おっとどっこい生きている番外編 〜リョウの初恋〜

 ふー、客来ねぇなぁ……。
 などとアンニュイに俺はギターを弾いている。でも、家に帰る気は毛頭なかった。
 誰かがギターケースにチップをくれた。百円玉か。毎度。
 でも、これじゃ生活していけねぇしなぁ……。
 ふぅ……。
 俺がギターの手を止めると、
「何してるの?」
 と、綺麗なソプラノの声が聴こえた。
 俺が顔を上げると、そこには金髪のネェちゃんがいた。
 ギャルメイクだけど、顔立ちは結構整っているな。
 などと思っていると、
「何してるの?」
 ともう一度訊いて来た。
「見りゃわかんだろ? ストリートライブ」
「ふぅん。にしちゃ、お客さん来てないようだけど?」
 うっ。このオンナ、痛いところ突きやがる。
「今日は調子が悪いだけだよ」
「ふうん。昨日も一昨日もずっと?」
 何で知ってやがんだ、このオンナ。
「まぁ、わかる気もするけど。アンタって特に上手いってわけじゃないしねぇ」
 くそっ! くそくそくそっ!
 頭来た! 場所変える!
 俺が立ち上がるとオンナは、
「ねぇ、気に障ったならごめん。つい正直に言ってしまっただけなの」
 ふざけてんのか? このアマ! 正直にって、どういう意味だよ!
「帰れよ!」
「あたしん家来ない?」
 ――え?
 何言ってんのかわかってんのか? こいつ。
 オレはそんなことやんねぇけど、食われたって文句言えないぞ。
 それとも、それ目当てでオレに声をかけたのか?
「アンタ、宿なしでしょ?」
「――わりぃかよ」
 家に帰りなさいって説教か? オマエだってオレと同じ人種だろうが。
「アタシね、下宿してんの。そこの人達、いい人達だから、アンタのことも置いてくれると思うの」
 オレは犬か? 猫か?
 まぁ、動物は嫌いじゃねぇけど、こいつには、オレのことが迷い猫のように見えたのかな。
「――わかった。いいぜ。行ってやる」
 その代わり、後で泣くなよ。
「良かったー。みどりも歓迎してくれると思うわ。きっと」
 みどり? どこかで聞いた名だな。
「あ、アタシ、渡辺えみり。君は?」
「――鷺坂稜」
 これが、オレとえみりサンとの出会いだった。

 みどりと言うのは、クラスメートの秋野みどりのことだった。
 若いけど中身はうるさ型のおばはんかと思えば、なかなか話のわかるところもあるヤツだった。
 それに秋野駿サン。なんだかんだの騒動を経て、今はオレはこのヒトを尊敬している。
 えみりサンは想像してたよりいいオンナで、優しい、母性的なヒトだった。
 だけど、そんなオンナだからモテないはずもなく――現在、夫、子持ち。夫は渡辺雄也。子供は純也。
 雄也サンもいいヒトだ。純也は可愛いし。
 でも、えみりサン……もうちょっと早く会いたかったぜ。
 早く会えたからって、おつきあいできたかどうかは謎だけど。
 そう。オレはえみりサンみたいなヒトと結婚したい。
 だってえみりサンは――オレの初恋の人だから。
 みどりあたりは信じないかもしれないが、オレ結構純情なのよ。マジ。
 オレ、えみりサンのこと、好きなんだ……ほんとにほんとに、惚れちまった。
 えみりサンがいなければ、秋野(オレはみどりのことをこう呼んでいる)のこと好きになったかもしれないけど。こいつも情が深い、割とタイプのオンナだったんだ。
 でも、アイツには将人がいるしなぁ……それに、秋野に手を出したら、オレ、駿サンに東京湾に沈められるよ。……てのは、嘘だけどさ。
 あーあ、えみりサンに負けないくらいのいいオンナいねぇかなぁ。
 それとも、やっぱりオレは音楽に生きようかな。でも、実力ないっての、自分が一番良くわかってるし――。

 トントントントン。
 包丁が野菜を刻む音が聴こえる。味噌汁の匂いがたつ。
 なんだ、秋野か……。あれ? 金色の髪? もしかして――。
 オレはごしごしと目をこすった。
「おはよう、リョウ」
 振り向いたのは、えみりサンだった。

 ジリリリリリリ。
「あ……」
 夢か――。
 それにしても、何であんなイイところで起こすんだよ、この馬鹿時計!
 ――いやいや、時計に当たっても仕方なかった。駿サンがわざわざ、
「中古だけど」
 と贈ってくれたんだっけ。自分は新しい時計を買ったからって。
 大事にしないとバチが当たる。

 あくびしながら台所へ行く。
「あ、おはよう、リョウ」
「おはよう」
 えみりサンと秋野が笑顔で迎えてくれた。
 うーん。夢より現実の方がいいなぁ。秋野だって、えみりサンほどではないけど可愛い方だしな。
「おはよ」
 オレはやに下がっていたに違いない。
 今のオレは、結構幸せなんだろうな、と思う。
 オレの家庭はバラバラだったから――。
「朝から何へらへら笑ってんのよ、リョウ」
「いや。オレ、幸せだなって思って」
 秋野のセリフにオレは答えた。
「そう? それならいいけど」
「アタシがここに連れてきたおかげよね」
 えみりサンが得意そうに言う。ああ、可愛いな。えみりサン、エプロン似合うな。
「よーっす」
 雄也サンだ。一見チャラチャラして見えるけど中身がある男だ。だからえみりサンが惚れたんだろう。
 雄也サン、これからもえみりサンと純也を宜しく頼むな。えみりサンや純也を泣かせたら――オレはアンタを許さない。
 哲郎サンもやってきた。眠そうな目をして。
 クリスチャンである哲郎サンがいつもの食前の祈りをする。朝から爽やかな気持ちになれそうな感じ。
 憧れていた一家団欒。秋野家の人々には感謝だけど、特に感謝したいのはえみりサンにだな。
 今のオレにとって、えみりサン以上のオンナはいない。

2012.6.17

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