アイリーン・シェパードの結婚

 こんな日が来るなんて思いもよらなかった。
 このあたしが――公衆の面前でプロポーズされるなんて。
 相手の名はケリー・ロジャース。背が高くて、顔はどうだか知らないけど、優しくて愉快な人。
 しかも、あたしなんかに真剣に恋してくれている。
 あたしも彼が初恋だった。
 だって、あたしは恋愛なんかに縁がなかったもの。
 そう――
 それも、みんなあたしがチビでブスだったからよ!
 性格が歪んだっておかしくない状況じゃない? 女だったらわかると思うけど。
 あたしの趣味は専ら経済学だったわ。それをジェームスは見事ひっくり返してくれたけど。
 ジェームスは、あたしをブスだと馬鹿にしない希少な男だったわ。まぁ、面食いなんだけど。それに、あたしはケリーの方が好き。
 だって、未来の旦那様よ。好きでない方が問題だわ。
 あたしはケリーの態度に戸惑い……恋愛の本を何冊も読んだ。けれど、ちっともわからない。
 シド・キャロル先生の言葉で目が覚めた。
「本や恋愛小説に書いてあることなんか――そんなもの愛じゃないわ」
 本に書いてあることなんか、愛じゃない――。
 愛はそれぞれ人によって違うものだと、彼女は教えてくれた。愛は千差万別。
 ケリーがあたしを見放したら……あたしは気が狂って自殺するわね。だって初めてよ。恋されたの。それに――あたしもケリーに好意を感じていたし。
 だけど――その時は頭の中ぐちゃぐちゃになって……ケリーはあたしにぴったりだと思う。何となく、惹かれあうのがわかるの。
 ああ、愛ってこういうものなのかしら。
 ……って、よくわからないのにわかったように言うのはよすわ。取り敢えず、知っているのは、あたしとケリーは両想いってことだけ。
 あたしが頭でっかちのブスでも……ケリーはプロポーズしてくれた。
 ケリー・ロジャース……。
 あたしが結婚したらアイリーン・ロジャースになるのかしら。けれど、シェパードの姓は捨てたくない。
 家族だけだったもの。今まで愛してくれたのは。
 でも、ケリーは……おかしな人ね、こんなあたしを好きになるなんて。未だに謎だわ。
 あたし、あの人のことが、すごく――すごく好き。
 だから、裏切られたならショックは倍増しかねないと思ったの。
 ああ、やっぱり夢だったんだ。ケリーにもあたし、捨てられたんだって、思いたくないの。
 ――ケリーはそんな人じゃないのはよくわかってる。あたしにニセのラブレターを送った意地悪な小学生男子とは人間の性質が違うもの。
 ケリーは……あの人はあの人で一生懸命なのよ。それが滑稽に思えることもあるけど、クールぶってるヤツよりあたしは好き。
 クールぶってる……そう、以前のあたしみたいに。
 結婚の話をしたらアンジェラがぽんと肩を叩いてくれた。
「結婚式には呼んでね。必ず行くから」
 アンジェラとは話の合うところもある。仲がいい部類に入るかもしれない。友達かどうかはよくわからないけど。
 彼女は絶対に結婚式に呼ぼう。キャロル先生はレーベンサールへ行くから、参加してもらえるかどうかわからないけれど。キャロル先生も忙しいのよね。
 キャロル先生――もうあたし達の先生じゃないから、シドって呼んでもいいんだけど――昔の癖ね。

 あたしの結婚が決まった時、クラスメイト達の間にちょっとした騒動が巻き起こった。
「えー! アイリーンが結婚?! 嘘でしょ?!」
「旦那になる人は大変ねー」
「アイリーンなんて絶対売れ残ると思ったのに、あたし達の中で一番早く結婚するなんて!」
 の大合唱。
「うん……あたしも……そう思う……」
 そんな風にあたしが言ったら、彼女達も毒気を抜かれたらしく、
「何か……拍子抜けね」
「でも、アイリーン可愛くなった」
「これも恋人ができたおかげかしら」
 ……あたしもそう思う。ケリーのおかげで、わかったことが増えたから。
「がんばってね! あたしもがんばるから!」
「あたしはジェームスと結婚したいなー。でも、彼は高嶺の花だし」
「子供ができたら見せに来てね」
 あたしは――彼女達とも仲良くなれそうな気がしてきた。

 結婚式、楽しみだわ。あたしもこんなひねくれた性格になる前は可愛いお嫁さんを夢見ていたから。
 まさか、ウェディングドレスを着る日が来るとは思わなかった。あたしはチビだから、サイズに合うのはあるかしら。――杞憂ね。
 ケリーの身長も規格外だし……あたし達って本当に、凸凹コンビだわ。
 でも、その方があたし達らしいかもしれない。人はないものねだりするって言うから、ケリーがチビのあたしを選んだのはそれもあるに違いない。……と言ったら、ケリーに失礼ね。
 友達もできたし、夫もできる。こうトントンと上手く事が運ぶとは思わなかった。
 けれど、人生塞翁が馬。何があってもケリーに付き合う覚悟でないと。
 あたしだって、本ばっかり読んでるけど、料理や掃除ができないわけじゃないわ。というか、ああいう単純作業は結構好きなの。
 ただ、あたしは大学行っていたから、本を読む、というのは人付き合いをシャットダウンする都合のいい言い訳になっただけ。
 でも、あたしは一旦大学を辞める。
 だって、他にしたいことができたから。
 ケリーの身の回りの世話をして(尤も、彼の方が器用そうだけど)、子供ができたら子供の世話をして――。
 何て遠い――と思ってたことだろう。愛する人がいて、子供がいて――。相手のいないあたしには遠い異国の出来事だとばかり思ってたの。
「何考えてんだい、ハニー」
 ケリーが訊いてきた。あたし達、今は二人っきりでブランコをこいでいる。
「あたし、大学辞めようかな、と思うの」
「ええっ?!」
 ケリーは頓狂な声を出した。
「だって、家事に専念したいし……」
「いいんだよ。僕に遠慮しなくたって。あ、アイリーン。君が大学が嫌なら辞めてもいいんだけど……」
「大学は……嫌じゃないわ」
「だったら――」
 あたし達、そのまま、無言。きぃきぃというブランコの音だけが聴こえる。古びたブランコからは鉄さびの匂いがする。
 あたし、勉強は好き。今度は経済学だけでなく、エコロジーのことも勉強したいと思っている。
 沈黙を破ったのはケリーの方からだった。
「アイリーン、君は勉強すべきだと思うよ。好きなんだろう? 勉強が」
「う……うん」
「僕も勉強は好きだよ。二人で一緒に勉強しよう。僕も君の通っている大学に行くことにして」
「でも――あたしは経済学を主に勉強してきたから……」
「僕も新しい経済学を取り入れたいと思ってるんだ」
 ケリーは頭もいい。でなければ、会議で司会を務めることなんてできはしない。
「地球の未来は僕達にもかかっているんだよ。みんなが幸せに住める地球を守っていくことが、僕達の課題なんだ。ほら、もう二十年も経たないうちに二十一世紀になるんだし。子孫には、ここで暮らせて満足と言われる世界を――創りたいよね」
 ケリーはエコロジストだ。ちゃんと地球の未来を見据えている。
 例え不可能に近くとも――。
 彼は地球の為に少しでも何か役に立つことはないかと探し続けるだろう。
 そんな彼が好きなので、あたしも頷いた。あたし達はブランコを止めて見つめ合う。ケリーは言った。
「アイリーン・シェパード。君に会えて良かった」

 ウェディングドレスを着た鏡の中のあたしは、普段の数倍綺麗に見えた。真っ白なセンスのいいドレス。実はどんなに憧れの目で見ていたことか。
 すごい! 化粧と着付けでこんなに変わるのね!
「とてもよくお似合いですよ」
 と、手伝ってくれた女の人も言ってくれた。ま、リップサービスかもしれないけど(こういうところがひねくれてるのよね。あたし)。
 キャロル先生にも来て欲しかったけど、忙しいからと断られた。代わりに手紙が届いた。後で読むことにする。
「アイリーン!」
 アンジェラは約束通り来てくれた。
「素敵よ。アイリーン」
「ありがとう。アンジェラ」
 そしてケリーは、
「こんな美しいお嫁さんをもらえるなんて……ぼかぁ三国一の幸せ者だ!」
 と涙を流して喜んでくれた。美しいなんて言われ慣れてないけど……。
 あたしは、幸せだった。これからもっともっと幸せになる。そんな予感がする。ケリーとなら。

後書き
ジューン・ブライドですね。おめでとう。アイリーン。
高校生の頃はアイリーンにもシンパシーを感じました。
拙作『かつてのスターに花束を』にもアイリーンというキャラが出て来ます。
2014.6.4

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