キミノイナイ世界
――遅い。
オレ、緑間真太郎は、相棒兼下僕の高尾和成が来るのを待っていた。
おは朝もとっくに放映し終わった(別段打ち切りになったというわけではない)。蟹座は最下位だったのだよ。ラッキーアイテムは恋人からのプレゼント。だからオレは、昨夜から誕生日に高尾からもらった十字架のペンダントをかけて、あいつが来るのを待っていたのだよ。
別に、高尾がオレの恋人というわけではない。オレには恋人というものがいない。だが、それで困ったことはない……本当にないのだよ。
ただ、恋人と聞いて、あいつの顔が思い出されただけで――。ペンダントをかけて眠ったのは、一応だからな。ないよりはマシというだけのことなのだよ。
オレはぶんぶんと首を振った。高尾の切り揃えられた黒髪。オレンジ色の瞳。煩いと思いつつ聴こえないと寂しい、あの笑い声。オレの専らの悩み。
あいつを見ると、オレの鼓動は早くなる。
高尾、早く来い。
オレは、チャリアカーを運転して我が家に来るはずの高尾を待っていた。
来ない。このままでは遅刻するのだよ。
オレはスマホを取り出した。――そこで唖然とした。
高尾の番号が――ない。
どうした! 消したわけじゃないよな!
高尾だったら有り得るけれども、いつも人事を尽くすオレが高尾の番号をスマホから消す訳はないのだよ。寝惚けて消したのか? オレに限って? オレは高尾みたいなおっちょこちょいじゃない。こんな間違いあり得ないのだよ。何度も言うが、高尾だったらわかる。でも、オレは高尾じゃない。
――でも、電話番号は覚えているので電話をかけてみた。聴こえてきたのは、
『この番号は現在使われておりません』
という無情な声。それならメールだ。速攻でメールが送信できなかった旨のメッセージが現れた。
おかしい。電話番号もメールアドレスも合っているはず。
どうしたんだ、高尾。
このままでは遅刻だ。オレは鞄を抱えて走り出した。バスケで鍛えた脚力はちょっとしたもんだ。
「高尾!」
教室の扉をがらっと開ける。ぎりぎりセーフ! でも、今のオレにはそんなことどうでも良かった。
教室をざっと見回した。高尾はいない。
「高尾!」
「よぉ、緑間」
「高――」
オレは言葉を続けようとした。……そして絶句。クラスメートの一人だった。確か木崎と言ったっけ。高尾と仲が良かった。
「……木崎。高尾はどうした」
「高尾? 誰それ」
「はぁ?」
何だコイツは。ボケているのか?
「高尾だよ。高尾和成。ほら、この席にいるいつも煩いヤツ!」
オレは高尾の席をバンバンと叩いた。
「あー、そこの席、ずっと空いたままだぜ」
「え……?」
これは何だ? 四月バカか。
「今日はエイプリルフールではないのだよ」
「わぁってるよ。緑間にウソつくヤツなんかいねぇもん」
「高尾はしょっちゅうついているのだよ。わかった。これも高尾の差し金だな」
「うわぁ……! ちょっとちょっと襟元離せ!」
オレはつい木崎の胸ぐらを掴んでいた。
「オレ、高尾なんて知らねぇよぉ」
「確かか?」
「確かだよぉ」
木崎はごほっごほっと咳き込みながら、
「あー、怖かった」
と、呟いている。
これは新手のイジメなのか? 高尾も気の毒に……。高尾に手を出すヤツがいたら、オレが許さないのだよ。
担任の中谷先生――バスケ部の監督でもある――が入ってきた。先生だったら少しはマシな答えを出してくれるはず。
「中谷先生!」
「どうした? 緑間。血相変えて」
「高尾は、高尾はどこに行ったんです?!」
「高尾……? そんな生徒この学校にいたかなぁ……」
「とぼけないでください! このクラスにいたでしょうが! 一際煩いヤツが!」
中谷先生は何か考え込んでいたらしいが、やがて言った。
「緑間……私はお前に保健室に行くことを勧める」
「先生……」
オレはアンダーリムの奥の目を見開いた。涙が一滴、こぼれた。
「うわっ、どうした! 緑間!」
先生は慌てる。オレは、違和感を覚え、その違和感の故に泣いたのだ。
ここに高尾はいないのだ。オレの中に芽生えたある違和感。しっかりと根付いてしまったあの違和感。
オレは、このことを予感していたのかもしれない。朝起きた時、首にかけていたペンダントの十字架の部分を握り締めていた。オレは滅多に寝惚けることはないし、死んだように眠っているといつも高尾に笑われた。そのオレが、このペンダントを握っていた。
それは予兆だったのかもしれない。にしても、昨夜かなり大きな地震があったこと以外、オレは全く覚えていないのだが。
もう一度、オレは中谷先生に訊いてみた。
「高尾和成。この名前に憶えはありませんか?」
転校したでもいいから。この学校を辞めたでもいいから。
お前にこの世界で生きていて欲しかった。
だが、待っていたのは、残酷な一言――
「私は、そんな名前の生徒を知らない」
その答えはオレを地獄へ突き落した。
緑間がついにいるはずのない人間を探し出した、とクラスメートどもは噂し合っている。
高尾は、高尾は確かに現実にいたはずなのに――。これもイジメの一種だ。そう考えていた方がまだ気が楽だ。
それとも――オレは精神科にお世話になるべきなのだろうか……。おかしいのはオレなのだろうか。オレはそうは思わないのだが。
「緑間君」
長い髪にリボンをつけてる小さい頭。
「ひな子! 高尾は?」
「高尾? ――知らないわ」
ひな子はふるふると首を振った。あんなに仲良かったのに。
「お前――高尾とは仲良かったはずだろう? 忘れるなんて失礼なのだよ」
「失礼と言われたって――いない人のことを忘れることはできないわ」
確かに。だが、或る意味忘れ去るよりも残酷なことなのだよ。実体のある物はいずれ忘れ去られる。忘れることもできる。けれど、実体のない物は――忘れることもできない。
「もういい!」
「あ、緑間君。授業は?」
「高尾を探すのだよ」
オレは教室の扉から出て行った。頭の中は高尾でいっぱいだった。
「――んで? オレんとこへ来たわけか」
宮地先輩――バスケ部の宮地清志のところへ来た。
「高尾和成ねぇ……知らねぇな」
オレは、その答えに心の中で安堵した。宮地さんが高尾のことを知っているとなったら、オレはどんなに錯乱したかわからないからだ。
高尾を探しているはずなのに、高尾が見つからないことに安堵しているなんて――
(最低なのだよ。オレは……)
「失礼しました……」
「何だよ。用ってそんだけか?」
「はい……」
「部活には出るよな! な!」
宮地先輩がオレを必死で力づけようとしてくれているのがわかった。
「ワガママが許されるのでしたら――」
放課後、オレはオレのワガママで見学させてもらった。あのボールの取り合いをしているチームメイト達の間に高尾がいてもおかしくない。
高尾――。オレは十字架のペンダントを撫でる。オレもシュート練習でもして、気分を変えた方がいいかな。そう思いながらも強烈な眠気に襲われてついうとうとと眠ってしまった。疲れてるんだろうな、そっとしといてやろうぜ、と言う宮地先輩の声が、眠りに落ちる前に聴こえてきた。
後書き
これで終わり? んなわけないでしょー。続きもちゃんとありますよ☆
この次は高尾ちゃんも出る予定です。
2015.3.19
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