ジョゼへ ~フロイドより~

ルージュメイアン。その名前は俺に特別な感情を起こさせる。彼女がこの俺、フロイド・アダムスの前から去ってもなお。
ジョゼ・ルージュメイアン……この俺の最愛の相手だ。J・Bとは前世で夫婦だったらしいがな。俺はそんなことは気にしない。体液交換済みなのはわかったが。
俺は今、たくさんのルージュメイアンに囲まれて暮らしている。ルージュメイアンは薔薇の名前だ。
髪ともみあげを伸ばしたワイエスに瓜二つの俺、長い髪の時はカーターに似ていた黒髪のクールなジョゼ。俺達はそっくりさん同士だったんだ。そういう意味では、似合いのカップルだったかもしれねぇ。ジョゼの髪型は俺が変えさせたがな。ボンドガールみたいないい女だった。俺はつい見とれてしまった。小柄なことを除けば、あいつは理想の女だった。気も強い。あいつは恋人で、数少ないダチだった。俺には恋人はたくさんいる。けれど、ダチは少ない。性格に問題があると言われてしまった。確かにそうかもしれねぇ。やたら攻撃的な自分に反省することもある。たまにだけどな。それに、俺はこの性格を変えるつもりはない。敵は叩き潰すまでよ。それが俺の魅力になっていることも知っているしな。それに、変えようたって変えられない。
ジョゼと恋人になった当時、俺は人妻のビアトリス・フォレストに焦がれていた。ビアトリスの妊娠発覚で、その彼女との仲は終わりになったが。彼女とその夫の間に生まれたのが、プリンセス・フォレストだ。プリンセスなんてダサい名つけたのは俺じゃないぜ。前述のJ・Bがつけたんだ。
片目を撃たれて、ゲシュタポみてぇな顔をした奴だよ。けれど、なかなかハンサムと言ってよく、群がる者が後を立たなかった。……そう言えば、こいつも死んだな。どうして俺のダチはすぐに死ぬんだろうな。いろいろ非凡な特質の持ち主なのに、自分では普通を求めていた。それが、J・B、奴の不幸だったろう。いや、あいつが不幸せなんて、俺にわかるか?あいつはその短い生涯を駆け抜けて行った。天馬の如く。それに、あいつに影響された存在は数知れない。
思いがけなく、J・Bの話になってしまったな。でも、ジョゼを語る時、奴の話は欠かせない。何せ、ジョゼは奴とシンクロしていたらしいからな。ジョゼは、ジェームスのセレスって奴だ。二人で一人ってことらしい。なんかよくわからんが、まあ、そういうこった。
アンディとか言うガキも、J・Bの番いの相手と言っていたな。そういう奴らにゃ事欠かないぜ。J・B、ジェームス・ブライアンって奴はよぉ。だから早死にしたんだ。
ああ、そうそう。ジョゼの話だったな。あいつはJ・Bとシンクロしてたんだ。自分の意志と関係なくな。一時期女好きだったのも、あいつの影響らしい。
でも、ジョゼは、ジョゼ自身は俺を選んでくれた。それがどんなに幸せだったことか、今になってわかる。
ジョゼは冷たいところもある女だが、情も持ち合わせているいい女だった。死なれてみて初めてわかったよ。
だから……ジョゼを知っているジョイに会うのが怖い。今だってそうだ。J・Bがいなくなって、カーター達はあまりぱっとしない生活を送っている……じゃねぇかな。当人達でないとわからんぜ。
ジョゼも……いなくなってありがたみがわかった。すまんな。ジョゼ。おまえにもっと優しくしてやれば良かったな。でも俺はこういう男だから……最初はおまえのこと、異性と見られなかったんだ。
辛いな。
思い出したくねぇことを思い出すってのは、辛ぇな。誰かが俺の脳に手を突っ込んで、俺の思い出をかき回しているみたいだ。
「じい、ルージュメイアンを持ってきてくれ」
「はい、わかりました。坊ちゃま」
「その坊ちゃまというのはやめろ!」
まあ、じいは俺のことを小さい時から知っているから、かなう相手ではないんだが。今だって現役だものな。引退してもいいようなものを。
俺の祖父も死んだ。生涯J・Bとは会えずじまいだった。ジョゼのことは気に入っていたらしいが。
ジョゼ……あれは不思議な女だ。過去も見通せれば、未来をもみはるかす。時の流れに翻弄されて生きてきた女だ。何があいつにとっての現実かわかりゃしない。一度に二カ所に現れたって、俺はもう驚きゃしねぇぞ。 あいつ…あいつは生きていたと言えんのかね、あれで。
もちろん、抱きしめた感触は本物だった……と思いたい。華奢な体でJ・B並みのプレッシャーと相対してたんだ。天晴れと言わねばなるまい。
ジョゼは時々実体がなくなるらしい。刀で切られても死ななかったとか。他の奴相手なら、一笑に付したところだが、あの女なら或いは……と思わせるところが恐ろしい。
あの女は、どんな子供時代を送ってきたのだろう。何か、とてつもなく怖い感じがする。俺の平凡な幼少時代など、あいつの前では吹っ飛んでしまうような感じがする。
ジョゼは、美人だった。本人に言ったことはあまりなかったような気がするが。
だって、照れくさいじゃねぇか。長い間ダチやってきたんだぜ。それを肉体関係を結んだから急に恋人みたいに振る舞うなんて、調子がいいもいいとこじゃねぇか。あいつは気にしないようだったが。むしろ、そう扱って欲しかったかもしれない。でも、あの女に普通の恋愛は無理だ。中身はただの女であったにせよだ。思えば気の毒な奴だったのかもしれない。
「坊ちゃま。ルージュメイアンを持ってきましたよ」
じいは言いつけ通り用意してくれた。ルージュメイアンは今が盛りと咲き誇っている。ハウスで大事に育てたからな。……花に顔を近づけるといい香りがする。生命の匂いだ。
俺は自家用車に乗り込んだ。
俺は……不幸せで、でも最後は幸福だった(と思いたい)女の墓参りに行く。
この間まで、ジョゼのジョの字も見るのも嫌だったが……俺も変わったのかもしれない。
それに……わからんじゃねぇか。本当に死んでんだか。あいつはただでくたばるわけはねぇ。今この瞬間も、近くで息づいているかもしれねぇじゃねぇか。
カーターもジャネットも、それからあの小生意気なアンジェラも、ジョゼのことを忘れている。俺だけだ。俺とジョイだけだ。記憶しているのは。ジョゼ……可哀想な女だ。運命を受け入れて、ひっそりと死んでいった。
ジョイから忘れ去られてなくて良かったな。それは、あいつの為にそう思う。
車から降りる。
ジョゼの墓参りに行く決心がようやくついた。ロサンゼルスも冬は寒い。
ジョゼの墓前で足を止めた。俺が使用人に命じて作らせた墓だ。隣にはJ・Bが眠っている。
それなのに、俺はまだ、あいつがどこかで生きていることを信じていた。今だって信じている。
あいつは、決して死なない。
それなのに、あいつの為に墓を作った。J・Bの右隣に。左隣にはジョイが眠ることだろう。彼女はまだ作家として活躍しているが。
ジョイもJ・Bに全てを捧げきった女だ。この間読んだ話は多少毛色が変わっていたが、いつもはJ・Bのことばかり書いている。ジョイは進んでJ・Bに縛られた。ジョゼも俺がいなかったら、そんな運命をたどっていたかもしれない。これは自惚れじゃねぇけどな。
カーターは優男、アンディはガキ。ジョゼに釣り合うのなんて、性格といい身長といい、俺ぐらいしかいねぇじゃねぇか。
幸せは、その中にどっぷり浸かっているとわからない。ジョゼと過ごして……幸せだった。時々窮屈になって度々浮気に走った俺が言う台詞ではないが。
「ジョゼ、聞いてるか?」
墓に向かって呼びかける。
「ルージュメイアンだ。……あの世で愛でてくれ」
降ってきた霧雨がコートを濡らす。俺の足はその場から動かなくなった。
ふと、ある気配を感じた。
肩までのセミロングの黒髪、切れ長の目、小柄だが抜群のスタイル、身に纏った黒い服……。
「ジョゼ!」
俺は叫んだ。
ジョゼは気づいていないようだった。
すっと姿が透けた。俺は一瞬、彼女に包まれた。「待ってくれ!」
女々しい台詞だ。それに、多分ジョゼには届いていまい。
けれど……一瞬の邂逅が嬉しいなんて、まるで秘めたる恋をする乙女じゃねぇか。
えい!いい年こいた大の大人が気色悪い!
でも、ジョゼは生きていた。
「最後の数年間は、本当に生きた気がした。……あなた達と会えて、私は報われたわ」
ジョゼの言葉。あれはいつどこで聞いたんだっけ?
「私達はいつも一緒よ」声が聞こえた。空耳かもしれない。けれども、こんな嬉しい現象は滅多にないだろう。
俺は体力も気力も最盛期を過ぎた。後は老いさばらえて死ぬのを待つだけだ。もしかしてジョゼ、そしてJ・Bは俺の最盛期の象徴であったのかもしれない。
ジョゼが死んだ時、俺は泣いた。J・Bが死んだ時も泣いた。どちらも一晩中泣いた記憶がある。あいつらは長生きできるはずなかったんだ。最初から、早死にする運命だったんだ。けれど、不幸だなんて誰が言える?あいつらは不幸だと思ったことはただの一度もなかったに違いない。
俺は不幸の匂いのしない女には縁がない。ビアトリスはそんな女だった。
ジョゼはどうだったろう。J・Bに会うまでは、ありゃ生きてるとは言えなかった。生まれながらの心霊体質のせいだ。ここに来て、彼女はようやく、自分自身の人生を歩むことができた。たとえ短い間でも。
……俺は少しナーバスになっているようだ。そういう時は、女でも抱いて憂さを晴らすのだが、今日はそんな気にはとてもなれない。ジョゼの幻影を見たからだろうか。
俺とJ・Bを会わせたのもジョゼだった。J・Bには俗気がない。非凡なのに平凡な人生に憧れている。J・Bに会えたことについちゃ、俺はジョゼに感謝のキスを贈りたい。……今したばっかか。
J・Bはジョイと一緒にオワキンクで幸せに暮らしてたんだと思ってた。奴らが何を思ってこのロサンゼルスに舞い戻ってきたのかはわからない。まあ、それについちゃ深くは詮索しないことにしよう。
とてつもない密度と早さの人生を送った奴ら……元気か?俺はここにいる。自分をだましだまし、まだここで生きている俺を見たら、おまえらは何と言うかな?
離婚に関するごたごたも終わった。俺は結婚生活にゃ向かねえんだ。結婚なんてこりごりだよ。スリルいっぱいの浮気を諦めるほどにはまだ枯れちゃいないが。
ビアトリスの言う通りだった。彼女は女の勘で俺が家庭生活に向いていないことを悟りハーディの元に帰っていった。今は幸せそうだ。夫と子供と一緒に。きらきらと眩しいくらいだ。だが、どの道俺には縁がなかった。変えようとしたって変えられない。さっきはああ言ったが、俺も変えようと努力したことがあった。結果は無残に終わってしまった。
俺は何も特別な人ってわけじゃない。ビアトリスは『特別』と言ってくれたが。俺だって人並みに幸福な家庭というやつを持ちたかったことがある。だがそれは子供が天に光る星を見て、
「あれが欲しい」
と駄々をこねるのに似ている。
ジョゼはそんな俺ごと、丸ごと愛してくれた。あんな女はもう現れないだろう。あいつも、俺とは違う意味で特別だ。あいつといる時だけ、俺は俺でいられた。ただの一人 の男として。愛でなく、情愛だった。それにはセックスも含まれていたが。
セックスは最高の薬で、娯楽だ。特に、ジョゼとは体の相性が良かった。初めは相手の顔がやたらころころ変わるので落ち着かなかったが、だんだん慣れて、何回か体を重ねた時にはもう、ジョゼの顔しか見えなくなった。……って、話の筋が逸れたが。
しかし、大変な話だよなあ。近くにいる奴にところ構わず精神的にシンクロしてしまうなんて。俺だったら発狂するぜ。それなのに、普段は見た目平然としていたんだから、女は強いというか、おっかないというか。
そんなジョゼにも弱いところがあると知ったのは、ぐんと俺達の距離が縮まった時のことだな。あいつは……J・Bが後ろにいるとはいえ、たった一人で戦ってきたんだろうな。それを知っているのは俺とジョイと……いや、俺しかいないだろう。
「安らかに眠れ。勇敢な女戦士」
ひどく穏やかな気持ちになっていた。こんなことは久々だ。俺は薄く笑っていた。
霧雨はまだ降り続いている。たとえさっきのジョゼの姿が幽霊だとして、それは神の恩寵と思おう。不信心の塊の俺が言うのも何だけど……な。

2011.1.25

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