二人のお父さん

 僕、エティアス・サロニー・Jrには、二人の父がいる。
 一人は僕の養父、ジェームス・エリー・ブライアン。そしてもう一人は――
 稀代の殺人鬼、エティアス・サロニー。僕の名前は彼から取られた。
 でも、ジェームスとお父さんは融合して一人になったのだから、ここのところは少々ややこしい。
 僕が子供の頃、ジェームスはよく言っていた。
「愛しているよ、エティアス」――と。
 その時、実父のサロニーもジェームスと一緒に言っていたような気がする。
『愛してるよ、エティアス』
 僕は当時、ジェームスと父を重ねて見ていた。
 僕は父の生前、愛していると言ってもらったことがない。けれど、彼はいつも言っていたような気がする。愛しているよ、エティアス、と。
 ただ、父は黙って僕を眺めていただけだった。それが、彼なりの愛し方だったのかもしれない。
 殺人鬼と思えぬような、無限の悲哀と慈しみに満ちた瞳。だから、僕は彼が悪い人間だったとはどうしても思えないのだ。
 ――ホロウィッツさんは僕を怖がっていた。僕も彼には懐かなかった。自分は殺人鬼の息子だ。分は弁えているつもりだった。
 ホロウィッツさんさんの気持ちはよくわかる。僕だって感謝はしている。よく僕を何年も置いてくれたものだ。
 ――尤も、彼は面倒事に巻き込まれるのはごめんだと思っていただけかもしれないが。
 だから、ジェームスが僕を引き取ると言った時、心底からほっとしたに違いない。
 けれど別れの前の夜、僕がさよならを伝えに来た時、ホロウィッツさんは泣いていた。彼もその程度には僕を想っていてくれたんだな、と思った。長い間二人きりで過ごしてきたのだから、互いに愛着は湧いていたのであろう。
 僕も――その後、ベッドに蹲って泣いた。
 でも、僕を救ってくれたのはジェームス、そして、彼を使わしてくれた天の父なる神だ。
 ジェームスは教えてくれた。僕に愛を。彼によって、僕は愛されることの幸福感を知った。
「おまえは――子供だ。人間は、年をとっても一人の子供なのだ」
 人の子、イエス・キリスト。ジェームスはさながら現代のイエスであったのかもしれない。
 彼は人を愛したが、決して見返りを求めなかった。
 父は幸福だったと思う。ジェームスと巡り会えて。彼は――彼こそが最も愛に飢えていたのだから。僕にはホロウィッツさんがいたけれども。
 お父さん――
 僕は、迷うとジェームスだったらどうするか、と考える。彼はいつも愛が指し示す方向を歩んでいた。死の直前までそうだった。――彼は自分の運命を知っていたのだろう。今思えばそんなふしがある。
 僕もジェームスみたいになりたいと――だから、医学の方向に進んだ。殺人鬼の息子が医者だなんて皮肉ではないか。テレビの取材班が飛んできそうな話だ。有名な医師にして探偵のカーターさんの影響もあったかもしれない。
 ジェームスは運命も死も、共に受け入れた。それは厳かだが、恐れるようなものではないことを知っていたからだ。
 僕は――これも皮肉なことにクリスチャンになった。
 ジェームスはクリスチャンではなかったが神とはどういう存在であるか知っていた。
 神は愛なり。
 ジェームス・ブライアンにも正しく愛しかなかった。
 彼はみんなを愛した。誰も彼を独占することはできなかった。あの彼の妻、ジョイでさえ。
 ジェームス……そして僕の父、エティアス。
 彼らは生育史は似ていた。だが、歩んだ道は正反対だった。ジェームスはみんなを生かす道へ。父は人を滅ぼす道へ。
 僕は父を反面教師として見ている――いや、そう考えるには、お父さんがあまりにも可哀想過ぎる。せめて、僕だけは父を愛してやりたい。もうジェームスと一緒にあの世へ行ってしまったとしても。
 どんな極悪人でも、必ず天国へ行ける。ジェームスはそう語っていた。いや、極悪人だからこそ天国へ行けるのかもしれない。
 救われないのは、ぬるま湯に浸かっている僕達みたいな人種かもしれない。
 聖書にもあるではないか。『私はあなたがたにあついかつめたいかであって欲しい』――と。
 大善人になるのは、極悪人か、または極悪人になる素質や可能性のある者である――そんな話を聞いたことがある。
 まさしく、僕の二人の父親ではないか。対照的な二人だが、根っこは同じだったろう。
 僕の父は――誰かに止めて欲しかったののだろう。自分のうちにある暗い飢えを。確かに、そんな父を止めることができたのはジェームス・ブライアンしかいなかったに違いない。僕でさえ、生きている間の父を止められたかどうかわからない。
 だから――いつも祈っていた。ジェームスが父を止めてくれたことに感謝もしていた。だから僕は神を信じ、クリスチャンになったのかもしれない。
 被害者にとっては父は一人の人間ではなく、悪鬼だったかもしれない。僕は救われない魂の為に毎日祈る。祈ることしかできないが、祈りの力は信じている。
 祈り――それは呪いの同義語であったにしても。
 いい祈りというのがどういうのか未だにわからないけれど、僕は一生をかけて追及する気だ。それが父に殺された者の為にできる償いだと、信じている。
 ジェームスからは『信頼』ということも学んだ。愛と信頼。特に愛があれば、人はどんな辛い目に遭っても生きていける。
 信仰、希望、そして愛。
 最後に残るのは愛である。
 コリント第一十三章は、『愛の章』と呼ばれている。これを書いたパウロはキリスト教を迫害していたが、イエスに会って本当の愛を知った。――のだろう。僕にはそこまでの境地はわからない。
 僕は――僕にも殺人鬼の血が流れている。僕はカインの息子だ。
 けれど――妙なことに、この頃殺人鬼であった父に守られているような、そんな気持ちを味わうことがある。
 それは錯覚ではない。確かに守られている。
 ジェームス・ブライアンとエティアス・サロニー。僕の守護神だ。
 時々、彼らが導いてくれるのがわかる時がある。
 死は終わりではない。
 何かが終われば、その次に誕生がきっと待っているのだ。
 だから今の僕は生きているのが楽しい。生きているのは喜びだ。
 どうやって伝えたらいいのだろう、この気持ちを!
 僕は――まず聖書を読んで、それから祈りに入る。その後朝食をしたためて病院に通う。
 ジョイもカーターさんもジャネットさんも、快く挨拶をしてくれる。ジョイは作家であるせいかちょっと変わった人だけれど、カーターさんもエキセントリックなところがあるので、血だと思っている。
 僕と父の間にも似たようなところがあったであろう。――僕の父はもうとっくに鬼籍に入ってしまったのでよくはわからないが。
 サロニーは大悪党なんだ。みんながそう言った。僕も子供の頃よく言われていた。今でも言われている。
 だが、気にしていない。僕の父の人生は終わったのだ。後からやいのやいの評すことは誰だってできる。そして、ジェームス・ブライアンは決してそれはしなかった。
「俺とサロニーはそんなに差のある人間じゃない。俺はサロニーでもある」
 ジェームスの言葉だ。僕は彼の言葉にはいつも力づけられてきた。
 僕は、おずおずと――
「ジェームス……あなたをお父さんと呼んでもいいですか?」
 と頼んだことがある。まだ僕が子供だった頃。そんな思い出がどうしてひょっこり頭に浮かんで来たのかわからないが。
 すると、ジェームスは――
 何も言わず僕を抱きあげてくれた。
 僕は、
「お父さん! お父さん!」
 と首に縋りながら大声で泣いた。僕のお父さんはこの人しかいない。そんなことも考えたものだ。――実父を父と認められるようになったのはそれからずっと後のことだ。
 父、サロニーもこんな風に父親に――ということは僕の祖父に当たる人――にこうやって甘えたかったに違いない。
 僕の父の生まれた家も複雑で自分達の『清らかな』血筋をこよなく大切にした。
 血が濃過ぎて障害児や奇形児が生まれることもある。その子供は密かに処分された。
 父は生き物を殺すことを何とも思っていなかったらしい。ただ、妹は可愛がっていたようだった。だが、その妹も父は殺した。
 父は間違っていたのだろうか。
 わからない。こればかりはどんなに年を経ようとも。おまえは父親の償いの為に生きているのではない。そうジェームスは諭してくれたが。
 だが、僕はどうしてもこの世に生まれてきたことを済まないと思うことをやめることができなかった。
 だから――クリスチャンになったのかもしれない。人は原罪を抱えて生まれて来た。その考えにはものすごく共鳴できた。
 何故なら――他の人は知らず、僕も父も原罪を抱えて生まれてきたからだ。
 ジェームスだって……僕が彼とジョゼに原罪のことを訊いたところ、
「俺達も暗い淵からそれを持って生まれて来た」
 と答えた。
 だが、それは人間らしく生きる為に必要なものだ。愛というものを現す為に、愛でないものを持ち合わせて生まれてきたのだと。
 その頃の僕はそれがわからなかった。今でも完全にわかったとは言えない。
 だが、生まれて来たことそれ自体が祝福なのだとジェームスはいつも体現していた。
 誕生は祭りであり、死は眠りである。
 サロニーは今、ジェームスと共にいるだろうか。それならば、父も少しは浮かばれるかもしれない。本当は僕の役目だと思っていたのだが。
「エティアス、おまえは本当に優しい子だね。しかも賢いし」
 ジェームスの葬式の時、カーターさんが慰めてくれた。カーターさんも子供の僕をよく褒めてくれた。ジェームスの死後、彼は僕の導き手となった。カーターさんは僕の勉強をよく見てくれた。
 そんな僕がクリスチャンになった時、カーターさんは手放しで喜べないなと困った顔で述べた。どうやら、教会やキリスト教というものにトラウマがあるらしい。
 カーターさんの母が日本人アレルギーでカーターさんは両親に愛されることなく育った。カーターさんは日系三世だ。――ということは祖父に日本人がいるということである。だから、カーターの母親も日本人の血を引いているわけだ。
 人は自分の中に敵を見いだしている。
 はっきり言って本人の問題なのだが、カーターさんの母は全く自分を省みようとせず、教会や夫にばかり頼ったりしていた。カーターさんの母は虐待まがいのこともしていたらしいが、愛そうと努力していたのだ。しかし、彼女もある事故が元で逝ってしまった。僕は冥福を祈ることしかできないのだと思う。
 カーターさんの前半生はどうだったのか詳しくはわからないが、ジェームスに出会ってからのカーターさんは幸せだったと訊く。ジョイもジャネットもそう評している。
「おはようございます。サロニー先生」
 年かさの看護婦がにこっと笑って挨拶してくれた。僕の出生を知って、なおかつ普通通りに接してくれる優しい人だ。優しい人、というのは女の人に多いと思う。ジェームスもそう考えていたようだから、僕と彼とは本当に気が合うものだと自分達のことながら感心する。或いは感動と表現した方がいいだろうか。
 僕はエティアス・サロニー・Jrとして生きて行く。改名はするつもりもないし、したところで外見でわかる人もいるだろう。それにやはり僕にとっては父の存在も誇りなのだ。そして、僕を生んでくれた母も。
 父のやったことは許すべからざることだし、やはり償いは必要だという思いは拭えないけれど。
 ジェームスとエティアス。この二人は立派な僕のお父さんだ。

後書き
本当はサロニー父の誕生日(10月26日)に発表したかったのです。
2013.10.29

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