ビアトリスの子

「ビアトリス」
 夫のハーディが呼びかける。
「お腹、大きくなったねぇ。パパでちゅよー」
 私はそれを見てくすっと笑う。
『パパでちゅよー』だなんて、彼の取引先の相手が見たらどう思うかしら。
 ハーディもお父さんだもんねぇ。
 彼から聞いたけど、ハーディ、フロイドに決闘申し込んだことあるみたい。
 まぁ、私がフロイドふった後だったけど。
 私が家に帰って来た時のハーディの喜びようったら。しかも、私の妊娠のおまけつきですものね。
 どんな子が生まれるかしら。
 男の子だったら、ジェームスのようになって欲しいわ。
 女の子だったら……そうねぇ、ハーディの優しさと、私の美しさを兼ね備えた子になって欲しいわ。
 臆面もなく自分のことを美しいなんて言うなって?
 あら。ビアトリス・フォレストと言ったら、この界隈では知らない人のいないくらいの美女なのよ。
 でもねぇ、前はハーディのお仕事が忙しかったから、私は空虚さを埋める為に数々の殿方と浮名を流したわ。
 それを変えたのが、アンドルー・グラスゴー。アンディだったの。
 私は誰とでも寝る女。当時はそうだったの。
 でも、あの坊やに泣かれちゃってねぇ……。
 私のしていたことは何だったのかって、思っちゃったわ。
 その前は、彼の親戚のカーターとも寝た私。でも、今ではいいお友達よ。
 カーターの恋人はジャネットと言って、すっごくいい人。でも、年齢不詳なのよねぇ……。
 ま、いいわ。私はいろんな人々と関わり合って、こうして静かに幸せに暮らしているもの。
 ハーディは今から子煩悩よ。「君との子供なら、綺麗ないい子に決まってる!」――なんて言うの。
 そうね。ハーディに似ても私に似ても、器量よしなのは間違いないわ。
 ジェームスみたいな子が生まれるといいわ。ジェームスは私にとっては息子みたいなものだもの。
 こんなこと言うなんて、母性本能に目覚めたのね、きっと。
 寝ている時のジェームスは可愛いもの。起きている時は逞しい二メートル近い男性だけど。
 あらっ? 赤ちゃんが私のお腹を蹴ったわ。
「ハーディ。蹴ったわよ。触ってみる?」
「ああ」
 また蹴った。
「本当だ。蹴ったね」
「でしょう?」
 私が望んだ平穏な暮らし。
 絶対に望めそうにないと思っていた暮らし。
 フロイドには悪いけれど……彼と生活していたら、きっと不幸になっていたわ。あの人が悪いのではないのだけれど。
 でも、今は恋人とよろしくやっているみたいだから。
 結果オーライね。
「名前を考えたんだ。聞いてくれ」
「あら。その必要はないわよ」
「何でだい?」
「だって、ジェームスに名付け親になってもらうもの」
「ああ。あの青年かい。ちょっと怖いけど、気のいい人だよね。うん。僕も賛成だよ」
 ハーディはあっさり承諾した。
 あらら。少しは反対してくれないと張り合いがないじゃない。私がそう言うと、
「ああ。でも、君や僕の恩人じゃないか」
 と、笑顔でのたまうの。ジェームスにはそういう人を惹きつけるところがあったわ。男であれ、女であれ。
 この頃、オ―ガス家から足が遠のいてるけど、フロイドとは顔を合わせたくないから――。
 やっぱり、今でも好きだから――。
 ただ、彼は特別な人生を歩むべきで、それは私の人生とは交わらない。
 あの人が泣いたのは――ショックだったわ。
 ジェームスには会いたいけど――これも仕方がないわね。
 生まれた時には、ジェームスやカーター、アンディに見せるから。
 そうねぇ……アンジェラにも見せてあげてもいいわ。彼女、私を何だと思ってるのかしら――と腹が立つこともあるけれど。
 あの毒舌は生まれつきね。治そうたって治るもんじゃないわ。
 それに、グレッグは、
「とっつきにくいけど、ほんとはいい娘なのよ」
 と言ってるし。
 それにね――アンジェラはきゃんきゃん吠えるくせに、可愛いのよ。優しいし。
 でも、私はいい女を見ると意地悪したくなるくせがあるの。
 シド・キャロル。あの先生だって、野暮ったい眼鏡をかけてたけど、素顔はどうしてどうして。大した美女よ。
 昔は何かあるとすぐおろおろしてたくせに、今はバリバリのキャリアウーマンになって、あっちの方もお盛んなようよ。
 ジェームスの影響力ってすごいわね。
 ああ、でも、私は今は胎教に努めなくてはね。
 クラシック――特にモーツァルトを聴かせているし。
 ハーディなんて、おもちゃどっさり買ってるのよ。もう二、三人子供生んでもいいくらい。
 やっぱり――アンディとジェームスのおかげでもあるわね。
 カーターはふがいないわ。少なくとも、私みたいな不良マダムを立ち直らせるにはね。
 そりゃ、愛の技術は認めるけどね。
 そうそう、アンディ。今、あの子はプレイボーイになっているんですって。
 惜しいわ。あんなに純情だったのに。やっぱり環境が悪いのよ。
 私が引き取って喝を入れてやろうかしら。あなたにはオクヨルンがいるでしょうって。
 今の私には、赤ちゃんを産んで育てるという大仕事が残ってるけど。
 実際不思議なものよ。子供ができると、女は強くなれるの。
 この子がいなかったら、私はフロイドと結ばれていたかもしれない。あの頃はまだ私、ふらふらしてたもの。
 ハーディは……フロイドと違って理想的な父親になれる素質を持った男よ。それに、私とは友達だしね。
 けれど――フロイドみたいな情熱家にはもう二度とお目にかかれないわね。残念だけど。
 私は……意外と母親業が向いているのかもしれない。だから、彼と別れた。
 私には不幸の匂いがしないって、彼は言ったわ。そういう女に縁がないとも。
 あまりにも情熱的過ぎるのね、彼は。家庭に収まりきれない人よ。
 ハーディは……私達を大事にしてくれるわ。一家の太陽として。
 それに、やはり惚れた同士ですもの。
「ハーディ……」
「どうしたい?」
「あなたと結婚して幸せだわ」
「僕も幸せだ――こう言われたよ。君みたいな美女を妻にできる幸運な男は滅多にいないってさ」
「私が年とっても愛してくれる?」
「勿論だとも」
 そして、私達は唇を重ね合わせた。
「子供が生まれる前でよかったわ」
「どうして?」
「こんなところ……見られたら恥ずかしいもの」
「ははは。じゃあ、子供が生まれたら、見えないところで愛し合おう」
「ハーディったら……」
 でも、悪い気はしなかった。私とハーディは、今度はフレンチキスをした。リップ音を立てて。

 自然の流れでその後、元気な赤ちゃんが生まれた。女の子だった。
「ジェームス! この子の名付け親になってくれる?」
「ああ、そうだな――プリンセスというのはどうだ?」
 プリンセス――素敵な名前。やっぱりジェームスに相談してよかったわ。ありがとう。ジェームス。

後書き
プリンセス・フォレスト、素敵な名前だと思いますがいかがでしょう。フロイドはダサいと言ってましたが(笑)。
2012.5.20

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