僕の親友

「よぉ、龍一郎」
「アルバートさん……」
 僕は嬉しかった。僕の名前は柊龍一郎。海を渡ってアメリカに来た牧師だ。そして、名前でわかるように、純日本人だ。
 今日は僕の教会に親友のアルバートさんがやって来たと言う訳だ。息子も一緒だ。
「レオ君も一緒だったんですね」
「そうだ。レオ、龍一郎だ。ご挨拶しなさい」
「こ……こんにちは……」
「ははは、シャイな子でね。お茶の時間には招んでくれるかい?」
「ええ。説教が終わったら」
 ――僕は、今日はエステル記の話をした。皆、耳を傾けてくれた。エステルは妻のアイリーンと同じくらい、いい女だ。

「今日の説教も良かったぜ、龍一郎」
 アルバートさんがバンバンと、僕の肩を叩いた。ちょっと痛い。アルバートさんは力が強いのだ。レオ君がアルバートさんのズボンの裾をぎゅっと握っている。
「リチャードは? 今日もまた来てないのか?」
「ええ……アルバートさんに会いたくないからって」
「――どうしようもねぇヤツだな。まだあの時のこと引きずってんのかよ」
「アルバートさん、リチャードさんも苦悩の中にいるんですよ」
 女の声。僕の妻、アイリーンだ。
「リョウは?」
「天国の絵を描いてるんですって。そろそろ来ると思うけど」
「やれやれ。リョウってば、絵を描き始めたら終わるまで夢中になってるんだもんな。でも、神様や天国に興味を持つのはいいことだ」
 アーサー・リョウ・柊は僕達の息子だ。ファーストネームの『アーサー』より、ミドルネームの『リョウ』の方が気に入っているらしく、リョウ、と呼ばないと返事をしない。
 やれやれ、アーサーと言う名は、僕が一生懸命考えてつけた名前なのにな。因みに、アーサー王と円卓の騎士から取った。
 リョウはアイリーンが適当につけた名だ。僕の名前は龍一郎だから、それに因んでつけたんだと。
 まぁいい。アイリーンが僕のことを全て愛していることはわかっている。リョウがマザコン気味なのが少々心配だが。
「大きくなったらママをお嫁さんにする」
 ――と、言っていた子だからな。エディプス・コンプレックスもあるかもしれない。
 でも、ママは私の嫁だからなぁ……リョウにあげることは出来ないなぁ……。
 アルバートさんにお茶を淹れながら、アイリーンは言った。
「ニューヨークには明日経つって。リチャードさん」
「――俺に会わずにか」
「ええ」
「そうか……」
 アルバートさんの呟く声は沈んでいた。アルバートさんは、昔はリチャードさんの友人だったのだ。
 僕に話してくれた、アルバートさんの秘密。
 ――アルバートさんは、人を殺したことがある。でも、それはどうしても――どうしても許せなかったからで……。警察に行けば逮捕されるかもしれない。訴えられるかもしれないが。
 事件当時、アルバートさんは十歳だった。しかも、アルバートさんが殺した人は、被害者もリチャードさんの両親を殺したからで――。
 ……これは、果たして正当防衛と言えるのだろうか。アルバートさんが初めて人を殺した時、彼はまだ子供だったのだ。
 今は、アルバートさんも陸軍のお偉方になっているし、リチャードさんも俳優として名を馳せているけれど……。
「僕、アルバートさんとリチャードさんの為に毎日お祈りしています」
「それはどうも」
 アルバートさんはジャスミン茶を飲みながら、そっけなく言う。お祈りは効くんだからな。あまり馬鹿にしない方がいい。いつだって、神様は僕の頼みを聞いてくれた。
 綺麗な奥さんが欲しいと思ったら、アイリーンに出会わせてくれた。可愛い男の子が欲しいと思ったら、リョウを授けてくれた。
 今度は女の子が欲しいねと、妻とも話しているのだが……。
 リョウも年頃になれば恋をする。恋人の一人二人は出来るだろう。親の贔屓目かもしれないが、リョウの顔立ちは整っている。教会の人達にも、
「まぁ、アーサー君は綺麗なお顔立ちしてますこと。ご両親のいいところを受け継いだのね」
 と言われたものだった。半分お世辞かもしれないけれどね。それにしても、髪を切るのを嫌がる癖には参っているが。
「あ、リョウだ」
「アルバートおじさん!」
 リョウはアルバートさんに駆け寄った。何でだろう――リョウはアルバートによく懐いている。前世とか信じている友人が、こう言っていた。
(リョウとアルバートは、昔親子だったんですよ)
 僕はそんなこと信じてはいないけれど。前世と言う物は存在しない。だって、そんなこと、聖書のどこにも書いてないじゃないか!
 ――父の遺品にあった聖書にも書いていなかった。もし生まれ変わりがあるのなら、聖書にそう書いてあるはず。原始キリスト教には生まれ変わりの教えがあると、アルバートさんは言っていたが、そんなことは嘘だ。
 生まれ変わり。輪廻転生。これだけは、アルバートさんとも意見が合わない。僕は、生まれ変わりはないものと信じている。
 ただ、最後の審判はある。その時の為に、僕は清く正しく生きていくつもりだ。
「バーボンあるか?」
「ないよ」
「何だ。牧師の家はしけてんな」
「必要がないからね。酒を飲む……」
 僕は幸せな家を作り、アイリーンもリョウも幸福に暮らしていて――だから、酒など必要ないのだ。必要なのは、教会で振舞うワインだけでいい。ワインはキリストの血、パンはキリストの体なのだから。
 子供達が教会に来る機会も増えた為、ブドウジュースに切り替えようかと話も出ている。僕は全然構わなかった。
「ワインが少しなら残っているけど――」
「いいんだ、いいんだ、アイリーン。これ以上アルバートさんを甘やかさないでくれ」
「……ワインか。嫌いじゃないがありゃジュースだよな」
「そりゃ、アルバートさん――あなたみたいなうわばみならそう思うでしょうね」と、僕が言う。
「アルバートおじさん、うわばみって何?」
「お酒に強い人のことを言うんだ」
「パパにはきいてないよ。ねぇ、アルバートおじさん……」
「酒に強い人のことを言うんだ」
「ありがとう! ねぇ、レオ、一緒に遊ぼ?」
 リョウとレオは連れ立って外へと駆け出して行った。アルバートさんが目を細めている。
 何で僕の説明だと駄目なんだろう……アルバートさんも同じことを言ったじゃないか。アルバートさんと話しているところを邪魔されたことをリョウは怒っているんだろうか……。
「もう……仕様がないわね。あなた、気にしちゃ駄目よ」
 アイリーンが慰めてくれる。僕の気持ちをわかってくれたのだ。
「龍一郎に甘いな、アイリーンは」
「だって、わかるような気がするもの。――リョウはちょっとアルバートさんに構って欲しかっただけよ」
「けれど……」
 気づかないか? アイリーン。
 リョウがこの僕に見せる冷たい目。アルバートさんといる時はそうでもないんだけど……。ちょっとだけ嫉妬。実の父親は僕なのに。
 リョウは、僕よりもアイリーンやアルバートさん、それにリチャードさんが好きなんだ。
 リチャードさんも僕の親友だ。この間までハリウッドで大作映画を撮影していて、それが終わったからロスに骨休めに来ていたのだ。ロスも物騒なところに変わりつつあるが。
 僕は、リョウやリチャードさんの為にも祈っている。
 いつか、リョウが大きくなった時、ジャップだからと言っていじめられるかもしれない。僕のことを恨むかもしれない。もしかしたら、追い詰められて自殺を考えることもあるかもしれない。
 ――けれど、僕は言う。この世に生まれて来て良かったと思う日がきっと来る。必ず来る。
 その時は、僕のことを思い出しておくれ。リョウ、君の誕生を僕が手伝ったと言うことを。アイリーンはまだ、処女懐胎をする程、信心深くはないんだから。どんなに慈悲深い女でも。
 リョウは僕達と同じ、普通の人間だ。アルバートさんだってリチャードさんだって、高い社会的地位にはついているものの、神様を信じないなら、それは無だ。
 ……アルバートさんは、僕によって信仰を取り戻したと言う。リチャードさんも同じようなことを言っていた。
 リチャードさんがアルバートさんから離れようとしている経緯は、リチャードさんに聞いて知っている。僕は、リチャードさんにアルバートさんを許すよう、願っている。
 アルバートさんは昔、リチャードさんに酷いことをした。アメリカ陸軍は、いや、アルバートさんは、リチャードさんを、ナチスのスパイだと疑って拷問したのだ。
 リチャードさんが怒るのもわかる。もう二度と会いたくないと言う気持ちもわかる。それからも、アルバートさんとリチャードさんは何度も会っているのだが。
 昔、リチャードさんは心も体もボロボロだった。それを癒したのは、アイリーン、そして、マリー・ラッセンだった。マリーさんはもう死んでしまったけれど、アルバートさんはマリーさんの作った施設に多額のお金を寄付している。
 そして、うちの教会にも――。
 うちのの教会は、実は信徒が少ない。僕が日本人だからか、信仰が足りないのか――。
 それでも、立派な教会を建てることが出来たのは、アルバートさんのおかげだ。
 僕はいつか、アルバートさんがリチャードさんと仲直りすることを夢見ている。この二人は、縁が深いことだけは確かなんだ。尤も、二人の仲が修復するのは、最後の審判の時かもしれないが。
 それでもいい。僕は待ってる。
 アルバートさんもリチャードさんも、神の名において許されることを。そしたら、憎み合うことなんて馬鹿らしくてやってられなくなるだろう。
 そして、この僕も――。
 僕は罪深い人間であると、子供の時から訳もなく思っていた。近所の子供達からは馬鹿にされた。聖書を読んで、自分の疑問が解き明かされた気がした。
 僕は、僕の親友達と共に信仰の道を歩んでいこうと思う。そして、我が妻アイリーンと愛息子リョウとも一緒に。――イエス様が天国で見守っている限り。

後書き
今回、子供の頃のレオも登場しました。
龍一郎とアルバートが親友になるとは、この『いすかのはし』シリーズを考えていた高校生の頃は夢にも思いませんでした。
2022.01.10

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