ワイエスへ2

「ワイエス。久しぶりだな。ジェームス、いや、マイケルだ。またおまえの墓参りに来た。おまえはあの世でどんな暮らしをしている? 俺は稀代の殺人鬼と一緒に、いずれおまえのところに行くつもりだ。前々から予感はあった。確信に変わったのは、ジョゼに会ってからだ。ジョゼは近くにいる相手の人格に影響される女性だ。女好きなのは、俺とシンクロしていたからだそうだが。俺は博愛主義が自慢でね。女性に対しても。動物や植物に対しても。そしてもちろん、おまえ達に対してもだ。畳の上で死ねるとは思っていない。おまえは畳は知っているか? いぐさを使った日本の床みたいなものだ。シンに教えてもらった。あれもよけいな野心さえ持たなければ、愛すべきキャラクターで通ったのにな。ホワイトハウスを狙っているらしいが、まず無理だろう……よくいる小悪党だ。俺は牧歌的な人間だからな。シンがトラブルに俺の大切な人間を巻き込むなら、ただじゃおかない……話が脱線してしまったな。この前話したことと重複するようなことがあったら許せ。頭に思いついたまま、話しているからな。……最近、昔のことを思い出した。おまえの知らない俺の世界だ。女神がいた。名前はロゼラ。俺の初めての女だ。父親はグリフィンという。彼らには世話になった。彼らのおかげで、残酷な十代が……いい思い出に変わった。ロゼラは美人だった。もし、俺達の間に子供ができたら、きっと美しく育っただろう。ロゼラは優しかった。そんな美点も受け継いでいただろう……彼女も死んだ。殺された。俺は復讐の鬼になった。グリフィンも殺された。いい人だったのに。青い鳥を逃がした。俺には幸運などいらなかったからだ。鳥は鳥らしく、大空を羽ばたく方が似合っている。エリーに忠誠を誓えば、自由になれる。甘美な誘いだった。俺にとってもな。だが、うべなうわけにはいかなかった。おまえはエリーとは違う。遺産を振り込んでくれてありがとう。一部は花火になったよ。もっとも、莫大な額だからな。とても使い切れなかったけれども。財産に執着などない。好きな人達とささやかな楽しみを分かち合うだけで充分だ。なのに、運命は過去の傷を金で清算しようとしているらしい。今の俺は、フロイドよりも金持ちになった。だが、そんなものよりワイエス、おまえを蘇らせたかった……無理なことだがな。もし可能であれば、グリフィンとロゼラにも会いたい。ロゼラは、あの世界の住人だ。物語の源の話はしただろうか。彼女は物語の源を持っていた。たましいと言ってもいい。ユング心理学の中でも、ハヤオ・カワイに興味を持った。そして、本当にその通りだと思った。……彼の本は全部読破した。日本にはすごい人がいるものだな。俺のボス、カーターも日系三世だが。そういや、あんた達の会社に行って、産業スパイと間違えられたことがある、と言ってたな……笑いながら。ビアトリスのところのプリンセスも大きくなった。母親そっくりの美人だぞ。おまえにも見せたかった……。もし幽霊という存在があるなら、姿を見せてくれ、ワイエス。離さないで、しっかり捕まえてくれ。俺を。サロニーは死してなお、俺を離さなかった。俺と彼はひとつにとけた。おまえもそうであってくれ、ワイエス。サロニーの息子は、いずれ俺が引き取る。いい子だぞ。サロニーJr.は。それに、そう悪い環境ではなかったらしい。まっすぐな気性の子だ。それに優しい。サロニーも、こうもあったであろうという、モデルケースだ。後は、ジョイが『うん』と言ってくれるかどうかだが、大丈夫だ。あの子ならわかってくれる。俺が選んだ相手だからな。文通しながら、愛の言葉を書き連ね、デートしていたような気分になったよ。あの子は小説家志望なのに、どうして兄のカーターは筆不精なんだろうな。面白いとは思わんか?遺伝子の問題だけでは片づけられん。アンディが女遊びを覚えた。……きっかけは俺なんだろうな……。少々責任を感じないでもない。責任といえば、グリフィンも、ロゼラが妊娠していたら責任をとらせると言っていた。俺は……まあ、異存はなかったが。またロゼラの話に戻った。どうやら彼女のことが気にかかっているらしい。今回は。あの子は世の常とは違う世界に生きている。だから、はたから見たら低脳の一言で片づけられたかもしれない。しかし、そうではない。彼女と俺とは表裏一体だった。会った時はロゼラの方が大きかった。担ぐのに骨が折れたが、今だったら軽々だな。もっと力が欲しかった。あの頃の俺は。力があったら、むざむざ身近な存在を殺されるところを見ているだけなんてことはなかっただろうに。俺は……グリフィンとした約束を果たせなかった。必ず助けると言ったのに。だから……カーターやアンディには手出しはさせない。今度こそ、守ってみせる。昔、アンディに会った。子供の頃から同じ夢を見ていた。アンディの成長した姿も見た。シド・ブライアン達に傷口に塩を擦り込まれた時だ。シドは、人を傷つけることに関しては頭が回る。あの時は……強がっていたが、もう死ぬかと思った。その時……ジョゼの顔が見えた。アンディにも会えた。そして……ロゼラと愛し合った。初めての経験だった。心底この娘が愛おしいと思った。FBIがもう少し早く来ていたら、グリフィンとロゼラは……いや、それは繰り言だ。しかし、レイランダーには感謝してる。マッケイにも。彼は、妻子持ちでありながら、危険を顧みず、俺とレイランダーを救ってくれた。……レイランダーも非業の死を遂げた。シド達のショットガンに撃たれて。シド、といっても、シド・キャロルではない……彼女が聞いたら怒りそうだな。似た名前でも、あんな人間とは何の関係もないと言って。彼女は見かけによらず激しいぞ。痺れるぜ。……レイランダーは俺と親子のふりをして暮らそうと申し出た。レイランダーは……付き合ったのはほんの短い間だったが、理想の父親だった。だから、あんなことで失いたくなかった。俺は必死で止めた。レイランダーは聞かなかった。止められなかった。レイランダーを。シドは俺を犯してから、殺そうとした。その時、声が聞こえた。どこからか。『生きろ』と。それは俺の中からの声だったかもしれん。俺はシドを石で叩いて殺した。後悔はしていない。それに、これが初めての殺人ではなかった。マイケル・V・ネガット事件は当然おまえは知っている。その時、スタン・マティックの二人の仲間を殺した。マイケル……つまり俺は死んだものとされていたが、生きていると信じていた者もいた。レイランダーもそのひとりだ。アーサー・ネガットもそうだったし、サロニーもそうだったらしい。サロニーは自分で俺の居所を突き止めたらしい。元CIAの殺し屋だったからな。彼の裏で組織が糸引いていたわけだが、俺の件はCIAとは無関係だ。表向きはな。サロニーは死神だった。それを知っていてCIAは彼を雇った。悪意はどこにでも存在する。それを巧みに操る者も。サロニーは悪魔だが、初めから悪魔ではなかった。彼の中には、無垢で純粋な魂が閉じこめられていた……こんなこと言うのは、柄じゃないが。おまえは殺人者ではない。エリーに雇われて俺の目を撃っただけだ。いや、たったひとり。自分自身を殺した。刑務所仲間はおまえのことをコンピューターマニアだと言っていたが、フリスはおまえのことを理解していたぞ。あいつは見た目は乱暴者だが、本当は繊細なんだ。今はソアと付き合っている。ソアは、身障者でしかもゲイだ。目と足が不自由だ。気丈に振る舞っているがいろいろ辛いこともあろう。フリスとイシス2号が助けになればいいと思っている。彼は強い男だ。必ず幸せをつかみ取るだろう。おまえは猩紅熱だったな。子供の頃聞いたよ。おまえの境遇には同情の余地はあるが、幸せになる努力を怠ったことは許せん。その性根叩き直してやる。会えたらな。いや、会ってみせる。そして、おまえもおまえの道を行け。生まれ変わってな。俺も俺の道を行く。それは平坦なものではない。ジョゼは言っていた。俺が助かる道は知っているが、その道をたどったら、俺は俺でなくなると。俺は自分の運命を甘んじて受けるつもりだ。おまえが選ばれてなかったとは言わせない。おまえも確かに何者かに選ばれた者なのだ。そうでなかったら、もともとこの世に生まれてなど来ない。早く来い! ワイエス! いや、俺が行く方が早いか。しかし、カーターが気がかりだ。俺はカーターと共にあり、カーターは俺と共にいる。カーターは生涯俺の面影を追って生きるだろう。俺がカーターの立場だったらそうする。アンディもだ。アンディがいるから、俺はまともでいられる。めでたしめでたしだ。だが、いつかはアンディとも別離の時が来る。それもまた良しだ。この世の全てがなべて良しだ。おまえが幸せに近づくことを祈っている。自殺は他殺より悪い。罪は償わねばならぬ。自分自身を大切にしろ。それがおまえに対する俺の願いだ。そして、いつの日か、必ずおまえの役目を果たせ。俺も手伝ってやる。うじうじ悩むな。自分の世界を作れ。どんなにささやかでもいい。自分が大切にできるものを、捨てるな。おまえは自分の命を捨てた。宿命がおまえを生かすのを待たずに。それがおまえの罪だ。俺がやらなくとも、いずれ誰かがあの世で告発する。もしもう一度チャンスがあるなら、もうその機会を逃がすな。そして、幸せになるがいい。幸せは人それぞれだが、俺にとっては悔いを残さないこと、もっと積極的にいえば、自分や他人を大切にすること……愛情を交換すること……誰かと。それは誰でもいい。前にも同じようなことは言ったかもしれんが、大切だから念を押しておく。人を愛するんだ、ワイエス。サロニーはその相手に俺を選んでくれた……光栄なことだと思っている。ジョイもカーターもアンディも俺を選んでくれた。俺も彼らを選んだ。あの傍迷惑なトラブルメーカー、シンでさえも。あの男はもっぱら憎めなさだけで生きている。だから、罰を与えてやった。地獄のディープキスだ。これをやった相手はみな、元の世界には戻れなくなると評判だ。おまえにもしてやろうか……? 冗談だ。アンディはあれで女に目覚めたがな。貞節だったシド・キャロルは悪女になったし。アンディは滅多にお目にかかれないほどのプレイボーイになった。いや、カーターにはかなわないかな。カーターも昔はプレイボーイだった。人妻と通じていたりな。その他にもいろいろ武勇伝がある……ジョゼから聞いた。そんなことをカーターに話したら、『私にはプライバシーもないのか!』と怒り出しそうだが、一度に二人も相手しようとする男に、そんなものあるわけないだろ。シンもプレイボーイだから、血筋かもしれん。やはりカーターはシンのはとこだな。今はジャネット一筋でも。ジャネットには信じられないほど奥手でな。一度など他人に取られたことがある。結局彼女は帰ってきたがな。カーターはいい男だからな。しかし、他の女に対する自信が、ジャネットに対してはどうしても持てなかったようだな。最近プロポーズしたようだが。それが、俺が昔言っていたことそのままだったので、ジャネットに笑われたと、カーターが苦虫を噛み潰すように話してたよ。確かに、俺はカーターとは違う。カーターほど優しくないし、カーターほど一途でもない。アンジェラには『薄情な浮気者』と称されたが、全くその通りだ。グレッグの旦那にまで嫉妬するぐらいだからな。この世の全ての人々を愛したい。フロイドが言っていた、それは愛でなく、情愛だと。肉体関係は関係ない。誰かをそっと押し包む気持ち。痛いような悲しいような……それもひとつの愛の形だ。ワイエス、おまえのことも愛している。もう一度、会いたいと願うくらいに。アンディはわかっている。俺にとっては、みな大切な恩人だ。彼らは様々な愛を教えてくれる。関係を持った女性も、少ないながらいる。これは誰でもいいというわけではないが。愛は苦痛を取り除いてくれる。愛しているから辛いということもあるが。おまえは確かに取り返しのつかないことをしたが、また地上に戻ってくることを祈ってやまない。愛を、いや愛以上のものを知る為に。ワイエス、愛している。さざ波のように。他の存在と共に。ではまた」


2010.8.9

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