エティアスは見た

「ジョイ義母さん」
 エティアスは改まった時、私をこう呼ぶ。私だってエティアスと同じくらいの年齢なのに。
 こう呼ばれるとぐっと老けこむように思えるからやめて欲しい。だが、死んだジェームスがエティアスの義理の父だから、その妻の私は義母、ということなる。
「なぁに? エティアス」
 私はいつもより筆が走って走ってたまらないのだ。と言っても、今はPCだけど。
 人間て一旦便利なこと覚えるとそれから離れられないのよね。――閑話休題。
 つまらない理由で私の執筆活動邪魔するつもりなら――殴るわよ、エティアスでも。
 ――うそうそ、冗談。エティアスが話を書いている途中の私に話しかけるのはよっぽどのことだ。
「僕、ビダ―を見たよ」
 ふぅん、その手の話題か。
 私はビダ―のことについてはたくさんのガセネタを頂いている。
 ビダ―・ヴォイド・ネガットはジェームスとの間に生まれた一人娘で、小さい頃誘拐されて行方不明になっている。
 それから十数年――彼女は今も行方知れずのままになっている。生きているのか死んでいるのかさえわからない。
 私達家族の悲しみは大きかった。
 わけてもエティアスだ。まだ若かった――今も私より若いけど――彼はショックを受けたらしく、しばらくでたらめなことばかりしていた。
 一度など患者を死に追いやりそうになった――薬剤師さんが間違いを指摘してくれて助かったけど。
 でも、今は一応立ち直っている。そして、ビダ―が生きているのを信じているようなのだ。
 それはありがたいけど――。
「ビダ―を見たって?」
 私はキーボードを走る指を止めずにこう訊いた。
 ビダ―は個性的な外見をしている。――彼女は白い。真白である。アルビノなのだ。
 でも、エティアスも兄さんも、もちろん私も可愛がっていた。みんな、ビダ―を見て心が和んでいるようだった。
 ああ、ビダ―……。
 当初は胸が張り裂けそうだったが、今ではもう半分諦めている。あんなに目立つ外見をしているのだ。成長していたって、見分けられる自信がある。
 それがずっと見当たらないということは――もう死んでいるのかもしれない。
 もちろん、エティアスには言わないし言えない。彼は恋をしているのだ。ビダー・ヴォイド・ネガットという幻想に。
「どこで見たの?」
 と一応私はおざなりに尋ねる。真剣に聞いていないのは明らかであったろうが、エティアスは一拍置いて答えた。
「ニューヨークだよ」
 ああ、この子、ついにおかしくなってしまったのだわ――私は思った。
 ニューヨークなんて、人間がたくさんいるところに私の娘がいたら、目立って仕様がないじゃない。
 きっと彼女を未だに追っているエティアスが見た幻影なんだわ。
 エティアスはニューヨークの学会に行っていたのだ。
 彼は父親と違う道を歩み、小児科医になった。尤も、父親と同じ道を行かれても困るけど――彼の父親は元CIAの殺し屋だったのだ。
 ジェームスや兄さんの影響で人を愛することを覚えたエティアスだが、よく見てみるとどこか変だ。
 変人の私にはぴったりかもしれないけど……。
 子供達の評判は上々で、優しいお兄さんで通っているらしい。あの顔で――。
 美形なんだけど何となく禍々しさを感じてしまうそのエティアスの容貌は、第一印象では「怖い」という思いを抱かせてしまうらしい。
 そんなの彼は先刻承知で優しく接していくから――子供達はすぐにエティアスに懐く。
 ルイ(子供の患者)などは、
「将来はエティアスのお嫁さんになるんだ」
 などと言っている。
 子供には彼の父親のことなど関係ない。それに、今の実の父はジェームス・ブライアンだ、とエティアス自身も思っているようなのだ。
 確かに、彼の父親、エティアス・サロニーと私の夫ジェームス・ブライアンはかけ合わさっているのだ。サロニ―とジェームスはひとつの人間になったのだと聞く。
 人生の辛酸舐めてなきゃ、そしてジェームスと結婚していなかったら私だってそんなこと信じやしない。
 けれど――ジェームスの周りではとかく奇跡がよく起こる。
 彼は、
「不思議などどこにでも転がっている」
 と平然としていたが、それでもうちはどこか変だった。
 しかし、その変さが懐かしい。私も小さな奇跡に会うことはあるが、ジェームスと恋に落ちたことは最大の奇跡だった。
 エティアスと出会ったことも嬉しい出来事だった。
 私はエティアスが好きだし、エティアスも私が好きだ。
 でも、エティアスはビダ―のことを多分私よりももっと好きだ。母親以上の愛情を持っている。エティアスは元々優しい青年なのだが。
「追いかけようと思ったら見失った」
 エティアスがぽつりと言った。
「僕は仕事なんか放り出してもいいと思ったけど――そんなこといけないよね。でも、今では何でそうしなかったか後悔してる」
「確証もないんでしょ。追いかけなくて正解よ」
「そうだね……でも、真っ白な女の子だった。とても――美人だったよ。義母さんと義父さんの娘だけのことはあるな」
 私は笑い出した。
「ちょっと……やめてよね、そういうジョークは。私、今仕事してるのよ」
「でも、本当のことだから」
 この青年には、嘘とか社交辞令がない。全くないとは言わないけど、少ない。手八丁口八丁の私の兄とは大違いだ。
 エティアスは私の兄のカーター・オ―ガスの影響で医者になったと聞くけれど――。
 私は断言する。医療ミスさえしなければ(したことないけど)エティアスの方が断然いい医者である、と。
 でも、カーターはジェームスの命を救ったのだ。心臓の外科医だったのがそこで役に立った。兄でも人様のお役に立てることがあるのだ。
 兄のおかげで、私はジェームスと出会うことができた。それに、兄のことは嫌いではない。昔の兄は髪は長くして顔は女の子のようで、だからジェームスに何度も口説かれたと自慢げに話していたことがあるが――。
 いや、自慢でもないのかもしれないが、私にはそう聞こえた。
 全く――ジェームスは兄と結婚したかったんじゃないだろうか。本当は。兄が女だったら確実にジェームス取られていたわね。
 ジェームスは女好きで同性愛の気はない。いや、精神的にはアンディや兄のカーターと同性愛に陥っていたのではあるが、すくなくとも肉体的には、ない。
 ジェームスは結局、人間というものが好きなのだ。あんなに酷い殺され方をしたというのに。でも、彼自身覚悟はしていたのだろう。彼は生涯人間に対する愛を捨てなかった。天国へ行った今でもそうだろう。
 あんな生い立ちで、実の父アーサーにも殺されかけたというのに、ジェームスは人間を愛し続けた。
 だが、彼も一時期グレていた、というかヒネていたことがあって、ずいぶんひどいことも言ったりやったりしたらしい。
 ――けれどそれは間違いだったと言うことに気付いた。
 飲めない酒を飲みながら、ジェームスはぽつりと言っていた。
 彼の人生は始まったところで終わっていたのだろう。
 しかし、他の人の人生だって、同じようなものであろう。
 時間は素早く過ぎ去って行く。私達の様々な想いを抱き取って。
 だから――手遅れにならないうちに、もしビダ―が生きていたら、早くエティアスと出会えるといいと思う。
 私もカーターも、エティアスとビダ―の仲なら歓迎する。彼がどんなに私の娘を思っているかはわかっていたから。
「はい」
 いつの間にか、サンドイッチが目の前に差し出された。私は手を止めた。
「食べなきゃ体に悪いですよ」
「ありがと」
「少し休憩しないと」
「わかってるわ」
 ビダ―……会いたいのはおまえ。
 エティアスは本当に優しい。私の健康面まで気遣ってくれる。しかも料理がとても上手なのだ。
 サンドイッチを咥えながら片手で打つ。エティアスは苦笑した。
「そんなにのっているんですか?」
「今のところね」
「ビダ―のことだけど……」
「ビダ―は二十年探しても見つからなかったのよ。今更見つかるはずはないわ。私には物を書いて行くしか未来がないのよ」
 私はジェームス・ブライアンの専属作家、ということに一応はなっている。
 エティアスがニューヨークで見かけたのがビダ―だったらと今、切実に思った。
 いつか、ジェームスがあの世から二人を会わせてくれないかしら?
 私も作家のはしくれ――そんな奇跡が起こることも本気で信じている。
 エティアスは見た。私の娘のビダ―を。
 それはファンタジーか現実か……現実であって欲しい。
 不思議なことはどこにでもある。救われるはずのない命が救われることだってある。生まれるはずのない命が産まれてくることだってある。
 ジェームスは強運の持ち主であった。それが娘にも遺伝していますように、と願わずにはいられない。親はいつだって子供の幸せを祈っている。ジェームスの父アーサーですらそうだったように。

後書き
ビダ―とエティアス、いつか会えるといいね! もちろん、母親のジョイとも。
エティアスはビダ―に恋をしているという設定は勝手に作りました。
2012.12.22

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