おっとどっこい生きている番外編?その7~桜井若葉の転生~

 ――ここは……どこだ……?
 私は、死んだのではなかったのか?
 私の名は桜井若葉。生前はそう呼ばれていた。こんな名前だが一応男だ。しかし、もう死んだのだ。こんな名前に用はない。
 ああ、でも、死は終わりではないのだな。
 ほら、私の意識はちゃんとある。
 意識が薄い膜となって地球を包んでいくビジョンが見える。
 遥……。
 大澤遥。済まない。君まで巻き込んでしまって。
 私は手を伸ばす。薄い薄い膜だ。星々が煌めいているような気がする。
 私は、宇宙は滅びるという妄想に捉えられていた。その妄想から抜け出せず、酷いことも度々やった。私の同類と手を組んだりもした。
 いつしか私はマッドサイエンティストと呼ばれるようになった。
 滅亡論にはロマンもあるが妄想には違いない。
 今は宇宙は膨張し続けているという説が有力だ。
 だから……私達は永遠に広がり続ける。
 桜井若葉と言う男が死んでも、すぐにまた生まれ変わるのだ。
 暖かい家族がいる。
 私は家族に恵まれなかったから、あんな風な家族がいる家に生まれたい。大澤家でないのが残念だけど。
 私はそちらに意識を飛ばす。私は小さくなっていく。小さく、小さく丸まって……。

 コポ……コポ……。
 気が付くと、水の中だった。
 ああ。落ち着く。
 私は生前はてんでカナヅチだったが。研究しか能のない男。口さがない奴らがよく口にしていた言葉だ。
 でも、私はその言葉を跳ね返してやった。何たって、私は天才だからだ。
 けれど、天才がいいとは限らない。
 大澤遥のことも随分泣かせてしまった。それでも私について来てくれたことには感謝している。
 ありがとう。大澤遥。もうお別れの時間だ――。

 私は産道を通って外に出る。看護師の声がした。
「おめでとうございます! 元気な男の赤ちゃんです!」

 良かった。私は生まれ出たのだ。本当に良かった。
 後は大澤遥を見つけ出し恩返しをするだけ――。
 ――ん?
 大澤遥って誰だ?
 思い出せない。そういえば聞いたことがある。この世に生まれ出て来た後は前世の記憶は一旦消えるって。
 私は精神世界とかそういうのには興味がなかったけれど、こういうことを体験した後は信じなければならないのかな、と思った。
「おお、可愛い。パパだぞ。お前が来るのを待ってたぞ」
 何だって――?
 前世は人殺しをしていたかもしれない私を、待っていた――?
 私は、息の苦しさと嬉しさで大きな声で泣いた。
「ほら、ママよ。来て」
 ちょっと蓮っ葉そうな女の人が言った。ああ、これが母親というヤツか。
 私はパパとママを交互に見た。
 パパの名前は秋野駿。ママの名前は秋野由香里だ。
 私は一頻り泣くと、ニコッと笑った。笑えたよ……な?
「あ、可愛い」
 私が笑うとママが笑う。パパも笑う。
「これは俺への神様からの贈り物だな」
 パパが言う。確か、パパとは血が繋がってなかったはずだ。そういう妙なことは知っている。
「良かったですねー、パパとママと会えて」
 看護師が頭を撫でる。ふふっ、くすぐったい。
 私はこの家族の元で人生やり直すのだ。
 え……やり直す……? 私はどんな人生を歩んでいたんだっけ? それすらも思い出せなくなり、代わりに入って来たのは外界のデータ。
 母親の胸はこんなに柔らかかったっけ? 父親はこんなに頼りになりそうだったっけ?
 そして私は――何と言う名前だったっけ?
 確か、今までは名前があったはずだ。自分では気に入っていた名前。けれど、あまり良い思い出は持っていない名前。
 パパ、ママ……。
 私はそう言ったが、
「あー、あー」
 としか声が出なかった。
 無理もない。まだ私は生まれたばかりなのだから。
「何か言いたそうね」
「パパ、ママ、と言ったんだよ。な」
 パパ、すごいな。私の言いたいことちゃんと察している。
 もしかすると私よりすごいかもしれない。
 まぁ、あちらは私の父親だからな。これから、この男にお世話になるのだ。
 ありがとう。秋野駿。彼にもいつか恩返ししたいものだ。

「兄貴、由香里。お帰りなさい」
 そう言って出迎えてくれたのは秋野駿の妹、秋野みどりだ。
「うわぁ、可愛いわね」
 そう言って巧みに小さな私を抱く。
 このお姉さんの世話になるのなら悪くない。ママよりも好きな顔だ。中の上と言ったところか。
「あぷ、あぷー」
 私はみどりに手を伸ばす。みどりは笑ってくれた。だから、私も笑う。
 さようなら、桜井若葉。――今、急にまた思い出すことができた私の前世の名。
 これからもう一人の私、若葉のことは少しずつ忘れて行くのかもしれないけれど。
 忘却こそが神様のプレゼントだ。
 こんにちは。秋野家。
「みどり、ベビーベッドで寝かせてきて」
「うん」
 みどりが私を運ぶ。ベビーベッドってあれか? 天井吊りのオルゴールが音楽と共に鳴るやつか?
 ああ、昔、憧れたっけ。――訳もなくそんなことを思い出した。
 これは夢を見ているのだろうか。だったら、永遠に続けばいいのに。
 永遠――か。
 私は永遠への希求を拗らせて宇宙の最期を何とか食い止めようとした。
 けれど、そんなことをしなくても命は永遠に続いて行く。
 私はもう、時間を無駄にしない。
「兄貴。名前は決めたの?」
 と、みどりが言う。
「茂だ。秋野茂」
「ふぅん、いい名前ね。由香里と決めたの?」
「勿論」
 宙に飛んでいた意識が頭の中に治まって行く。私はこれから秋野茂として生きて行くのだ。
 ママが、『こんにちは、赤ちゃん』を歌ってくれる。
「よくがんばったな。由香里。――茂もちゃんと生まれて来てくれて偉かったぞぉ」
 パパの声が聞こえる。パパとはこれからキャッチボールするようになるのかな。
 この家には、渡辺純也という子供も住んでいる。渡辺若夫妻の息子だ。いい友達になれるといいな。
 何だか眠くなってきた……今度目が覚める時は前世のことなどあらかた忘れているだろう。それでいい、と私は思った。

後書き
おっとこシリーズと遥くんシリーズのコラボ。
おっとこシリーズは完結したはずなんですがねぇ……(笑)。
桜井若葉とは、未発表作品『すずめのしっぽ』に出て来るマッドサイエンティスト……です。
2016.5.8


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