誕生日おめでとう! カーター!
1983年10月27日――。
ジェームスとアンディがオ―ガス家の居間に降りて来た。
「おはよう、アンジェラ。カーターは?」
下宿人のアンジェラは荷物を運んでいる。カーターへの誕生日プレゼントだろうか。彼女がカーターの秘書になってから大分経つ。飲み込みの早い彼女は有能な秘書として、てきぱきと毎日働いている。
「は? 何言ってんの? アンディ。カーターだったらジャネットのところじゃない」
「ああ、そうだった。カーターにお誕生日おめでとうを言いたかったんだけどな」
「仕方ないだろう。アンディ。そりゃ、俺だって言いたかった。でも、カーターにはカーターの都合があるからな」
この家のヌシと評判のジェームスが口を挟んだ。
「――羨ましい」
「そうだな」
アンディが言うのへジェームスが答えた。
「何言ってんの! アンタ達! あんなにカーターとジャネットの仲が上手く行くように願ってたじゃない! それが叶ったのよ!」
「カーターはジャネットとセックスしたのかな?」
アンディが言った。アンジェラは真っ赤になってアンディの頬を張った。
「そんな言葉、二度と使わないで! この家から追い出すわよ! 大体、アンタこの前まであんなに真っ白だったじゃない!」
「そんなに悪いことなの?」
「……アンタは両極端なのよ。今じゃドンファンも真っ青の色事師ね。カーターと血が繋がっているのがよくわかるわ」
「カーターも女好きだったらしいね。ジェイク」
ジェイクとは、ジェームスのことである。もっとも、そう呼ぶのはアンディしかいないのだが。
「ああ。どうだ。心強いだろう」
「うん♪」
ジェームスの言葉にアンディが笑顔で頷いた。アンジェラは呆れ顔で退散した。
「ねぇ、ジェイク」
「何だ?」
「あの――このところちゃんと眠れてる?」
「ばっちり熟睡しているぞ」
「俺も。良かった。俺が女の子達とあの――いる時、ジェイクが寂しがってないかと心配で」
「そんな心配は無用だ」
「カーター、早く帰って来ないかな」
「さあな」
「ジャネットとはその……いろいろあったんだろ? 今は上手く行って良かったね」
「ああ。そうだな」
「ジェイクにはそういう相手いないの? ……結婚したい人とか」
「今はいない。だが、いずれ現われるさ」
「ちょっと妬けちゃうな」
「どっちに」
「両方」
ジェームスはふっと笑った。
「カーターはジャネットと結婚するんだろう?」
「ストーリーテリングの都合上それしかあるまい」
「カーター、明るくなるかな? 彼、暗い時にはとことん暗くなるだろ?」
「なるさ。でなければこの世の荒波に向かったり子育てをしたりすることはやっていけない」
ジェームスとアンディがそんな四方山話をしていると――。
アンジェラがカッカッと足音を立てて戻って来た。何か怒っているようだ。
「どうしたんだい? アンジェラ」
「シンか? フロイドか?」
アンジェラがジェームスをぎろりと睨んだ。
「フロイドだったらまだマシよ」
「――シンか?」
「そうよ。――カーターの誕生日を祝いに来たんですって。追っ払うのも面倒だから適当に相手してあげて」
「彼は酔ってるのか?」
「素面よ。――でも油断はしないことね。私はあの男の顔を見たくないから」
そう言ってアンジェラは本当に姿を消した。
「えらく嫌われたもんだな。シンちゃんも」
「無理ないさ。俺だって苦手だもん」
ジェームスとアンディが話していると――
「苦手で悪かったな」
「シン!」
「ふん。これでも人気沸騰中なんだぜ。俺様は」
「そんな話聞いたことないけどな。ジェイク知ってる?」
「知らないな。だが、俺はアンタのこと嫌いじゃないぞ」
ジェームスがシンの肩に手を回す。何せ、彼らはディープキスした仲だ。
「野郎に好かれても嬉しかねぇよ。はい、これ」
シンはジェームスの肩から手を払うと、ラッピングした酒瓶を預けた。
「誕生日プレゼントだ。――カーターへの」
「シン。アンタも結構律儀なんだな……意外と」
「おう。いつも世話になってるからな」
しかし、贈り物が酒というところがシンらしい。
「じゃ、帰るわ」
「朝ごはんは食べて行かないのか?」
「気が削がれた。――また来る」
「いつでもどうぞ~」
ジェームスがシンの後ろ姿に手を振る。彼はシンのことも嫌いではないらしい。というか、右目を撃ったワイエスや殺人鬼のサロニーまで受け入れた彼である。彼に苦手なものは果たしてこの世にあるのだろうか。
カーターはジャネットの腕の中で目を覚ました。
こうあるべき、という心地良さの中で、ジャネットが、
「カーター、起きて。朝よ」
とソプラノの優しい声で自分を呼ぶ。カーターは幸せだった。
ジャネットと迎えた朝。今までで一番、幸せな誕生プレゼントだった。
晴れやかな朝。恋しい人と共にいて。
「やめて、カーター。離して」
ジェネットが笑った。カーターは言った。
「もう少しここにいてくれないか。これが夢じゃないかどうか知りたいんだ」
「夢じゃないわ。あなたも私もここにいる」
そして、ジャネットはカーターにバードキスをした。
「夢じゃなければ――あんまり幸せ過ぎる」
「気持ちはわかるわ。私だってそうだもの」
キスをもう一度。小鳥がチチチ……と鳴いた。
そうだ。あんまり幸せ過ぎる。数年前まで、夢だとしか思えなかったぐらいだ。
カーターの人生は、多難の連続であった。
母親との確執、ジャネットとの破局。
だが、ジャネットは戻ってきた。母には、和解できそうなところで死なれてしまったが。
自分が生まれてきて良かったのかどうかもよくわからなかった。誕生日が近付くと、決まって鬱な気分になっていた。――今までは。
けれど、今はジャネットがいる。
「ジャネット」
「はい?」
「ありがとう」
ジャネットは黙って微笑む。つられてカーターも微笑む。
彼女がラムファード夫人になった時は、い寝がての夜を過ごしたり、酒を飲んだり、ビアトリスに相手をしてもらったりしたものだが――。
彼女が去ってから、初めて自分が情の深い、嫉妬心の強い性格であることを知った。
「愛してるよ、ジャネット」
「私もよ」
今宵の行為で子供ができただろうか。――カーターは漠然とそう思う。避妊もしっかりしたはずであるが、それでも人間のすることに百パーセントはない。
「ジャネット。子供ができたら、君、どうする?」
「――あなたとの子供だもの。大切に育てるわ」
カーターは和やかな気分になった。ジャネットは自分の母とは人種が違う。母はカーターを自分の子であるはずがないと言った。私はジャップではないと言った。
(お母さんの為には、僕は生まれて来ない方が良かったのかもしれない)
子供の頃、カーターはいつもそう思っていた。
父は穏やかな人だった。母の味方だった。けれども、母の狂気を治せなかった。教会も母をもてあました。
――カーターは教会を荒らした。神の子羊を救うと標榜している癖に、自分の家庭を救えなかった教会を。
今だって、神に助けを求めようとは思っていない。だから科学者になった。
ジャネットに出会ったのも、そのおかげだ。ジャネットは看護婦なのだ。
「カーター。誕生日おめでとう」
「――ありがとう」
何故だろう。彼女の言葉なら何の苦さも感じず受け止められる。
「あなたの苦しさ、今だったらわかるような気がするわ。――ごめんなさい」
「いいんだよ。……過ぎたことだ」
ジャネットさえ傍にいればいい。子供がいてもいなくても――それは、いた方が嬉しいが。
自分は子供を愛することができるだろうか。――カーターは自問自答する。
愛する。
ジェームスやジャネット、アンディ達のおかげで、自分も人を愛することができるのだということを知った。
「家に帰るでしょ? カーター。みんな待ってるわよ」
みんなか――今の自分の帰る家。
ジェームス、アンディ、アンジェラ――彼らが待っている家。マイホーム。
そこにジャネットを伴って現われる。みんな喜んでくれるだろう。
何故なら、ジャネットも家族なのだから。
今日だけは、シンもいても構わないとさえ思えた。いないのだったらそれに越したことはないが。
「着替えるよ。待っててくれ」
「はいはい。ジェームスに電話かけるわね」
「朝食はここで食べて行くと伝えておいてくれないか。私は君の手料理が好きだからね」
「うふふ。嬉しいわ」
ジャネットは笑顔で電話に向かった。やがて華やかな笑い声が聴こえてくる。
ガウンを着たカーターは窓辺に立って庭を見る。
妹のジョイからも午後あたり電話が来るだろうとジェームスが教えてくれた。その前には帰っていたいがジャネットと二人きりで過ごす時間も捨て難い。
私は――いつでも帰ることができるのだ。記憶の中のこの幸せな朝に。例え、これからどんな試練が待ち受けていようとも。
やめよう、カーター。よけいなことを考えるのは。それでいつも失敗してきたじゃないか。
愛する人々が自分の誕生を祝ってくれる。それだけでいい。
「誕生日おめでとう! カーター!」――と。
2012.10.27