ジョゼフィーヌ・アノンに捧ぐ
今日、俺はジョゼにプロポーズしてフラれてしまった。恋人同士だったんだが。
きっと……未来が見えるというのはとてもキツイことなのかもしれないな。あんな過去があったんだし。
そんなことに比べれば俺のショックなんざ屁のようなもんだぜ。
「フロイド……ジョゼのことを覚えていられる限り、彼女のそばにいてやれ」
わかってるさ、ジェームス。俺だってジョゼが好きだ。そばにいてやりたいよ。
因みに俺の名前はフロイド・アダムスと言う。
ジョゼ……多分俺の最後の恋人でないことはわかっている。ただ、これだけの恋をすることはもうないだろうな。
俺は結婚に向いてないそうだ。ビアトリスにも言われた。ジョゼもそう思っているんだろうな。幸せな家庭――なんて俺ともジョゼとも無縁のもんだ。
いずれ俺は結婚しなければならないのかもしれねぇけどな。こう見えても俺はいいとこのボンボンなんだ。祖父も何を勘違いしているのか、
「孫が自分の事業に興味を持ってくれた」
なんて喜んでいるし。
でも、俺は祖父に喧嘩を売る方が性に合っている。そういうところは親父にそっくりなんだ。俺は。
ジョゼの話だった。
ジェームス・ブライアンによると、ジョゼはゆっくり死につつあるらしい。
最近、俺はジョゼは若年性認知症かアルツハイマーかと疑っていたんだが。
精神病棟に入れた方がいいかと悩んだが、確かにあの状態では出てこれないだろう――ま、ジョゼ。アンタが一番わかっていることだろうさ。
ジェームスに止められてよかったよ。あいつは何でも知っている。
ジェームス・ブライアン。ヤツは最近結婚した。幸せになってくれればいいと思う。
ジェームスが幸せになったから、俺も……というわけにはどうやらいかんらしい。
それに――多分ジェームスは早死にする。ジョゼはもっと早死にする。
あいつはジェームスに記憶を与えて消滅する。そんな話をどこかで聞いたような気がする。夢の中でだったか――昔の、ジョゼに会う前の俺だったら一笑に付しただろうな。
でも、今はもう摩訶不思議な現象や物事にも慣れた。ジョゼのおかげだ。
ジョゼ……。ジョゼ・ルージュメイアン。本名をジョゼフィーヌ・アノン。
彼女も狂ったヤツらにいいように弄ばれてたんだ。研究の名の元に。
それを思うと俺は腹が立つ。ジョゼの子供の頃に行って救い出したいくらいだ。
でも、そんなことはできないので結婚して幸せにしてやろうと思ったのだ。
けれどそんなこともできない。俺にはできないのだ。あいつを幸せにすることなど。
それに――同情も入っている。俺がジョゼでもプロポーズを断っただろう。同情などごめんだ。
ジョゼにフラレて俺ははっきり言ってほっとしている。やはり俺には結婚生活は似合わない。このままだとすげぇ晩婚になりそうだ。俺はモテないわけじゃねぇが。
俺はジョゼに酷いことばかり言ってきた。
「俺がどんなに女性に縁がなくてもお前と恋人になるのだけはごめんだ」
――というようなことを。もう細かいことは忘れてしまったが。
あの台詞はジョゼにもショックだったに違いない。だから――プロポーズを断られたのも巡り巡った因果の輪ってわけだ。
けれど――俺が同情するのもわかるだろ? ジョゼは研究の名の元に養父や他の男達に弄ばれていた。はっきり言ってしまえばレイプされていたのだ。もう犯人達は殆ど捕らえられたが。
あいつは、そんな目に遭っても人を愛することを忘れなかった。
ジョゼの過去を知った時、動転したよ。普通の人間とは違うと思っていたが、こんな出来事に遭っていたなんて。
それだから、俺は世間知らずのボンボンと言われるんだな。この件に関しては確かに俺はあきめくらだった。もうちょっと早くジョゼの過去を調べるべきだった。そしたら何とかできたかもしれんものを。
――あんなに酷い言葉をぶつけることもなかっただろうけれども。
ジェームスの過去もいい加減ハードなものだったが、俺にはジョゼの方が可哀想に思える。男と女の違いか。あいつは非力な少女だったのだ。いくら千里眼があるとは言えど。養父のアノンが死んだのは天罰だと思う。
それに比べればジェームスの方がタフだ。だから、ジェームスはジョゼに引け目を感じている。
そう、引け目だ。
ジェームスは何も言わないが、ジョゼを大切にしている。――まぁ、あいつは出会った人間皆を大切にしているからな。俺だって大切だろうし。
そして、俺も。
ジョゼ、好きだ。
他には何もいらない。お前が消えるんだったら、消えるまで付き添ってやる。恋人でいてやりたい。その……多少浮気しながらも。
例え結婚できなくても。
もう終わり。あなたとは会わない。俺はそう言われた。
けれど、翌日ジョゼは俺に会ってくれた。ゴルテルゼの引き継ぎがあるからな。このこと知ったらじいちゃんさぞ怒るだろうな。
だって、自分の事業を受け継ごうとした孫が本当はライバルに回ろうとしているんだからな。
それにしてもジョゼには感謝だ。彼女の説明はわかりやすい。俺が頭がいいのもあるが。
けれど――ジョゼは大変だろうな。傍から見てもそう思う。俺の何倍も大変だ。
でも――ジェームスとシンクロしているジョゼに怖いものはない。以前俺が恐れをなした程だ。あの頃は何であんなにジョゼが怖かったのか今では不思議に思うよ。
ジェームスは言った。
「ジョゼを大切にしてやれ」
――と。
言われなくてもわかってるさ。ジェームス。
ジョゼ、あいつはいい女だ。あいつ以上の女に出会ったことはない。ビアトリスもいい女だが既に人妻でしかも当時妊婦だったものな。
そして生まれたビアトリスの娘はプリンセスと言って母親に似た可愛い娘だ。これを認めるのは癪だがビアトリスの夫ハーディもかなりないい男だ。どっかズレてて俺に決闘を申し込んできやがったこともあるが。
そういや、この頃ビアトリスにも会ってねぇな。それどころじゃなかったこともあるが。彼女は要するに他人のものだもんな。
まぁ、紙切れ一枚のことなら俺だって引き下がることはしねぇが、心の結びつきには敵わねぇ。
愛は奪う物。俺にはそういう信念があった。今でも基本的にそれは変わっていない。
でも――子供ができたらどうすんだ?
子供にとって親は全宇宙、いや、神様に匹敵するもんなんだぞ。ジョゼは酷い神様に巡り合ったもんだ。
でも、俺は思う。
もうジョゼに子供はできない。ジョゼは一度妊娠したことはあるが堕胎をしている。彼女には、二度と子供はできない。――これは俺の勘だ。彼女もそう思っていることだろう。
ジョゼと彼女自身の子供という組み合わせは似合わない。俺とジョゼと幸せな子供。有り得ない夢物語だ。ジョゼがどんなに子供が好きでも。どんなに愛情に満ちていても。
その代わりと言っては何だが、ジョゼは周りの母親的ポジションにいる。生まれついての母性のおかげか。
将来、俺がこの文を読んで、
「ジョゼフィーヌ・アノンとは何者か」
ということを少しでも思い出せればいいと思う。ジェームスの妻ジョイも作家なんだからきっとジョゼのことを書いているはず。
ジョゼ……これ以上書くのは辛い。けれど、百行は書こうと思ったからまだ書く。
ジョゼ、お前は今までたくさんの辛い目に遭った。せめて来世では心安らかな世界に出会うことができることを願う。
ジョゼとジェームスは似ている。
ジェームスも或る意味研究対象だった。天才児だったからかな。けれど、アーサー・ネガットが亡くなる日までジェームスは近親相姦で生まれた人間だということを世間は知らなかった。ジェームス自身は薄々気づいていたようだが。
ジョゼもローブ――サウスワースの出先機関の実験対象だった。かなり変態的な行為も行われていたようだが。
畜生、そいつらみんな殺してやりてぇぜ。俺のこの手でな。
でも、ジョゼは何も言わなかった。そんなに俺は信用できなかったって訳か? ――いや、そうではない。俺だってそんな過去があっても人に言わないだろう。ジョゼはジェームスにも何も言わなかった。ジェームスも何も訊かなかった。
――これが俺とジェームスの差なんだろう。
ジェームスは何も言わなくても何でもわかる。人にとって大切なものが何かを知っている。
だからこそ、皆彼を慕う。子供や大人や――ヤツを殺そうとしたワイエスやサロニーまで。
そういえばサロニーの息子はどうなったんだろうな。フロストに可愛がられていると聞いたが、サロニー・Jrは早くジェームスの養子になりたいかもしれないな。
サロニーの息子はあんなに親父にそっくりなのに心根は優しいんだそうだ。ジョゼとも仲良くなるだろう。
ジョゼは全ての人間を愛している。そういうところもジェームスに似ている。ジョゼは俺のお袋的存在でもある。厳しくて――でも本当は優しい。
お袋ってああいうものなのかな、と思わせる。俺はお袋にはほったらかしにされたからな。まぁ、その分じいちゃんに可愛がられたがな。じいちゃんは俺が裏切るなんて知らないはず。
ジェームスもいい加減底が知れないがジョゼもそうだ。俺はあいつのおかげで無重力の恐怖を体験した。
――けれど、それもジョゼ自身が感じた恐怖に比べればちっぽけなものだっただろう。
ジョゼみてぇな大物が何で俺を好きになったのか。俺は訊いたことがある。
「俺のどこが好きなんだ」
と。確か俺はそう訊いたことがある。
ジョゼは最初はかわしていたが、男らしくて勇気があってやさしいところが好き、と言ってくれた。俺にとってはジョゼの方が勇気があると思うがな。俺もそんなジョゼが好きだ。
昔ジョゼに、
「私は堕胎したことがあるわ」
と、告白された時も、そうか、としか思わなかった。
決していいこととは思われないが堕胎する女性の数は増えてきている。――だがジョゼの場合は特別だった。嫌がる彼女を押さえつけ、誰かが子種を流し込んだんだ。
――しかし、ジョゼはそのお腹に宿っていた子供のことも愛している。彼女はその子供の記憶を抱いて生きて行くのだろう。
いや、彼女は死につつある、と書いたばかりではないか。やがて、人々の記憶からもひっそりと消え――。
ジョゼと結婚したいかといえば、今でも答えはイエスだ。同情だけじゃない。それもあるけど、それだけじゃない。多分、これが愛というものだ。
ジェームスとジョゼは愛以上の絆で結ばれている。けれど、ジェームスとジョゼは結婚できない。ジョイがいるからではない。元々そうなっているらしい。
だから、俺はジョゼにプロポーズした。結果は前述の通りだけど。ジョゼは俺が自分のことを忘れると考えてるんじゃないだろうか。でも――俺はお前のことを忘れない。だから、こんな端書きを用意しているのだ。
この文章は未来の俺と、ジョゼフィーヌ・アノンに捧ぐ。
後書き
フロイドもジョゼのことをちゃんと考えているようですね。
去年書いたものなので、ちょっと原作と矛盾しているところもあるかもしれません。気が付いた時は直しておきます。
ジョゼ……死んでも(というか消滅しても?)ジョゼはフロイドに覚えてられているらしいです。
ジョゼの死後もジョゼのことを覚えている数少ない人間の一人……フロイドは辛いかもね。
2018.05.25