ルビーの恋

「ルビーが何も食べないと?」
 ブラック・ワイルドが、秀麗な眉を顰めた。
「ええ。ブラック・ワイルド様とご帰還になってから、何も召しあがらないのです」
 メイド頭が困ったような顔で言った。
「ふーむ……まぁ、精霊だから、飢え死にするようなことはあるまいが……」
「どうしたらよいでしょう」
「――今日の朝食は私が持っていく。そして、ルビーの真意を聞き出す」
 そうして――
 パンと蜂蜜、それに鶏肉の足の入ったバスケットを携えたブラック・ワイルドが、ルビー・ブラックの部屋の前まで来た。その姿は、どこか微笑を誘わないものでもない。
(まぁ、心当たりはあるのだがな――)
「ルビーや。ルビーや」
 そう言って、トントンとノックする。
「開けないなら、勝手に入るが?」
「――来ないでください」
 ルビーの声は、精彩を欠いていた。
「どうして来てはいけないのかね? 私はお前の夫だぞ」
「いいえ……」
 ルビーは、弱々しく答えた。
「あなたは私の夫ではありません」
「――そんなに、あの男に惚れたのかね?」
「ええ。私の夫はヒューゴ、ただ一人です」
「それはわかるが、彼は死んだんだぞ」
「わかっております。だから、私は、あの方が生まれ変わるまで待つつもりです」
「おまえのことなぞ、忘れているかもしれないぞ」
「いいえ――いいえ!」
 ルビーは悲鳴のような声を出した。
「とりあえず開けてくれ」
「何もしないと誓ってくだされば」
「誓う、誓うよ」
 そう言いながら、ブラック・ワイルドは、(この子猫ちゃんは、変なところで意地っ張りだったな――)と、考えていた。
 ルビー・ブラックは扉を開けた。
 黒い肩までの髪に、白い肌。豪奢な服には目もくれず、簡素な服を身に纏っている。
 ルビーは美しい。
 最初の夫からもらった美しさである。
 それに若い。
 三番目の夫からもらった若さである。
 二番目の夫からも、健康さをもらったのであるが――今は少し元気がない。
 誰も、最後の夫、ヒューゴには敵わなかったのだ。
 恋の病というやつか――ブラック・ワイルドは、深々と溜息を吐いた。
「ほら。ご飯だ」
「――欲しくありません」
「まぁまぁ。我が家のメイド達が用意してくれたものだ。旨いぞ」
「私は物など食べなくても生きていけます」
「まぁまぁ。少なくとも力の源にはなる。今のお前の顔を見ろ。生まれ変わったヒューゴだって、幽霊だと思って逃げ出すぞ」
「あの方は、人を見た目で判断しません」
「――そうだろうな。悪かった。じゃあ、お前のことを心配している私の為に食べてくれ」
「――はい」
 ルビーは、ブラック・ワイルドの持ってきた食事を、機械的に口に運ぶ。
 ブラック・ワイルドは、口元に笑みを浮かべながら、その様子を眺めている。
「――どうかなさいましたか?」
「やっと食べてくれたんで、嬉しいのだよ。どうだ? 旨いか?」
「美味しいです」
 ルビーは、パンを齧った。
「だからと言って、あなたのお妃になるつもりはありませんが」
「いいんだ」
 ブラック・ワイルドは微笑みを崩さない。
「ヒューゴはいい男だからな。惚れるのも無理はない」
「そうでしょう?」
 ルビーは誇らしげに言い、顔を赤らめた。
「だが、いくらいい男と言っても、所詮人間。結ばれる時間には限りがあるのだぞ」
「それでも構いません」
「いつ生まれ変わるともしれないのだぞ」
「結構です」
「――お前も、報われぬ恋をしたな」
「ワイルド・ブラック様ほどではありません」
「俺が?! 俺が誰に恋をしたと? お前の他に?」
「既に複数の妻をお持ちでしょう。それに」
「それに?」
 ルビー・ブラックは、顔を上げた。
「あなたは、ホワイト・ワイルド様を愛していらっしゃるではないですか」
「うーむ。子猫ちゃん。だいぶ勘が鋭くなってきたな」
 ブラック・ワイルドは、長い人差し指の爪で顎を掻いた。
「確かにあいつのことも愛してるとも。しかし、あいつは男だ。それにおっかない。火遊びの対象としては、まず向いてない。女だったら妻にしたいと焦がれただろうがな。だから――あいつが男で良かったよ」
「惚気ているとしか思えませんが」
「お前がヒューゴのことを惚気るようにな」
「まぁっ!」
 ルビー・ブラックがパンを落とした。それをブラック・ワイルドが拾って食べた。
「子猫ちゃん。大事なことを忘れてる。まだまだだな」
「な――なんですか」
「何もしないから安心おし。お前がヒューゴを想っているのは、よーくよーくわかったから」
「では、離れてくださいませ」
「言われなくても」
 ブラック・ワイルドは、ぱっと後ずさった。
「ヒューゴの生まれ変わりに会えたとしたところで――おまえにはそれとわかるか?」
「私にはわかります。あの人の高潔な魂は」
「お前はそうだろうな。精霊だから。しかし、ヒューゴの方はどうだろうな」
「…………」
「普通なら、ここで『あの男のことは忘れたまえ』と口説きにかかるものなのだがな――なかなか旨そうだ。ちょっともらうぞ」
「――どうぞ」
「ところが、私も、あの男のことは少々買っているらしい。お前を幸せにできる人間の男は、あれ一人だろうな」
「人間の男以外にもいらっしゃいません。私の心の傷を癒してくださったのですから」
 ルビーは、指についた蜂蜜を嘗めた。
「そして、今は恋の病を引きずっている――、と。因果なことだな」
「あなたほどではございませんわ」
「しかし、私は当初はお前を妻にする為に、次々と人間の男に紹介してやったのだが――それが裏目に出たな」
「申し訳ありません」
 そう言うルビーの口調には、しかし、ある種のふてぶてしさがあった。やがて、バスケットは空になった。
「――御馳走様でした。久々に食べ物を口にしましたわ」
「それは良かった。それからその他人行儀な話ぶりはやめたまえ。バスケット、こっちに寄越してくれ。――じゃあな。子猫ちゃん」
 ブラック・ワイルドは、ルビーの部屋を出て行った。ホワイト・ブラックがいれば、退屈しのぎに構ってやるのにな――と思いながら。

後書き
THE WORLDの『ルビー・ブラック/幸運の黒い猫』のその後の話です。
いつか書きたいな、書きたいな、と思っていました。
どうしてホワイト・ワイルドのことを知ったのか――どうしてでしょうね(笑)。
2010.3.30

BACK