ちょっとした思い出

 俺――フロイド・アダムス――が、あの女、ジョゼ・ルージュメイアンに会ったのは、今から約四年前のことだ。

 俺は、事件の資料探しに、図書館へ行って、あの女とぶつかった。俺は、足を滑らせ、階段から転げ落ち、もう少しで怪我するところだった。
 ジョゼは、そんなことはお構いなしに、スカートの埃をはたくと、行ってしまおうとした。俺は怒鳴った。
「おい! 気をつけろ! 人にぶつかっておいて、『ごめん』の一言もないのか?」
 まぁ、ごめんで済んだら、警察はいらんがな。
 ジョゼは、俺の方へと引き返してきた。
 手でも差し出して、起き上がらせようとでもいうのかと思ったら――
「あなた、フロイドね」
 と、いきなりファーストネームで呼び捨てにされた。
「そうだが。いかにも俺はフロイド・アダムスだ」
 いささかむっとして、俺は答えた。俺は、自分で云うのもなんだが、結構なボンボンだ。社会経験を積む為に警官になった。俺は、始めてみて気がついた。この仕事は、天職だな、と。
 まぁいい。話が逸れた。その女の物腰や、無礼さに、むかっ腹を立てた。
「何怒ってるの? 失礼な態度、物怖じしない性格は、あなたの専売特許じゃない」
 俺は驚いて、その女を見つめた。
 確かに、俺は、わざと、強気な態度をとって、相手に向かう性質がある。というか、もともとそういう素質はあった。
「フロイド……もっと早くか遅くに会いたかったわ」
 女は、謎の台詞を言った。
 なんだ? それは。俺を口説こうとしてるのか?
 冗談じゃない。俺にだって、好みというものがある。小柄な女はご免だ。もっとも、出ているところは出ているようだが、全体的に華奢だ。それも、俺の好みではない。
「またスケベなこと考えてるわね」
 俺は、もっと驚いた。女権運動家から見たら、女性蔑視と思われても仕方のない考えだ。俺は気にしないが、一応社会的な立場というのもあるので、黙っているか、親しい奴にしか話さない。
 女は笑った。
「あなたって、思っていた通りの人ね」
「どういう意味だ? それは」
「女たらしで、敏腕警察官で、数々の事件を解決したけど、デスクワークは得意じゃないってことかしら」
 女たらしは余計だ。
 しかし、敏腕警察官と呼ばれるのは嫌いじゃない。
 デスクワークは、確かに苦手だ。今日も、「図書館に行ってくる」と言い置いて、息抜きしようとしてたところだ。
「おまえ……もしかして、犯罪者か、スパイか、俺のファンか? だから、俺の動向をかぎまわっていたのか?」
「違うわ。私はJ・Bのファンなの」
「J・B? ジェームス・ブラウンか?」
「J・Bというのは、ジェームス・ブライアンのことよ。ほら。マイケル・V・ネガット事件の」
「マイケル・V・ネガット? ああ、あのガキか。新聞でも週刊誌でも、テレビでもよく報道されていたな」
「今はもう、ガキという年齢じゃないわ」
「俺よりずっと年下だろ」
「そうよ」
「まぁ、俺には関係ないがな」
「関係なくはないわ。あなたは、J・Bに会う運命だもの」
「う……運命?」
「そうよ。あなた、彼のいい友達になれるわ。彼、どんな人とも仲良くできるもの」
「下らない。俺には俺の、抱えているヤマがたくさんあんだよ」
「私が言うことに間違いはないわ。あなたは、自分自身と出会ったんだもの」
「何ぃ?」
「証拠を見せてあげてもいいけど――まず、あなたはお祖父ちゃん子ね。父親とは、仲が悪いようでいて、仲がいい……もっと言いましょうか? あなたは、昔、黒い馬を飼ってたわね」
「…………」
「でも、逃がしてやった。あの黒馬が、J・Bよ」
 俺の経歴云々や、家族構成なら、調べればわかる。しかし、俺の心の秘密を見透かされるとは――。
「J・Bに、それほど惚れてるなら、何故奴のところに行かない」
 俺は、話を逸らした。
「時期が来ていないからよ。まだね。でも、あなたに会えたってことは、J・Bに会う日も、近づいているってこと。彼に会えれば、私も自分自身になれるのよ。J・Bは、私の命なの」
「そんなに偉いのか? J・Bとやらは」
「ええ。あなたよりは、偉いわよ」
「面白い」
 俺は、手をボキボキ鳴らした。
「少し、興味を覚えてきたぜ。人の噂であれなんであれ、俺より偉い奴は、俺の敵だ」
「そう。あなたは最初、好敵手として現れる予定になっているわ。J・Bのこと、もっと知りたい?」
「ああ。将来俺のライバルになるかもしれない男だ。是非ともデータを集めておきたいね」
「あなた、ヒース・ワイエスにそっくりなの。J・Bの目を拳銃で撃ち抜くことになる」
「ヒュー」
 俺は口笛を吹いた。
「いくつだか知らんが、また随分派手な事件に巻き込まれたな」
 しかし、そんな奴と俺が似ているなんて、俺自身でさえ、今まで思わなかった。
「で? その事件はいつ起きたんだ?」
「これから起こるのよ」
 ――え?
「私には、人の未来や過去が見えるの。それから、人格も、人によってころころ変わる。今の私は、あなたの人格で、だから、ぞろっぺえなのよ。誤解したようだから教えておくわね。――ワイエス事件は、未来に起こるのよ」
「はっ、馬鹿馬鹿しい」
 こんな変な女を相手にしている場合ではなかったんだ。どこからどこまで作り話か、わかりゃしない。
「俺はもう行かなきゃならん」
「また会えるわよ」
「俺はもう二度と会いたくないね。さよならだ」
 大人しく警察に戻って、机と向き合っている方がまだマシだ。
「怒らないで。フロイド。私の名は、ジョゼ・ルージュメイアンよ。覚えておいて」
「わかったわかった」
 いかにも、変わった女だった。途中まで、話に夢中になってしまった。
 そして――多少、J・Bにも好奇心を覚えた。

 ジョゼが、祖父のところに来ていたときは、驚いた。
「フロイド。こんな可愛いお嬢さんをしとめるなんて、なかなかやるのう」
「お加減はいかがですか? おじい様」
「何がおじい様だ。それに、俺のタイプは――」
「背の高い、曲線が魅惑的な女でしょ?」
 わざわざ弁解する必要もないなんて、何者なんだ? こいつ。
「私、J・Bより先に、あなたのことを、もっとよく知りたいと思ったの」
「だから、家にまで押しかけたと云うわけか」
 俺は頭を抱えることしかできなかった。

 俺が、J・Bに会うのは、このときから数年後となる。
 俺とジョゼは、なんのかんのと言っても、友達づきあいはしていたから、J・Bのデータはだいたい頭の中に入っていた。これも、腐れ縁かもな。
 J・Bは、俺の最高のライバルであり、友人となった――もちろん、本人に対しては、友人とは言わないつもりだが。
 それにしても――そこまでお見通しだなんて、ジョゼ・ルージュメイアンは――怖い女だぜ。

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