
「どうしたのだよ。血相変えて」
「な……何でもない……」
「今日は鍋をやるのだよ。この時期は鍋が一番なのだよ」
「わあい」
 じゃあ今までのことは――全部が全部夢と言う訳ではなかったのだ。
「今日は何の鍋?」
「寄せ鍋。今日はオレが用意したのだよ」
「えー? 大丈夫?」
「どういう意味だ」
「別に」
「鍋くらい調味料と材料放り込めば、後は勝手に出来上がる」
 そう言うイージーな考えだから心配なんだってば。でも、確かに鍋なら簡単だ。真ちゃんは一人暮らしもやっていたことがあるから、一通りの料理は出来る。
 オレ達は鍋を囲んだ。
「うん、美味しい美味しい」
 煮えた牡蠣をふうふう言いながら食べる。
「近藤さんから電話が来たのだよ。かずなりは元気かって」
 真ちゃんが言った。
 近藤サンは随分オレのことを心配してくれた。自分のせいでオレが山田三郎に刺されたのではないかと。ずっとずっと気にしてくれているらしい。オレが下手に有名になったもんだから――。
 テレビマンで怖いことなど何もないように見えても、近藤サンは本当は優しいのだ。
「困ったことがあったらいつでも連絡するように、と言っていたのだよ」
「うん。ありがとうと言っておくよ」
 近藤サンとオレはメル友だ。近藤サンはもう、オレに番組に出るようには言ってこない。
「水森も元気だって。また遊びに来るよう言っておくのだよ」
「そう――でも、水森は忙しいんじゃないかな」
「だろうな。オレ達でさえ、いろいろ忙しいのだよ」
「バスケ部の皆も元気だよねぇ」
「オレはバスケをしている時が一番楽しいのだよ」
「勉強は?」
「勉強も勉強で楽しいのだよ。――かずなり。この家に来てくれてありがとう」
「真ちゃん……」
 真ちゃんは猫嫌いだった。けれど、今はもう治ったのだろうか。まぁいいや。終わり良ければ全て良し、だもんね。
 カーテンの間から雪が舞っているのが見える。
「あ、雪」
「かずなりは雪が好きか?」
「うん。冷たいけど面白い」
「オレはあまり好きじゃないのだよ。――紫原のヤツがよく秋田の高校に通えたものだと思うのだよ」
 ムッ君は高校時代、秋田にいたのだ。冬の秋田は雪だらけだとこぼしていた。大学に行くことになって、東京に帰って来たらしい。
「まぁ、雪の結晶とかは面白いけどな。綺麗だし」
「でしょう!」
「それにしても、お前は猫獣人のくせに寒さがあまり堪えていないようだな」
「猫獣人と言ってもいろいろだよ」
 オレはハフハフと熱い野菜に息を吹く。
「美味し~い。幸せ~」
「お前の幸せは安上がりなのだよ」
「だって、真ちゃんがいるんだもん」
「――お前、自分がどんな殺し文句言ったのかわかっているのか?」
 う……。殺し文句のつもりで言ったんじゃないんだけどな。ただ、本当のことを言っただけで。
 勿論、数々の別れもあった。なっちゃん、みーくん、お母さん――。
 でも、皆、オレに幸せになって欲しいと思っているはず。オレが皆が幸せになるよう願っているのと同じように。
「テレビつけるのだよ」
 へぇ……真ちゃんがこの時間テレビをつけるなんて珍しい。真ちゃんはこっちを見てにやりと笑った。何だって言うんだろう。
「どうしたの? 笑ったりして」
「お前は新聞読んだか?」
 突然聞かれて、オレは首を横に振った。テレビ欄とか、三面記事とかは時々読むけど。あ、今日はテレビ欄も見ていない。
「テレビで何かあるの?」
「ふふ……もうすぐわかるのだよ」
「それでは、今売れっ子の若手獣人芸人の今吉翔一さんと花宮真さんです!」
 テレビの司会者が言った。オレはぶっと口内の具を吹いた。
「――汚いのだよ」
「今吉サンと花宮サン、芸人になっちゃったの?!」
「みたいだな。嬉しいだろう」
「うん! 嬉しい嬉しい! ありがとう、真ちゃん、教えてくれて!」
 オレは真ちゃんに抱き着きたくなった。
「ほら。ティッシュ。口元拭くのだよ」
「うん!」
 今吉サンと花宮サンの掛け合いは面白かった。芸人の中で一番面白かった。
「才能ある獣人が活躍する時代になってきたのだよ。『獣人会』もそれなりに軌道に乗ってきたし」
『獣人会』は赤司やリコさん達が仕切って、オレ達獣人の味方になってくれている。赤司達がどうして獣人の面倒を見てくれるのかわからないけれど――。
「お前がいなかったら『獣人会』はできなかったかもしれないのだよ。かずなり」
「――え?」
「赤司がそう言ってたのだよ。お前はいろんな災難にも遭ってきたけど、それは全部無駄ではなかったのだよ」
 真ちゃんの優しい声。それに、今までの災難、無駄ではなかったと言ってくれる。災難も幸せも、全部オレの糧となる。この鍋の具と同じように。
「リコがな――大晦日に鍋パーティーやろうと言っていただろう?」
「うん、聞いてる」
 場所はマー坊――中谷教授の家。赤司ん家は立派過ぎるから、皆遠慮したんだそうな。
 リコさんはどうも自分が料理に向いていないことを悟ったらしく、密かに練習しながらも、人に協力してもらうことも覚えたようだ。
 今吉サン達が出て来た番組は終わった。もう――今吉サンてば、テレビに出るんだったら事前に知らせてくれればいいのに……。
 後で文句言ってやろうと思ったけど、今吉サンには何だかんだで煙に巻かれそうだなぁ。花宮サンは「誰も見てくれなんて言ってねぇよ、バーカ」とか言いそうだし。
 オレは花宮サンの台詞を想像して笑ってしまった。
「かずなり?」
「にゃあ……花宮サン、オレが今吉サン達の出てたテレビ観てた、なんて言ったら、どう言う顔するかな、と思って」
「あの男は憎まれ口のひとつでも叩きそうなのだよ」
「真ちゃんもそう思うよね」
 オレはあはは、と笑った。
「かずなり。お前がいて良かった。一人きりの鍋は寂しいのだよ」
「オレはいつでも真ちゃんの隣にいるよ」
「そう願うのだよ。でも、これからはあんまり心配かけるのではないのだよ。もうちょっと気をつけて自衛して――」
「はいはい、わかったわかった」
 真ちゃんの隣にいる。これからもずっと。
 例えどんなことがあっても、ここがオレの帰る場所。オレは、死んでも真ちゃんの傍にいる。オレが先に死んだら守護霊になって護ってあげる。生まれ変わっても、真ちゃんの魂を持つ人に巡り合う。きっと。
 オレは、真ちゃんと過ごした日々を忘れない。真ちゃんと一緒にいた日々はオレの宝物。
 鍋の残りをつつきながら、オレは自分がどんなに恵まれていたか記憶を反芻していた。

後書き
『猫獣人たかお』一先ずこれで終わりです。
これ書いていた時、すごく楽しかったです。えりょシーンも書いてて楽しかったです(笑)。
読んでくださった方々、本当にありがとうございます。
2019.10.19

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