Jのつく人を探しなさい
Jのつく人を探しなさい。
そういう声が聴こえてきたのは、私がジョゼ・ルージュメイアンと名乗る前――ジョゼフィーヌ・アノンと呼ばれていた頃から、いや、物心つく前からだった。それは何度も何度も聴こえてきた。
私もJのつく名前だ。他にもJのつく名前の人がいるのかと、不思議がったことがある。
Jのつく人……ジェームス・エリー・ブライアン。本名マイケル・ヴォイド・ネガット。
彼のことだったら何だって知ってる。
どこか憂いを秘めた青灰色の瞳、白金色の髪。肌はあんなに白いのに、黒い服がよく映える。喪服では決してないけれど。
初めて会った時、私はカーター・オーガスに似た姿をしていた。彼が愛した人物の姿だ。
ジェームスはカーターが好きだ。
けれど、ジェームスは女好きだし(だからシンクロしている私も一時女に走った)、カーターは性的にスノッブだけど、男を相手にする趣味はなかった。
だから、アンディがどうしてバイになったのかわからない。いや、アンディはジェームスが本命なのだ。
ジェームスの十代が暗黒だったように、私も辛酸を舐めてきた。
私は養父が大嫌いだった。私を犯した、あの男。クロード・アノン。
けれど、恨んでも仕様がない。あの男は死んだ。養母と共に。養母の運転した車で。
養父クロードとその仲間に乱暴された時は――痛くて泣き叫んで、それでも来ない助けを待ったものだけれど。
「もうやめて!」
逃げなければ。
逃げなければ。
自分で何とかしなければ――少し育った時にはそう考えるようになった。けれど、逃げようとするともっと酷い目にあわされた。――あの事故が起こるまで。
私はあの事故は養母が養父を巻き添えにした故意のものだと思っている。
ローブなんかくそくらえよ!
あの研究所はナチが優生学実験に使った研究所だ。ドイツが撤退してしてからも存在し続けている。
ローブがあり続ける限り、虐待される子供はいなくならないだろう。
でも、私は何とかする気はない。それは私には関係のない話なのだ。
養父達の暴行で出来た子供は堕胎した。誰の子か、私にはわかるがそれは秘密。
堕胎してから、ずっと後悔した。
愛してあげたかった。実の両親が私を愛してくれたように。でも、そう考えるようになったのは私が赤ん坊を殺して、黒猫のサロニーに出会ってからだった。
だから、言ったの。ジェームスに初めて会った時、
「私も人殺しよ――」と。
息づいた命を奪うことはもうできやしない。そして――私は二度と妊娠しない体になった。
フロイド・アダムス。私の最初で最後の恋人。
彼は私にプロポーズした。私の過去を調べていなければ、私は承諾したことだろう。
けれど、彼は私の過去を知った。
――同情はごめんだわ。
彼は結婚を何か勘違いしてるけどそんな彼も好きだった。だから、私は結婚しない。
ジェームスはジョイと結婚したけどね。何度か肌を重ねてから。
フロイドは……要するに金持ちのボンボンよ。それは格好良くはあるし、バイタリティーもあるけれど。
あの人は――優しい。
だから、巻き込みたくなかった。私の運命に。
私の運命の人はジェームスよ。
ジェームスに記憶を与えて消滅する。私はそれだけの存在だった。
でも、フロイドには私のことを覚えていて欲しかった。それが我儘だとしても。そして、フロイドも私のことを忘れなかった。
それだけで私は幸せ。生きた甲斐があるってものだわ。
でも、一番酷いのはジェームスよ。
私に内緒で計画を推し進めて――私にはわかっていたけれど――挙句結婚までしたのよ。
ジェームスが死んだ後、妻のジョイが不幸になることは目に見えているのに。
……ジェームスは本当によくがんばっているわ。
でも、私はやめたいの。あなたの道具であることを。
そのような意味の台詞をジェームスにぶつけたら、彼は私を抱き締めて、何もしなくていいと言った。
だから、私は立ち直れた。
今までだって苦難を乗り越えてきたんだもの。だから、大丈夫。
私は、ジェームス達に出会ったことを後悔しない。
ジェームスの半身であったことを誇りに思う。
だって、ジェームス。あなたは私なのだから。
Jのつく人――そういえば、ジョイもJのつく人よね。
ジョイ・ウィルコックス。カーターの妹。私は彼女がジェームスの未来の奥さんになることを知っていた。
知っていて、止めなかった。
ジョイは言っても聞かなかったろうし――この辺、カーターに似ている――短い間でも幸せを、痛い程の幸福を与えられるだろう。
本当は――私もフロイドと結婚したい。そう思ったことがある。
けれど、それは無理ね。さっきも書いたけど、フロイドは結婚のなんたるかを理解していない。そして、私は消滅する運命にある。
悲劇はすぐそこまで迫っている。
けれど、それなりにやっていくことはできる。人間はそういうもの。
私は――消えたいけれど、今はまだ消えることはできない。やることがあるもの。
フロイドにジェームスのゴルテルゼを引き渡す。全部。私が彼に経営方針を仕込むの。
時間はないけど、最低限のことはするつもり。
フロイドは彼の祖父アレックス・アダムスに対抗するつもりらしい。祖父とライバルになるのを「望むところだ」と言っていたみたいだから。対象が何であれ、無闇に敵を作るのを喜んでいるところは変わっていない。
私は、ジェームス。彼らに会えて良かったと思っている。
最初は知っている人ばっかりで戸惑ったけれど、慣れると面白かった。
離れたくない。愛している。消えたくない。
一方でそういう考えが浮かんでくる。まだ生きていたい。だけど――。
自分自身であることを捨ててまで、生きたくはない。
わかる? ヒース・ワイエス!
運命に選ばれるとは、運命と共に生きるということよ! どんなに辛くても、運命の用意した杯を飲み干すということよ!
あなたは逃げた。それもいい。ただし、結果を忘れないで。
ジェームスは――運命の杯を澱まで飲み干す覚悟よ。
自分が死んだ後も他の人が幸せに暮らしていけるように。
馬鹿よね――ジェームスは。
ちょっと……目にゴミが入ったみたい。視界がぼやけてきたわ。
ええ。私はまだ死ねない。いえ、消えられない。
ここまでよくもった方だと思うわ。自分でも、こんな力があるとは思わなかった。
養父達に暴行されていた頃は、無力な子供でしかなかったのに……。
養母の代わりに養父を殺せば良かった。そしたら養母は死なずに済んだ。
そして……やはり堕胎はしたかもしれない。あの頃の愚かな私は。事情を聞けば、皆納得するかもしれないけれど、問題はそこではない。
人間を玩具みたいに扱うローブを許せないと思ったこともあった。私だって人間だもの。かなり死の世界に近く在る存在ではあったにせよ。だけど、今は――それどころではない。
ジェームスだけは裏切りたくないし裏切れない。
ここまで読んでくれてありがとう。皆さん。
この紙切れも、いつか時の間に消えゆく運命。それでいい。
でも、どこかに吐き出したかったの。書きたいことはまだまだたくさんあるけれど。
養父と一緒になって私を暴行した四人の男は逮捕された。今は刑務所の中ね。
養父もその男達も過去や未来を見れば気の毒な人達かもしれないけれど、悪事に手を染めず、子供達を慈しんで育て、自分も逞しく生き抜いていく人は多い。
願わくば、彼らもそうなるように。
それからフロイド。彼には別れを言いたくない。もう会わない、とタンカを切ったこともあるけれど。
私がいなくなった後、哀しげに彼が項垂れている場面が見える。もう、悲しまないで。私の為に。私は今までいろいろあったけど、幸せだったのだから。
ジェームス。あなたに出会ったことも幸せだったのだから。
ジェームスもアンディもカーターも――私は好きだった。なべての人が幸福になるように。そう思って彼らも生きていたのだから。
この地球上に存在しなくなっても想いは時空を超えて受け継がれる。消えるのは、永遠なる別れではなく、どこか違う世界に旅立つ為。
世界中の命がこれからも息づいていくだろう。そして、命は巡る。黒い馬は人類が消えた後も草原を駆け続ける。
自分の運命を果たし終えて死ぬ人は幸せである。自分の運命から逃げても、いつかは受け入れなければならない時が来る。私にも――運命を受け入れるチャンスが来たのだ。
全ての生命に感謝します。
――Jのつく人を探しなさい。これが全ての発端だった。
Jのつく人――他にもいるけれど、そして世界一有名なあの男にもJがついているけれど、私はあの男は嫌いよ。
後書き
最後に出て来た世界一有名なあの男……多分想像がつくと思います。
私はあの人は嫌いではありません。でなければクリスチャンにならなかったと思いますから。
2014.8.13